プライオリティ

@araki

第1話

 人通りの少ない道に面する路地裏、そこに一人の少女が蹲っている。

「………」

 出来ることなら見て見ぬふりをしたかった。けれど、太一には見過ごせない事情がある。

 知り合いなのだ。どうしようもなく。

「何やってんだ、晴」

 晴はおもむろに顔を上げる。こちらの姿を認めると、彼女は淡い笑みを見せた。

「こんばんは、太一」

 加えて小さく手を振ってくる晴。非常に不可解で不快だった。今の状況も、それにへらへら笑えてる彼女も。

「お前んち、すぐ近くだろ。早く帰れよ」

「そうしたいのはやまやまなんだけどね」

 晴は弱り顔を見せた。

「今晩は私のじゃないんだ」

「どういうことだよ」

「一晩部屋貸してくれって頼まれちゃって。うち防音性能高いからさ。軽いパーティーするのにもってこいなんだって」

「お前……」

 太一は眉根を寄せる。しばらく二の句が継げなかった。

 頼まれれば何でも引き受ける。それが晴の性格だ。どんな無理難題であっても、それが自身に可能であることならば彼女は出来る限り叶えようとする。

 あらゆるマイナスを度外視して。

「お人好し」

「そんなじゃないって」

「じゃなきゃ間抜けだ」

「それはちょっと否定したいかな」

 曖昧に笑い、晴は頬を掻く。その姿が痛ましく思えてならない。

 太一ははっきりと言った。

「なんでそこまで自分を蔑ろにする? 利用されてるって気づいてないのか?」

 晴はわずかに沈黙する。やがて答えた。

「単純な足し引きの問題だよ」

「何の」

「幸せの。私が少し頑張るだけでたくさんの人が幸せになれる。それは私だけが幸せになるより、ずっと素敵なことだなって」

「……そうかい」

 ――だから、間抜けなんだよ。

 太一は思う。あらゆる人間の幸せを等価と見なす。他が皆自身の幸福を当たり前に絶対視する中、その思いは称えられるべきものなのだろう。ただ、

「ずぶ濡れになってまですることじゃねぇよ」

 降りしきる雨の中、太一は晴の頭上にタオルを放った。

 それから晴の腕を掴んで引き上げると、強引に傘の下へ引き入れる。

「とりあえず俺の下宿先だ。説教はそれから」

「それは勘弁してほしいかな。ご近所迷惑にもなるし」

「どうでもいい。今優先すべきはそれじゃない」

「駄目だって。周りのことを考えないと。じゃないと太一が――」

「不幸せになる、ってか?」

 太一は晴の言葉を遮り、そして吐き捨てるように言った。

「なら心配ない。今で十分不幸せだ。なにせ俺の幸せは自分から勝手に壊れてくんだからな」

「それは多分幸せじゃないんだよ」

 改めて晴を見る。そして歯噛みした。

「もっと別のを探しなって」

 晴は笑っていた。からからと、気楽に。どうでもよいというように。

「それは俺の自由だ。お前が決めることじゃない」

「強情だね。相変わらず」

 晴は苦笑を漏らす。太一は構わず彼女の手を引き、路地裏を抜けた。

 すると面した道路の向こう、個人経営のケーキ屋が目に入った。

 ――そういえば。

「途中、あの店寄ってくから」

「なんで?」

 首を傾げる晴。太一は言った。

「誕生日。忘れたのか?」

「あっ、今日だったっけ。別に――」

「祝う。決定事項だ」

「……ご自由に」

 太一は腕時計に目を落とす。午後八時を回ったところだった。

 ――まだやっててくれよ。

 手足は重く、雨は止みそうにない。

 それでも構うことなく、先を急いだ。

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