『戦後史のなかの日本社会党』-その理想主義とは何であったのか

北風 嵐

第1話 

著者:原彬久(よしひさ)著作当時(2000年)東京国際大学教授


もっか、読んでいた本がこれであった。今回の解散を受けて「希望の党」に民進党が合流かというニュースが流れて、野党再編まったなしと云う状況になった。新党はいっぱい出来たがほとんどが消えていった。このようなとき社会党について所感を述べてみるのも意味があるのではないかと思った。


著者は最後に「保守党がほぼ恒久的にしかも執拗に固めて来た歴史の軌道を動かし改革するには、社会党の〈理想主義〉はあまりに脆弱であった。本来理想主義には、したたかな現実と闘い、その現実を〈改心〉させる強靭な〈体力〉としなやかな戦略が必要なのである」と結んでいる。著者は政権党にもなったドイツの社会民主党を例にあげている。著者は西欧社民主義型になぜ早くなれなかったか、という立場で社会党の凋落を見ている。


ドイツも日本も先の大戦では、戦争を仕掛け、そして敗戦という共通の悲しい歴史をもつ。また、焼け跡から奇跡的な経済成長をなし、復興したのも共通する。しかし、その党歴は大きく違うのだ。一概に比較できないものがある。


ドイツ社民党は1875年、マルクス主義の綱領を持つ労働者党として誕生している。宰相ビスマルクの時代、「社会鎮圧法」によって、一時弾圧された時代もあったが、ビスマルクを嫌う新皇帝ヴィルヘルム2世によってこの法律は廃止され、ツアーリズム下においても与党ではなかったが、投票率では1位を占めるまでになっていた。


第1次大戦、労働者党として戦争反対を期待されたが、賛成に回っている。同党の極左分派に属するローザ・ルクセンブルクは「平時には労働者に団結を説き、戦時にはお互いに血を流せというのか」と、党首エーベルトに噛みついた話は有名である。マルクス主義を綱領としていてもエーベルト主流派はすでに体制派であった。戦後、ワイマール時代においては、社会民主党は常に政権党であった。反共産党に熱心なあまり、ナチスの登場を許してしまう。第2次大戦後、これらの苦い経験を踏まえ、マルクス主義を捨て、階級政党から国民政党に転換をはかり、1969年には、党首のブラントを首相とする連立政権を発足させている。大戦前にすでに政権を担当している経験をもつのである。


日本社会党は敗戦によって、本格的な活躍の場が与えられ、戦前の無産政党が寄り集まって1945年に設立された。占領下、GHQが民主勢力と一番期待したのがこの社会党である。社会主義を掲げる党を、なんとこの当時のアメリカはおおらかであったことか。事実昭和22年5月から、昭和23年3月まで片山内閣として政権を担当し、戦後混乱期に一定の役割を果たしているのである。この本を読んで読者は、よくもまー、右と左が原理原則で論争に明け暮れ、くっついたり、離れたりしたことかと呆れることだろうと思う。マルクス主義か修正主義か、階級政党か国民政党か、親ソ連か親中国かと・・アメリカは帝国主義か否か、その他いっぱい!あまり国民の生活に直結しないことばりだと庶民は思うのだ。

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