第65話
アルトが強い疲労を抱いていると私が理解したのは、その瞬間だった。
それに気づいた瞬間、次々とアルトの異常に気づく。
一見しっかりとしているように見えるが、気だるげなのが伝わってくる立ち姿。
隠しきれない疲れが滲む端正な顔。
それは、通常では考えられないほどの憔悴具合で、──私の中、全てが繋がったのはその時だった。
「……っ!」
目の前のアルトの憔悴具合と、公爵家新当主の力を借りた、そう告げたアルトの言葉。
その全てが、本来であれば考えられない事態であったことにいまさらながら私は気づく。
私の知る限り、アルトという商人は天才と言っても過言ではない能力を持つ人間だった。
だからこそ、そんな彼が公爵家の力を借りてまで、ここまで憔悴するのは、明らかな異常事態に対処していたとしか考えられない。
……そして、現状で考える限り、その異常事態は侯爵家以外ありえなかった。
また私は、アルトの計り知れない底力を知っていた。
父親に疎まれ、幼い妹とたった一人の部下を連れて逃げるような絶望的な状況下から、トップレベルの商会を気づいたことを私は知っている。
そんなアルトが公爵家の力を借りられたのならば、あの侯爵家でさえ潰せてもおかしくないのではないか?
そんな考えが私の頭に浮かび、すぐにそれは確信へと変わる。
アルトの侯爵家は爵位を王家に返還したという言葉は、真実なのだとようやく私は理解したのだ。
……私の胸の中、強い罪悪感が浮かんだのはその時だった。
アルトの言葉を否定した時、私は何も考えていなかった。
それは恩人に対する態度として、最悪なものだった。
だが、そんな私の心変わりに気づくことなく、アルトは悩ましげに告げる。
「信じられない心は理解できます。でも本当のことで……そうだ、マリーナさんに聞いて貰えば」
「……いえ、必要ないわ。疑ってしまってごめんなさい」
「……え?」
私の言葉に動揺が隠せない様子のアルトの姿に、胸に痛みが走る。
アルトの様子を見る限り、どれだけ私のためにアルトが頑張ってくれたのかは簡単に想像できる。
それを容易く否定した自分のどれだけ愚かなことか。
アルトへと頭を下げる。
「本当にごめんなさい。私は感情だけで貴方の言葉をよく考えもせずに否定しようとしたわ」
私は強く自分を恥じる。
アルトの人柄を知りながら、その言葉を受け入れられなかった自分の浅慮を。
「……貴方がどれだけ恩を大切にする人間で、信頼できることを知っていたのに、私はそれを受け入れられなかった」
「……っ!」
その私の言葉に、アルトの顔が赤く染まる。
そしてその顔のまま、アルトは食い気味に告げる。
「それなら、公爵家がエレノーラ様を欲している件は……」
その時既に、私はよく理解できていた。
公爵家についてアルトが提案してくれたのは、私のことを思ってのことであると。
公爵家に恩を返すためではなく、私の今後も考えてアルトはそう提案してくれたのだろう。
アルトがいる限り、この提案で私が損をすることなどありえないに違いない。
「ごめんなさい。その話は受け入れられない」
……それが理解出来たからこそ、私はアルトの提案をうけいれられなかった。
「……え?」
アルトの顔に、呆然とした表情が浮かぶ。
それ見た私の胸に、強い痛みが走る
それでも、アルトの提案を受け入れる選択肢は私の中になかった。
「アルトのことが信頼できないのではないの。いえ、貴方のことは商会の人間と同じ程度信頼しているわ」
アルトに頭を下げ、私は告げる。
「でも、だからこそ私はその好意を受け入れられない。……私にはそんな好意を受け入れる資格がないから」
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