第62話

※9月25日、アルトの容姿について付け加えさせて頂きました。


◇◇◇


「では、エレノーラ様ゆっくり休んでくださいね」


「ええ。ありがとうマリーナ」


 空になった食器を抱え、マリーナが部屋を後にする。

 そんな彼女の背中を見送った後、私はお腹を撫でながらベッドにもたれかかった。

 そして満足げに息を吐く。


「ふぅ。今日も沢山食べたわね」


 私がこの屋敷で目を覚ましてからもう既に数日が経っていた。


 屋敷から目を覚ましてから二日程は、私はまるで動けず、ほとんど寝て過ごすことになった。

 だが、マリーナが持ってきていくれる栄養満点の食事をとるうちに、身体に力が巡るようになってきたのが分かるようになってきた。


 今だって、健康だったときと比べれば、満足に頭は動かないのは変わらないし、多くの睡眠時間をとっている。

 それでも、少しづつ頭が動くようになるのを私は感じていた。


 ……が、それは決して良いことと断言できなかった。


「はあ」


 無意識に漏れた溜息、それに気づいた私は慌てて口元を抑える。

 周囲を見回し、マリーナや商会の人達がいないことを確認し、私は安堵を顔に浮かべた。

 彼ら達に無用な心配をかける訳にはいかないと。


 屋敷に来てからの生活は決して悪くはない。

 それどころか、私の望んでいたはずのものだった。

 マリーナや商会の人達と簡単に会うことができるのだから。

 それ以外に不満など私にはなかった。


 また、マリーナに商会の人達、その全ての人々が私に対して優しかった。

 今まで私を助けられなかったことを謝り、侯爵家から逃げられたことを喜んでくれた。

 その気遣いはとても嬉しいもので、この数日間私は本当に素敵な日々を過ごしてきたと言えるだろう。


 だが、その日々が私の悩みの原因だった。


 これを口にすれば、絶対にマリーナ達に無用な悩みを覚えさせてしまう。

 それを理解しているからこそ、私は表面上は何も不安などないように振舞っている。

 けれど、だからといってそんな悩みが無くなる訳ではなかった。


「……表面だけには出さないようにしないと」


 改めて私は、そう決意を漏らす。

 ここまでしてくれた皆には、笑顔を見せていなければならないと。


 突然、扉の外からノックが響いたのは、そう私が考えていた時だった。


「え、エレノーラ様少しよろしいでしょうか!」


 外から響いてきた焦りを隠せないマリーナの声に、私は思わず首を傾げる。

 こんな風にマリーナが感情を表すのは、珍しいことだった。

 一体、何があったのだろうか?


「そ、その、協力者の方が屋敷に戻ってこられまして……」


「え!」


 次の瞬間、マリーナの焦燥の理由を理解した私は驚愕の声を上げた。


 協力者、それはマリーナが教えてくれた私を助けるためために多大な力添えをしてくれたという人物だった。

 本来であれば、もっと早くに面会してお礼を言うべきだったのだが、その人物が多忙で屋敷にも戻れていないということで、私は今までその人物とあったことはなかった。


 そんな人物の突然の来訪に、私は動揺を隠せない。

 が、その動揺を押し込め私は口を開いた。


「すぐにお通しして」


「は、はい!」


 その言葉で、マリーナらしき足音が遠ざかっていくのがわかる。

 それを確認して私は部屋を見渡した。

 私の部屋は来客用であることを踏まえても、高価な部屋だった。

 そして、私を助けるのに多大な貢献をしてくれたことから考えても、協力者は十中八九貴族だろう。

 それならば、できるだけ丁寧な対応をするに限る。

 助けてくれたことにお礼を言わねばならないし、マリーナ達が必死に関係をよくしてくれていたのに、私のせいで貴族との関係が悪化したなど決してあってはならないことなのだから。


「エレノーラ様、協力者をお連れしました」


「入って下さって大丈夫よ」


 その判断の元、私は凛とした声で入室を許可する。

 そして、どんな相手が部屋に入ってこようが動揺しないように気を引き締めて、扉が開くのを見守る。


「う、嘘!」


 ……にもかかわらず、次の瞬間部屋の中に入って来た人物に、私は驚愕することになった。


 部屋の中にその人物が入ったのを確認して、マリーナは部屋から離れていく。

 それを確認した後、その人物は私へと一礼する。


「多忙とはいえ、今までお目にかかれなかったご無礼をお許しくださいエレノーラ様」


 それに挨拶どころか、お礼を告げることさえ忘れ、私はその人物を眺めていた。


 商人の服に身を包むその男性は、明らかに貴族ではなかった。

 それをはっきりと認識した上で、私は震えることで告げる。


「……貴方、アルトなの?」


 黒髪というには、茶が混じった焦げ茶色の髪に、帽子。

 地味な印象を与えながらも、よく見れば整っていることが分かる端正な顔つき。

 成長していたが、それでもその姿からはかつての青年の名残を感じられる。


 目の前の光景が信じられず、戸惑いを隠せない様子でそう告げた私に、その男性、商人アルトは笑って口を開いた。


「お久しぶりです。エレノーラ様」


 ……かつての知人との突然の再会に、私は動揺を押し隠すことができなかった。

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