第33話 カーシャ視点
今ならばはっきりと私は分かる。
エレノーラが逃げたと気づいた時、侯爵家から離れることを決断すべきだったと。
逃げることでソーラスに敵視されることなど恐れず、侯爵家から離れるべきだったと。
……だが、辺境伯に不正のことをソーラスに告げられた今、全てが手後れだった。
今さら貴族達のところに逃げ込もうが、どの貴族達も私を受け入れはしないだろう。
例えどれだけ金を詰んだとしても。
それに逃げれば、ソーラスに不正のことを暴露される。
そうなれば、私の命が終わる。
いまや実家さえ今の私を助けてくれはしない。
何せ、真っ先に侯爵家に協力を望んでも、あっさり断られたほどなのだから。
今の侯爵家の状況をどうにかしない限り、私には貴族として生きる道はもうないのだ。
それを理解した時ほど、強くエレノーラを呪った時はない。
一体どれだけ、私を困らせれば気が済むのか、と。
もう勘弁して欲しいとさえ、思った。
──だが、そんな生活もようやく終わる。
「ふふ、ソーラスが愚かで本当によかったわ」
実家が侯爵家の味方だと書類を改竄しただけで、私の不正の言及を取り止めたソーラスを嘲笑いながら私はそう呟く。
そのおかげで私は、自分の目的を堂々と進めることが出来ていた。
笑いながら、私がクローゼットから取り出したのは、とんでもない金額が収められた鞄。
辺境での金額を奪い、蓄えたそれを見ながら私は確信する。
これだけの金額があれば、自分の目的を果たすのは容易だと。
「これなら、商会の人間も私を無下にはできないに違いないわ!」
それは最初、貴族の家に取り込むつもりだった私にとって、どうしても避けたかった手段だった。
だが今の私には、当初程の嫌悪感は抱いていなかった。
「改めて考えれば、決して悪くない選択肢だったわね。こんなことなら、もっと早くに商会に行けばよかったわ」
一度商会の人間と言葉を交わした時、やたら下手に対応されたのを思い出し、私は上機嫌になる。
この様子なら、商会に厄介になることになっても、私は好き勝手な生活が保証されるのは間違いないだろう。
それだけの力が、私の持っているこの金額にはあった。
それに、私の名前も貴族社会では大きくなりすぎている。
このままでは、公爵家との問題が収まっても、侯爵家から逃げ出すことは出来ないだろう。
だとすれば、貴族という身分を諦めて、すぐに逃げた方がいい。
そう判断した私は、もう既に侯爵家を後にする準備をほとんど済ませていた。
「……商会に渡るのは二日後。それであの愚かな当主様ともお別れね」
自分の未来が明るいことを疑わない私は、そう呟き小さく笑う。
これでもう、エレノーラと関わることもないだろうと思いながら。
「か、カーシャ様!」
突然扉の外、激しいノックとともに焦ったような侍女の声が響いたのはその時だった。
今までの愉快な気分を中断されることになった私は、その使用人に対し怒りを覚える。
が、その苛立ちを理由に無視するには、使用人の様子はただ事ではなかった。
扉越しでさえ焦燥が伝わってくるその声に、内心の苛立ちを抑え、鞄を直しながら私は口を開く。
「少し待ちなさい」
そして扉を開けると、私の目に入ってきたのは顔を青ざめた侍女の姿だった。
その様子は、エレノーラがいなくなった時と同等の動揺を彼女がしていることを私に伝えてきて、私の胸に一抹の不安がよぎる。
しかし、すぐにどうせすぐに自分と関係のなくなる侯爵家の問題だと判断し、私は侍女に問いかけた。
「そんなに慌ててどうしたの? 一体何が……」
「か、カーシャ様どうしましょう!」
私の言葉を途中で遮り、侍女は口を開く。
明らかに尋常でない様子で。
「──公爵家が、公爵家の新当主が屋敷にやって来ました!」
「…………は?」
そして侍女が告げた言葉に、私は呆然と立ち尽くすこととなった……。
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