すずめばち
@tori-0123
第1話
※小説内の一部表現について※
決して該当する薬、治療法を否定しているものではありません。癌治療には非常に有用な薬ですし、こういう例があったからといって悪いものなのだということはないです。
また、お医者様の努力を否定しているものでもありませんし、個人の尊厳を傷つけるというつもりもありません。私がこういう体験をしたと言う一点のみで、それ以外の思惑はないものとして閲覧をお願いします。
それでも気に入らないという方はもう何も言わず、速やかにブラウザバックをしてこの作品があったということ自体をお忘れください
先月、手術で入院した時の話です。
一年前から続く不正出血で地元の婦人科を受診したところ、さらに大きな病院での検査を進められ、転院しての検査の結果は子宮体癌ということでした。
子宮および付属器の全摘出の必要があり、できるだけ早い入院手術を勧められたのです。
紹介された病院は、京都の某人気観光地区にある紅葉で有名な名刹、そのすぐ近くにある大きな病院です。そういえば地元の人はすぐにわかると思いますし、該当するお寺に心当たりがある方は何となく気が付くかもしれません。
指定された病室はカーテンで仕切られただけの四人部屋で、隣は肺炎で入院している70歳ほどのおばあちゃん。おばあちゃんの向かいの人は50歳代くらいで何かの病気で胸を切開しているらしい女性、私の向かいは癌治療で入院し、現在放射線治療を受けているという60歳前後の女性でした。
入院した次の日が手術でしたが特に問題もなく終わり、術後の経過も問題がなかった私は回復室で一晩過ごした後に一般病室に戻されました。
しかし経過は順調とは言えその日は夕方までは痛みで動くごとができず、睡眠薬や痛み止めでうつらうつらしては隣の音や看護師さんの声で目が覚めるを繰り返していました。
夕方近くになって少しばかり意識がはっきりしてきた頃の事です。喉が渇いて水が飲みたくなったのですが、まだうまく動けないので誰か呼ぼうと体を動かした時。向かいのベッドの女性のところに数人の看護師さんと担当医師、付き添いの娘さんが集まって何か話をしているのがわかりました―――総室に入院された経験がある方は知っていると思いますが、しょせんはカーテン一枚で仕切られた空間なので病室内の話し声は筒抜けです。聞こうとは思っていないのですが、勝手に会話は耳に入ってくるのです。
入院した日に担当医と放射線治療の経過を相談していたのを偶然聞きいて知っていたので、私も(癌の進行状況によってはもしかしたら……)と思い、聞き耳を立てるのもよくないと思いつつも黙って聞いていました。
どうやら女性の担当医は抗がん剤治療の説明をしに来たようです。
子宮関係の癌治療というのはステージの進行度合いにかかわらず(すでに転移がわかっていたり、再発だったりすると話は違うのかもしれませんが)手術で子宮をとってからステージの確認をし、進行の度合いに応じて追加治療として抗がん剤や放射線治療を施すものなのだそうです。
むろん、癌であっても必要がないと判断されたら追加治療はありません。
ですが患ったのが子宮癌でなければまた治療の話は話は違ってきます。向かいのベッドの女性の患っていた癌が何の癌なのかはわかりませんが、何かの事情で手術ができないか、手術後に転移や再発がありその治療のために入院していたのでしょう。
その女性は私が入院した初めの日にはベッドから起きだすこともできていて、病室内にあるトイレで入れ違う事もあり、何となく挨拶くらいはしていました。ひどく痩せてはいましたが食事もきちんととっていたようですし、少なくとも私が回復室から帰ってきた日までは担当医や看護婦さんにはっきりした受け答えをするくらいは体力があったはずです。
癌と診断されただけでも一般の人は大変なことと思うでしょう。今や初期であればほぼ治る病気ですが、癌という言葉には未だに【死】という印象が付いて回ります。また治療の副作用の辛さや、進行してしまった癌の生存率の低さは癌になったことがない人でもよく知っていると思います。
ましてや患った本人ならなおさらでしょう。
向かいのベッドの女性も生きるための選択として追加治療を承諾したらしく、次の日の朝から薬の投与を受けるためのいろいろな処置を始めました。
私は事前の検査で一応のステージはわかっていましたが、前述した通り子宮癌は子宮を摘出してから病理検査が始まるのが普通です。つまり検査だけでは実際癌がどこまで進行しているかも予後もわからないということで、私は目の前で抗がん剤投与の話を聞いて急に不安になりました。実際、追加治療の必要もあるのでと事前に説明もされていましたから、余計に恐ろしく思ったのです。
そんな不安を抱えたまま眠ったからでしょうか、不思議な夢を見たのです。
もう消灯前という時間で早く寝たいのに、痛み止めは聞いているのに寝やすいように少しでも動くと傷は引き攣れて痛む。エアコンが入っていても蒸している気がしてなかなか寝つけず、しかも術後しばらくは夜中も定期的な血圧測定や検温があるのでうとうとしかけた時に限って看護師さんが入ってきて目が覚める。それを何度か繰り返し、仕方がないので睡眠薬を処方してもらってやっと眠れるような気がしたのが確か夜中の二時時前くらいだったと思います。
夢の中で私は壁に囲まれた真っ白な空間にいて、そこにはなぜか兄も一緒にいました。お互いに小さいころの姿で、兄は私に背中を向け何かをしています。兄が何をしているのか気になって声をかけようとしたら、どこからかコツンコツンという壁に固い何かをぶつける音がしてきました。
その音は妙に規則的なのに、ふらふらと揺れながら近づいてくる感じがします。何の音だろうと思って辺りを見回すと、兄のすぐ近くを巨大なすずめばちが石を抱えてふらふらと飛んでいました。
三十センチくらいはあろうかと思うすずめばち―――重さに耐えかねているのか、それともわざと音を出しているのか。石が壁にぶつかるコツンコツンという音は止まず、どんどん音は大きくなってきます。そんな巨大な蜂に刺されたら死んでしまう。そう思って、背を向けたままの兄に【兄ちゃん、大きいハチがおるからゆっくり逃げぇ】と小声で注意を促しました。兄は相変わらず背を向けたままでしたが、いったん兄の横で動きを止めた蜂は私に気が付いたらしく、真っ黒い目をこちらに向けてゆっくりと飛んでくるのです。
コツン、コツン。
恐ろしいほど巨大なすずめばちなのに、あの空気を震わせる大きい羽音は全くしません。ただ石が壁にぶつかる音のみを響かせて、ゆっくりとこちらへ近づいてくるのです。
それは足元に来ました。
つるりと光沢のあるプラスチックの玩具の様な質感。近くで見ればやはり大きく、ラジコンか何かというような大きさは非現実ではありましたが、何故かまったく怖くはないのです。
ただ、刺されたら死ぬだろうし、噛まれても相当痛い。それは現実のすずめばちと同じでしょう。こいつはこちらから攻撃をすると必ずやり返してくる。だからできるだけ静かに普通を装って距離を取り、しかしなぜか近くに転がっていた大きな瓶を手に取ると私の足に今にも止まろうとしているすずめばちを、捕獲してどこか遠い所へ捨ててこようと思ったのです。
【○○!!こっちへ来んさい!!】
瓶を持って捕獲のタイミングを計っていると、急に大きい声で名を呼ばれて後ろから誰かに腕をつかまれて引っ張られました。
急に意識が戻ってきて何事か叫んで飛び起きた瞬間、どこか遠くですずめばちが石をぶつけていたコツン、コツンという音が聞こえた気がしました。
乱れた呼吸を整えながら辺りを見渡すとそこは自分のベッドの上です。病棟内は静まり返り、音といえば同じ部屋の人の寝息と自分の呼吸と速い心臓の音だけ。急に現実に引き戻されたためか暫く夢と現実の区別がつかず混乱したまま喘いでいると、向かいのベッドの方から魘されている様な声が聞こえてきたのです。
変な夢のせいで眠れなかった私ですが朝方ようやく眠気が差し、朝の採血の後またすぐ眠ってしまいました。今度は変な夢は見ませんでしたが、昼前に目が覚めた時、向かい側のベッドの患者さんは既に薬の投与中でその日は一日中カーテンが開くことがありませんでした。
四日、五日と過ぎていくと痛みは完全に引き、身体に通されていた管や点滴は全部外されある程度は自由に行動ができるようになりました。夢の事も特に気にはならなかったのですが、ただ一つだけ……向かいのベッドの女性のことが気になりました。
私が変な夢を見た日から治療が始まったようなのですが、容体は日に日に悪化をたどっていき、その後三日ほどでほとんど飲み食いもできず動けもせず意識もはっきりしないという状態になっていました。娘さんが日中つきっきりでいるのですが、出入りの際時折見える患者さんの様子は【骨と皮が横たわっている】という姿になっているのです。新しい治療が始まるまでは動いて食べて話もしてしたはずですが、たかが三日ほどで人間はここまで痩せるのかというくらい痩せています。
退院予定の前の日私はすべての検査を終え、定期的な通院のほかには追加治療なしとお墨付きをいただきました。今のところは病巣も転移の形跡も見られないということで、晴れて翌日には退院というところです。
最後の夜には既にシャワーも解禁されていたので、食事を終えてお風呂に入りあとは眠るだけという時間になった頃。
看護師さんが三人病室に急いで入ってきて例の患者さんのところに入り、バイタルがおかしい反応を見せたと慌てています。どうやら心拍数や血圧に異常が見られたらしく、しばらくして夜間担当医が部屋に呼ばれて入ってきました。
そういえば、少し前に正面のベッドから何度かうめき声が聞こえていたような気がしました。先日の夢を見た後聞いた、あの声と同じようなうめき声です。
【○○さん、○○さん。どこか苦しいとか痛いとかいうところはないですか??】
【聞こえていますか○○さん。少し胸を開きますね】
そろそろ病棟全員が寝静まろうとした時間のことで、騒ぎは隣室や向かいの部屋まで聞こえています。何事かと廊下まで出てきた人もいるようで、同じ室内の私たちは気が気ではありません。皆息を殺すようにして様子を見守っていました。
【心臓の機能が弱っている恐れがある。これは詰所にベッドを移動させたほうがいいですね】
医師がそういうと、看護師たちは既に意識がない患者さんに色々と話しかけながらベッドの移動を始めました。患者さんは看護師の詰め所に移動し、どうやらそこで暫く経過を見るようです。
(…………)
一通り移動が終わると辺りは急にしんとして、しかし私の部屋は詰所そばの部屋なので、何かの電子音が規則正しく聞こえてきます。
電子音特有の規則だだしいが無機質な音と、ナースステーションの奇妙に白っぽい明りが妙に不安を煽り立ててなかなか眠れません。
(大丈夫だといいけど……)
そう思いながらベッドでゴロゴロしていると、再び病室に入ってくる人物がいます。今度は看護師さんや医師ではなく、どうやら患者さんのご家族のようでした。 本人の貴重品を取りに来たらしくすぐに部屋から出て行ったのですが、その後しばらくして男の人の怒鳴る声が聞こえてきました。
真夜中にもかかわらずご家族を呼んだということは、患者さんの容体は非常に危ないということ。
この前日の昼間、たまたま旦那さんが担当医とお話をしているの見かけました。旦那さんは恰幅がよく穏やかそうな印象を受けたのに、喚き散らすというのが相応しいほどの怒り方できっと婦人科病棟の端まで響いていたことでしょう。担当医もまさか数日でここまでになるとは思っていなかったようでした。
結局朝まで眠れずそのまま退院ということになりましたが、患者さんは病室まで戻っては来ませんでした。真夜中に少し騒がしくなり、どこか別の場所へ運ばれていったらしいことはわかったのですが、どうなったのかはそれっきりわかりません。病室は貴重品以外荷物がそのままにされていたので、その時点で亡くなっていないことは確かです。
私自身はこれから五年間は癌の転移や再発を懸念しつつも、徐々に普通の生活に戻りつつあります。できれば五年でも十年でも何もなければいいのですけれど。
あの患者さんと私が見たすずめばちの夢とは一見関係がなさそうです。
ですが私はあの時すずめばちに噛まれていたり刺されていたりするとどうなっていたのでしょうか……無謀にも捕まえようとした私を(誰か)が呼んでくれなければ、もしかしたら予後はもっと悪いものだったかもしれないし、いまだに入院をしているのかもしれません。
それに、少し気味が悪い想像なのですが。
あのすずめばちはもしかして、最初は兄の元に行くはずだったのかもしれません。それが声をかけた私に気が付き、目標を変えて狙っていた私が誰かに呼ばれて引っ張られて目が覚めたために、夢の中のすずめばちは目標を失い真正面のベッドにいた患者さんの元に行ってしまったのではないのかと。私が目覚めた瞬間に夢に魘された様にうめき声をあげたこと。夢を見た日から目に見えて容態が悪くなっていったこと―――こじつければきりがありませんが。
すずめばち @tori-0123
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます