012『拷血事件:公調』
千代田区警視庁本部庁舎 第一会議室改め連続拷血(ごうけつ)事件対策室。
高田渡の遺体発見現場となったマンションでは夜を徹しての捜査が行われた。
それによると、犯人の侵入経路はベランダから。建物外の雨どいを伝って登って来てベランダの窓の一部を割って室内へ侵入。その後、リビングの窓からロープか梯子を使い仲間を引き入れた様である。そして、そのまま室内で待ち伏せ、高田氏の帰宅後に犯行に及んだと推察している。
早朝、作晩から対策室内で待機していた長部の元へ、監察医からの検死報告書が届けられた。
それによると宝石商の高田氏の死因は、血液を抜かれたためのショック死ではなく、元々の持病である動脈硬化を原因とした心筋梗塞であったらしい――。
「ああん、こりゃどう言う事だ」寝ぼけた頭の長部が呟く。
「尋問で縛られてたから薬が飲めなかった……とかじゃないですかね」同じ報告書を読んでいた長部の部下の刑事である岩倉がそう答える。
「ああ、そっか……」
そう言えば高田氏の寝室からは心臓病の治療薬が見つかっている。
しかし、そうなると高田氏は拷問を受ける前に死亡した事になる。だとすると例の不死の妙薬なる物は手に入れることが出来なかった可能性も出て来る。
――ちっ! まずいな。浅見の野郎の言ってた通りこの事件はまだ続くかもしれねえ……。
「そんで、香港警察はどうなってやがる」頭をガリガリと掻きながら長部は続けて岩倉に質問した。
「第一被害者の本田強一の自宅はガサ入れたそうですが、何も出てこなかったそうです。そんで、例のチャイニーズマフィアの黒蛇ですけど、本来、奴等のシマは福建省にあるらしくて香港警察じゃ構成員が割れて無いらしんで、いまICPOを通じて人民警察に問い合わせてますが……感触は良くないですね……」
「ああん、どう言うこった」
「それがどうにも、その黒蛇のボスって言うのが昨年死んじまったらしくて、現在跡目争いで内部抗争の真っ最中らしいんですわ……」
「そんで、何で情報が出てこないんだよ」
「いや、そのボスってのが “黒牙” と呼ばれてた謎の人物なんですけど――どうやら、その死亡時期から考えて中国共産党にも権力を持っていた伯汪老って人物じゃねえかって噂されてまして……。人民警察が二の足を踏んでんですわ……」
「ちっ! 政治絡みかよ。どいつもこいつも使えねえな……。おい、元井に言ってとっととコンビニ映像から容疑者の面出せって言っとけ」
「うっす」
部屋を出ていく岩倉の背中を見つめ長部は呟いた。
「何とも嫌な流れだぜ……」嫌な予感が頭をよぎる。
このままでは、もしかすると中国人民警察から情報を得ることが出来ないかもしれない――。となると、そう言った海外の犯罪組織の情報を得られる所は限られてくる――。
「ちっ! 最悪、公調に問い合わせるしかねえか……」
長部は愛用の黒革製のオフィスチェアーに深く腰掛け、上を向いて大きく息を吐き出した。
公安調査庁には対テロ対策として、世界中の諜報機関から集めた犯罪組織に関するマスデータが存在している。
だが、長部は公安調査庁の事を毛嫌いしている。
すでに国際犯罪になりつつあるこの事件。協力を要請すれば間違いなくそれを受けてくれるだろうことは判っている。しかし、それは同時にこちらの捜査に公調が首を突っ込んでくることを意味している――。長部にはそれが許せなかった。
……約十年近く前の事。
長部がベテラン刑事になった頃、日本の暴力団が中国から大量の大麻を持ち込んだ事件があった。そして公調へと捜査協力を申し込んだ。その結果、その暴力団を壊滅に持ち込むことが出来た。しかし……。
輸出先の中国の犯罪組織からは、たった二人の逮捕者しか出なかったのだ。
後になって判った事だが、その時、公安調査庁は勝手に中国側の犯罪組織と接触し、日本側の暴力団の情報を得るために秘密裏に取引をしていたのである。結局はその情報を基に取引の全貌を知ることが出来、逮捕に繋がった……。しかし、逆に中国の犯罪組織側にはこちらの捜査状況は筒抜けになることになり、連中の大半をおめおめと取り逃がしてしまったのだ……。
公安調査庁は諜報機関であって捜査機関ではない。その権限もごく一部の集団犯罪に限られる。逮捕権を持つ警察とはスタンスが違う……。それを判っていても長部には結果的に犯罪組織に手を貸した公安調査庁が許せなかった。大事の為に小さな事には目をつぶる――現場で多くの犠牲者の嘆きを見てきた長部には特に看過できない問題なのである。
――とは言え、あれから十年は経っている……。
公安調査庁の人員もほとんど当時とは入れ替わり、調査の仕組みも変わってきている。長部自身も警部補に昇進し、現場の指揮を任される責任ある立場になっている。それに、今は一刻も早く容疑者を絞らなければいけないのだ。
「さて、どうすっかな……」小さく呟き長部はポケットから仕事用の携帯を取り出し操作した。
画面には……『公調・特殊事案調査室 室長:小泉薫』の文字。
――いけすかねえ女だが、今回の担当はこいつだって言うしな……。
長部も浅見同様に小泉の事を嫌っていた。
浅見と程同期のこの女性は、エリート街道まっしぐらの幹部候補生である。仕事は真面目で頭は恐ろしく切れる。だがその反面、自分の周囲の人間を手玉に取って、駒のように使う女なのだ。人間味が無さすぎる。
そして、何より謎が多すぎる――。
各省庁に独自のパイプを持ちそれを自在に操っている。のみならず、海外の政府関係者にも知り合いが多いらしい。以前こいつの下で働いていた浅見でさえも、この女の素性を追い切れなかったと言っていた――。――本当に人間なのか?
だが、今は四の五の言っても仕方がない。
携帯の文字を選択し、電話を掛けようとした。その時、だった……。
「おやっさん! 今、高田渡の妻を名乗る女がテレビの報道を見て出頭してきました!」
対策室の扉を開けても一人の部下が飛び込んできた。
「ああん? 妻? あいつ結婚してたのかよ」
「いえ、銀座でホステスをしてる女で、名前は三好幸子……恐らく高田の内縁の妻です」
「良し分かった。俺が聞き取りするから取調室、空けといてくれ」
「はい」
長部は昨晩からほとんど寝ずに対策に追われ、完全に寝ぼけてしまった頭を振って目を覚ます。
――さて、もう一仕事、先に片づけるとするか!
そして、勢い良く、愛用の黒革のオフィスチェアから立ち上がった。
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