002『浅見真:歴史』

002『浅見真:歴史』


「おおい! 浅見居るか!」長部はドンドンと乱暴にドアを叩く。

「……」どこからも返答は聞こえてこない――。

「おおい! 浅見! 浅見!」今度はドアを開け大声で呼びかける。

「んだよ……おっさんじゃねえか」長部の背後から小さく声が聞こえた。

 長部の渾名は “おっさん” 又は “おやっさん” と呼ばれている。

 振り向くとジーンズに白のTシャツを着て、手に竹箒を持った引き締まった体の男が近づいて来た。先日、退職したばかりの元公安調査庁調査官の浅見真あさみまことである。


「何か用なのかよ」めんどくさそうに浅見は問うてきた。

「お前こそ何だよこりゃ、探偵始めんのかよ?」長部は右手で表札をコンコンと叩いて見せた。

「ああ、それはここの神社の巫女が勝手に書いたんだよ。嫌がらせみたいなもんだ、気にすんな」

 ――嫌がらせ? ああん、どう言う事だ?


 縦約1メートルの立派なヒノキ材に書道家の書いたような美しい文字で 〝浅見探偵事務所〟 と書いてある。

 ――確かに玄関脇にこんなものを勝手に置かれたら邪魔になってしょうがないか……いや違うだろ。


「茶でも入れるぞ、飲んでけよ」浅見はそう言いながらタオルで汗を拭き、竹箒を壁によりかけ室内へと入って行った。

 長部もその後に付いて行く。

 外観は普通の一軒家だが玄関を開けたそこは事務所の様になっていた。靴のまま室内に入る。

 置かれた調度品は新しく、室内にはまだ真新しい建材の匂いが漂っている。

 部屋には机が四つまとめて置かれ、それぞれにパソコンが設置されている。

 壁際にはまだ何も入っていないスチール棚が置かれ、その向こうは衝立を隔て応接室になっている。


「へえ、立派な家を建てたじゃねえか」長部は皮肉交じりにそう言いながら応接室の方へと進み、ソファーにドカリと腰かけた。

「違うよ、ここは隣の神社の持ちもんなんだ。今は間借りさせてもらってる」浅見が部屋の隅のポットで急須にお湯を注ぎながらそう答える。

 ――神社に間借りして探偵?「ふーん、うまくやりやがったな……」長部は気の無い返事を返す。

「だから違うって、今、私は隣の神社の手伝いをやってんだよ」

「ん? 探偵は?」

「だから、あれは神社の巫女が悪乗りして書いたんだよ。暇なら何かしろってさ」そう言いながら浅見は鼻白む。

 ――成る程そう言う事か。いや、何かが間違っている気がする……。


 浅見はしっかりと茶葉を蒸らしてから、手慣れた手つきでゆっくりと湯のみにお茶を注いだ。

 それを茶菓子の盛り合わせと一緒に差し出した。「どうぞ」

「おお、すまんな」湯呑を手に取り口を付ける。

 よほど上等な茶葉なのだろう……、すっきりとした新緑の香りに心がほぐされていくのを感じた。そして、茶菓子にも手を伸ばす。



 長部は公安調査庁の事を嫌っている。

 連中はいつもデスクに座ったままで情報だけを差し出せと指示をしてくるからだ。たまには逆に情報を流してくれることもあるが、それはいつも向こうの思惑があっての事なのだ。人を使ってうまく躍らせる存在それが彼にとっての公安調査庁のイメージである。

 だが、この浅見と言う男だけは少し違っている――。現場に足しげく通い、少ない情報からでも論理を組み立て事件を追う。熟練のマタギ(狩人の事)のような男――現場の刑事にも通じている。いつかは自分の部下に欲しいと思わせる。それに、こいつとは妙に馬が合う――。それが長部にとっての浅見のイメージなのだ。

 

「んで、何の用だよおっさん。茶化しに来たわけじゃないんだろ」自分の湯飲みを傾けながら茶を啜る浅見。

「なあ、浅見。今回の事、公調は何処まで把握してる」鋭い目つきで長部が問い返す。

「私はもうあそこを辞めたんだ、知る訳ないだろ」

「噂位は聞いて知ってんだろ」

「吸血鬼事件の事だよな……」

 そして、浅見はゆっくりとしたペースで話し始めた。



 そもそも、血を抜く行為は古代中国の拷問やベトナム戦争時に行われていたそうである――。


 日本で有名な所では終戦すぐの1949年(昭和二十四年)の下山総裁事件だろう。

 日本が連合国の占領下にあった1949年七月五日、国鉄総裁・下山定則が出勤途中に失踪、翌七月六日未明に礫死体となって発見された事件である。当時、自殺説・他殺説の両方が取りざたされたのだが、現場に残された血痕が少なかったせいで、死ぬ直前に血を抜く拷問を受けたのでないかと囁かれた。

 近年外国ではISISや中国軍が脱走防止に捕虜の血を抜くという行為に及んでいる。

 そして、最近では一部のチャイニーズマフィアが拷問の手口として行っているという。


「……最も近かしい所では、一月の香港の事件かな――強盗団の一団が対立する組織によって壊滅させられた。その遺体からはどれも血が抜かれてたって話だぞ」と浅見は淡々と説明した。

「おいおい、今回の事件がそれに関係してるってか」思わず語気を荒げる長部。

「私だったら先ずそこを調べるね。まだ、身元も割れて無いんだろ……」そう言って浅見はニコリとほほ笑んだ。

 ――ちっ! 嫌なヤローだ。話しても無いのに嫌な所をついてきやがった。しかし、チャイニューズマフィアか……。確かに、もし密入国の中国人なら検索に引っかからないのも頷けるか……。後で少し調べてみるか。


「……確か名前は黒い蛇で “黒蛇” だったかな……」そう思案顔で浅見は言った。

「そいつは、でっかい組織なのか」

「ああ、中国共産党とも繋がりがあって福建省辺りじゃ有名だよ」

「ふ-ん、んで何やってる連中なんだ」

「何でもさ。強盗、窃盗、誘拐、麻薬に盗品売買、何でもさ。でもメインは密貿易だったかな……」

「成る程な……」――こりゃ結構、面倒臭そうな相手だな……。


「まあ、問題は奴等が何を探しているかだよな……」浅見はポツリと呟いた。

「何? そりゃ、どういうことだ!」

「だから言ったろ、血を抜くのは普通の場合、拷問なんだ。だから、恐らく何かを聞き出すために時間をかけて殺したんだよ」

「おい、それって……」


 どうやら長部が考えている以上にこの事件は根が深い。そう言う事なのだろう――。

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