遥か蝶の調

エリー.ファー

遥か蝶の調

 泣いている人を見つけて、そのまま放置する。

 別にその人間のことが嫌いだったわけではない。

 一緒に泣いてしまうと思った。

 蝶であるのに。

 蝶であるはずなのに。

 人間のことを想っていた。

 時たま、蝶である我は眠るたびに人間になった夢を見る。

 不思議な心地である。

 どちらであるか。

 どちらなのであるか。

 人間の夢なのか。

 これは。

 蝶の夢なのか。

 それは。

 これは、と、それは、という言葉を使っている時点で、我は自分がどちらに主を置き、夢を見ていると確信しているようである。

 そのようであるはずなのに。

 不思議と、我は、今日も、そしてその次の今日も、そのまた次の今日も。

 同じように人間に同情をする。

 人間のような心地の時も、花の中で動きまわる蝶たちを見つめて懐かしく思うのである。あの中に居れば、いつまでも、あの風の中を通る、心地よさを感じることができるのかと。

 あんなにも羨ましいと思えることがこの世の中にあろうか。

 と。

 しかし。

 蝶になれば、今度は人のようになりたいと思う。

 人のように言葉を話し、人のように生き、人のように人を愛したいとさえ思う。

 寂しくはない。

 蝶である我には、しっかりと愛する存在がいる。

 寂しくはない。

 人である我にも、しっかりと愛する存在がいる。

 すべてが満ち足りている。何一つかけることなく、夢の中でも、外でも、夢の内でも、壁でも、夢の花でも、砦でも、夢の音でも、味覚でも。

 満足している。

 我にはすべてがある。

 神は、我を愛したのだと思う。

 新しい花が咲くころに、季節は移り変わったが、我も、愛する存在も、生き残ることができた。

 不死身になっていた。

 不死身になっていた。

 ということは。

 こちらが夢なのだと断定することができた。

 しかし。

 人である時も。

 不死身であった。

 周りが死ぬのに、愛する存在も死なない。

 我も死なない。

 永遠に愛し続けた。

 それこそ、その不思議さは、理解しがたい観測者としての使命すらない。それこそ、ただ春の夜の夢のごとしと片づけられるわけでもない。

 誰にも聞けず。

 何からも伝えられず。

 死ぬことはできず。

 幸せに命を伸ばし続ける。

 心は穏やかであり、常に冷静である。何もかも、知ってしまったことで発露する、思考の行きつく先は、巡らす意味さえとるにたらないと理解できる。

 これは、宗教ではない。

 理解したのだ。

 真理。ではない。

 真理などないと。

 ただ、ひたすらに、心の底から理解する。

 疑うこともせず、飽きることもせず、熱中することもせず。

 ただ、目の前の事象だけを見つめて、その向こう側の景色すら見える様になって、意識を飛ばす。

 気が付けば、奢ることなく神になれると確信する。

「神になれますか。」

「なろうと思えば。」

「神はどこでしょうか。」

「どこにでもおります。」

「神になれますか。」

「貴方の人生の神は貴方でしょう。貴方以外の何が、貴方を支配するのですか。」

「支配されたいのです。」

「何故。」

「考えたくありません。」

「悩みたくないと。」

「迷いたくありません。」

「考えること、悩むこと、迷うことすらもしなくなることを、悟ると表現する者もいます。」

「では、悟りたいのです。」

「悟りきったら、命あるものなど死んでいるのと変わりませぬ。」

「貴方は、誰ですか。」

「かつて、貴方であった、誰か。そして、これから貴方がなる、我です。」

「悟りました。」

「悟ってはいけない。悟って自分を捨ててはいけない。」

「誰よりも遠くに行きます。」

「自分を強く見せようとしてはいけない。ここで生まれて、ここに還ります。ここから流れて、ここに還ります。」

「分かっています。」

「理解と納得の違いはご存知ですか。」

「分かりません。」

「理解するために努力することはあっても、納得するために努力するのは不健全です。」

「何故ですか。」

「納得という言葉に、貴方の心という指針以外が必要ですか。」

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