第二幕

第14話 お姫様はレースのスタートをする!

 その日、街の朝は、いつもの十倍は騒がしかった。

 なんといってもグランドクロスのスタート時間が近づいている。

 街の住人たちは、滅多に無い一大イベントに大興奮だった。

 今回、参加する機体は、全部で105機。

 帝国内からの参加はもちろん、大陸各国から飛行士が参加している。

 出発は一度にできる数ではないので二十機ほどのグループを分けて4等分する。

 帝国の4箇所の飛行場から別々にスタートするのだ。

 各機、滑走し始めたところから次の第一チェックポイントまで時間を計測して順位を決める。そして翌日の第2チェックポイントへ向かう時は、前日の順位で飛び立っていく。その際、各機は、後続機とのタイム差分だけ離陸時間を遅らせスタートしていく。これを次のチェックポイントでも繰り返していく。

 こうしてレース2日め以降からは、各機の距離の差は同一スタートで行った場合と同じになるとになり勝敗が決められる。

 前回の優勝者は、ロクサーヌが憧れる飛行士ジェームズ・マカデン中佐だった。

 彼の乗るスピリット・フレアは、帝国の西に位置する島国の主力機で、彼もそこの出身だった。古くは帝国との争いをしていた歴史もあるが、今では友好国だ。そして今大会の優勝最有力候補でもある。


「おい! ロクサーヌ! そろそろ暖機運転を始めておいた方がいいぞ!」

 リュカが飛行服に着替えているロクサーヌに呼びかけた。

 いつもの飛行服に赤く染めた新しい防寒着を着込むロクサーヌ。

「お似合いですよ。ロクサーヌ様」

 着替えを手伝っていたマヤが言った。

「少し派手かな」

「いえ、クリムゾン・クレインの色に合っているし、誰かにロクサーヌだと気づかれたらいけませんから。ああ、マフラーも深く巻いて顔を隠してくださいね。少なくとも地上にいる間は」

「わかった」

 白いマフラーで口元を隠すように巻く。

「どう?」

「それもお似合いです」

「お似合いといえば、昨夜のマヤもいけてた」

「や、やめてください」

「悪い気はしなかったでしょ?」

「それは……」

「モテモテだったものね。特にグランゼル伯爵には」

「ありえません! だって、伯爵は、ロクサーヌ様の」

「いや、違うから、勝手に向こうが言い寄ってくるだけだから」


 着替え終えたロクサーヌは、グローブとゴーグルを持ってクリムゾン・クレイン号へ向かった。

「遅いぞ!」

「女の子は身だしなみが大切なのよ」

「こんな時だけ女の子だよ……」

「何か言った?」

 ロクサーヌがリュカを睨みつける。こんな時にはそれ以上何も言えない。

「な、なにも。ほらよ。ヘルメット。今までのはバレるから使えないから」

 リュカの投げた新しいヘルメットを受け取るロクサーヌ。

「ケルンに接近したら海からの風に注意しろよ。ベンソンのおっさんが言うには思ったより強いって話だから」

 最初の都市は帝国の海岸一番都市ケルン。

 国境に最も近い大都市でもある。貿易港としても帝国第二位を誇る都市で人も多い。だが、海側から吹き込む風が強いのも有名なところだ。

「カズハ。コースには用心してな。うまく風に乗ってくれ」

「了解です、リュカ」

 後部座席に乗り込んだカズハが親指を立てた。

 その後、ちらりと機体の下の方に目をやると兄のカズトが笑顔を見せ軽く手を上げていた。その兄に対しても親指を立ててみせるカズハ。

 通話管から声が聞こえる。

「カズハ。コースに出るよ」

「了解、ロクサーヌさん」

「もう、ロクサーヌでいいよ。空でのやり取りは速いほうがいいし」

「了解、ロクサーヌ」

 クリムゾン・クレインは、推進動力を緩めて進み、滑走路へ向かった。

 それを見送るリュカとマヤ、そしてベンソンとカズト。

「お嬢様は、何番目だ?」

「5番目」

 大会の係員がクリムゾン・クレインを規定のコースに誘導していく。少し離れた場所にはロクサーヌたちより先に飛び立つ機体が滑走路で待機しているのが見えた。

 途中、ロクサーヌたちの後に飛び立つ予定の機体の横を通り過ぎた。

 それは、軍でよく使われる機体だった。軍の払い下げの機体を改造して乗り込む飛行士は多いが、大体が旧式だ。だが、横に見える機体はごく最近の機種だ。ロクサーヌは、それが気になった。

 ちらりと計器の横に取り付けたバックミラー越しにカズハを見る。カズハも機体が気になるようでじっとみつめていた

「珍しい機体よね」

「はい……」

「どうしたの? 何か気になる」

「いえ、べつに……」

 ロクサーヌの問いかけにカズハは素っ気ない返事をしただけだった。



 一方、カズハの見ていた機体の飛行士たちも同じくクリムゾン・クレインの方を見ていた。

「あれ、紅鶴じゃないのか?」

 操縦を担当する飛行士が最初に気づいた。

「そうかな、少し色が違うぞ」

「そんなことない。色は少し違うが、あのフォルムは他にはない」

 後部座席の男が双眼鏡をのぞいた。

「乗ってる奴は違うみたいだけどな」

「よく見てみろ」

 そう言われて再び双眼鏡で見る。

「やっぱり、違うよ。いや……操縦しているやつはマフラーで顔がよく見えないな。後部座席のは顔はよく見えないが黒髪だ」

「怪しいぜ」

 操縦席の男が、機体の下に付き添っている整備の男を呼んだ。

「おい! こっちのグループで紅鶴らしい機体を見つけた。急いでボスに伝えろ」



 離陸の順番が近づいてきたクリムゾン・クレインが滑走路に入っていく。

 滑走路沿いにやってきたリュカとカズトがロクサーヌたちに手を振る。それに手を振り返すロクサーヌ。カズハもロクサーヌほどではないが小さく手を振った。

「さあ、いよいよだよ」

「はい!」

 係員の合図を受け助走を始めるクリムゾン・クレイン。

 緊張していたのか、いつもだったら怠らない水温計の確認もすっかり忘れてしまう。

 機体の速度が徐々に上がっていく。

 落ち着け……落ち着け……

 速度が乗った時に、翼のラダーを上げた。

 クリムゾン・クレインの機体が一気に急上昇していく。

「ロクサーヌ、勢いがつき過ぎです」

「ご、ごめん」

 元々、出力の高いクリムゾン・クレインは、必要以上のスピードで空に駆け上がり、見ていた観客たちは、その勢いの良さに歓声を上げ盛り上がった。



「あいつにしては、雑な離陸だな……大丈夫かなぁ」

 観客の騒ぎをよそに、離れていくクリムゾン・クレインを見送りながら、リュカが呟いた。

「晴れ舞台で、あの、お嬢様でも緊張しているんだろうさ」

 ベッソンがワインを片手で言う。

「あ、おっさん、また酒か!」

 リュカがベッソンの持ったワインの瓶をもぎ取った。

「なにするんだ!」

「レースが終わるまで酒は禁止だ。輸送機の操縦もしてもらわなければならないんだかな」

「飛ぶ頃には酔いは冷めてる」

 そう言ってベッソンがワインを奪い返す。

「そんなのわからないだろ?」

 再び、リュカがワインを奪い取る。

「とにかく、レースが終わるまでは我慢してくれよ。おっさん。終わったら、俺が上等なワインを奢ってやるからさぁ」

「本当か? 小僧」

「本当だよ。俺、酒屋にも顔が効くんだ。良いワインの追いてある店も知ってるし」

「わ、わかった。酒は預けておく」

 ベッソンは納得したようだ。

「リュカ、ベッソンさん。そろそろ僕たちも」

 カズトが声をかけてきた。

「そうだな。よし、俺たちも行こうぜ」

 サポートの為、小型の輸送機に乗ってリュカたちもロクサーヌたちの後を追ってチェックポイントであるケルンに向かうのだ。

 こうしてグランドクロスがスタートしたのである。


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