第9話 動乱
「アリシアと緒音人くんは、ここからしばらく離れたほうがいいかも知れん」
ぼくはなにか言いたかったが、それを言う前に、司祭さんが続けた。
「昨日で治療士の大半がいなくなり、患者さんもいなくなり、大事故で大忙しの中、みなよくがんばってくれた。特に緒音人くんの『ヒールフル』がなければ、今日中に全員を完治させることはできなかったはずだ。そのあたりのことは礼を言いたい。しかし……」
司祭さんは深刻な表情をしていた。
「実は今日の昼、この街の衛兵団に相談をした。例の『殺人鬼』のことについてな。そして、すでに…… 『殺人鬼』にはここが見つかっている想定で動いたほうがいいという話になった。それにあたり、衛兵団の中でふたりを保護してくれることになったのだ」
そういえば司祭さんが昼過ぎにどこかに出かけていた。衛兵団に相談しに行っていたのか。
「もちろん、『殺人鬼』にはまだ正確な場所がつかめていない可能性もある。この国の出身なのは間違いないだろうが、王都にいるかも知れないし、遠い別の街にいる可能性もある。だが、『リヴァイヴ』の光は見えていたと考えておくべきだ。しばらくの間は衛兵団の中で保護を受け、ほとぼりが冷めたら戻ってくるといい」
司祭さんなりに、きっとぼくとアリシアさんに今までどおりの生活をさせようと考えてくれていたはずだ。
しかし、誰も攻撃魔法が使えないこの治療院で、頼るのは衛兵団しかいない。そして、衛兵団に相談すれば、こういう結末になるだろうことは想像がついた。奇しくも、昨日捨てぜりふを吐いて出ていった若い治療士の言う通りになってしまった。ぼくが不幸を呼び込んでしまったのだ。
「司祭さん、アリシアさん、本当にごめんなさい……」
ぼくは深々と謝罪した。
すぐにアリシアさんが、ぼくの肩に優しく手を置いた。
「あなたは謝るようなことはしていませんよ。ふたりで少し隠れるだけです。緒音人さんも疲れているし、衛兵団のところでゆっくり休みましょう? そしてまた、治療院に戻ってきましょう」
アリシアさんは優しく微笑んだ。アリシアさんの微笑みに救われた。
「ふたりとも、すまんな……。今日の夜で支度をして、明日の朝一番で衛兵団のところに向かってくれ。半年ほどはかくまってくれるらしい。そうすれば、『殺人鬼』がこのあたりを捜索し始めたとしても、ふたりを見つけられずに肩透かしをくらう。そのうち諦めて別の場所に行くだろう。そうなれば、はは、無事にまたふたりともここに胸を張って戻ってこられるというものだ!」
司祭さんも優しく笑った。ぼくもそうするのが最善なように思えた。
しかし……同時に別の疑問も頭の中に浮かんできた。昨日の若い治療士が言っていた言葉だ。
『あいつは、この国のどこかで、誰にも気づかれないよう人混みに紛れ込んで暮らしてる―――』
『殺人鬼』が、遠くの街で『リヴァイヴ』の光を見て、この街に駆けつけたなら、衛兵団にかくまわれているぼくたちを見つけられないかも知れない。
しかし―――もしも最初からこの街にいる人物だったら―――
ましてや、アリシアさんの顔を最初から知っていたとしたら……?
自分の屈辱を晴らすために、ありとあらゆる方法で復讐を考えるだろう。
そんなことを想像すると血の気が引いてしまった。
もしも次に『殺人鬼』と相対したら、アリシアさんを守りきれるのだろうか……?
うつむいて黙り込んでいるぼくに、司祭さんは1冊の本を渡してくれた。
「君の過去のことは聞かんよ。君がすごい魔法の使い手であることは間違いない。しかしそれでいて、ひどく魔法に不慣れで、不安定でもある。魔法書をあげるから、基本からしっかり勉強しておくことだ。それでふたりの安全ももっと確保されるだろう」
司祭さんがくれた魔法書はずっしりと重かった。しかし、みんなとの意思疎通は翻訳の魔法道具でうまくいっているものの、本の中の文字はさっぱり読めなかった。
アリシアさんが本をのぞきこみ、ぼくの不安を読み取って、
「大丈夫ですよ。わたしが一緒に読んであげます。衛兵団の中での時間、この本の勉強に充てましょう」
と、優しく言ってくれた。
確かに魔法の勉強は最優先だ。今からでもすぐやるべきだろう。最低でも、雷からの防御魔法や反撃方法は知っておかなくては……。
司祭さんは軽く手を叩き、
「さあ、ふたりとも今夜のうちに支度をしてしまいなさい。わしたちはここでずっと待っているから、しっかり勉強して帰ってくるんだぞ。はは、さぼったりしては承知せんからな」
と笑顔で言ってくれた。アリシアさんも司祭さんも、みんないい人たちだった。
そして夜の報告会も終わり、ぼくは自分の身支度を―――といっても、もともと持ち物は服しかなかったから、支度が終わるのはあっという間だった―――を終えてから、ベッドの中に入った。
その日の夜は、なんだか眠ることができなかった。
アリシアさんも司祭さんも、明るく接しているけど、こんな不幸に巻き込んでしまったのはぼくのせいなのだ。
アリシアさんは女性治療士の部屋で寝ているから、様子はわからないけど、落ち込んだりはしていないだろうか。
治療や介助が何よりも好きな女性なのに、仕事を遠ざけてしまって、本当にこれでよかったのだろうか。
考えているうちに朝になってしまい、あまり眠らないまま、アリシアさんと衛兵団のところに向かうことになった。
治療院の前で、見送ってくれる司祭さんや治療士さんたちに挨拶をした。アリシアさんの身支度はバッグがひとつで、着替えなど一式が入っているらしい。
司祭さんは、「しっかり勉強しろよ」と最後まで笑顔で見送ってくれた。
衛兵団のところへ向かう途中、市場を通った。
アリシアさんは、「あれが美味しいんですよ」「あれを買っていきましょう」「空がきれいですねぇ」と、終始明るく話しかけてくれた。その優しさがとても申し訳なかった。
衛兵団の詰め所は、街の一番奥に、砦のような堅牢さで作られていた。
この中の一室にかくまってもらえれば、まず『殺人鬼』の目につくこともないだろう。
しかしこの日、詰め所前に立っている衛兵は1人もいなかった。大きな扉にも鍵がかかっておらず、開きっぱなしのままだった。
「? 妙ですね……」
アリシアさんが扉を開け、詰め所の中をのぞくと…そこには凄惨な光景が繰り広げられていた。
人間だったと思わしきものたちのパーツが、あちこちに散乱していた。
部屋が真っ赤なレイアウトで揃えられていると思ったら、それはすべてここにいた衛兵の返り血だった。
なにもかも、衛兵団は1人も残さず、一夜のうちに惨殺されていた。
そして目の前の大きな壁には、血で書かれた謎の文字があった。ぼくにはまだこの世界の文字が読めない。しかし、アリシアさんはその文字を見て明らかに青ざめていた。
「ア、アリシアさん、これは……」
アリシアさんは、目の前で命がいくつも奪われてしまったことに、とても苦しそうな顔をしていた。
「……弔いましょう……。みなさんの体をこのままにしてはおけません。早くお墓を作ってあげないと…」
現代ならすぐに110番したかったが、この街において、衛兵団が警察の代わりであるらしいため、助けを呼ぶ存在はどこにもいなくなってしまった。
ぼくたちふたりではどうしようもないので、治療院に助けを求めようと言ったが、アリシアさんはそれをものすごく渋った。
アリシアさんがこれだけ治療院に助けを求めるのを渋るのは、あの壁の血文字に関わりがあるのだろうと思い、血文字の意味も質問してみたが、アリシアさんはなかなかそれを教えてくれなかった。
ぼくは、アリシアさんがどうしても教えてくれないなら、血文字をメモし、街の人に聞くしかないとアリシアさんに伝えると、アリシアさんはようやく重い口を開き、血文字の意味を教えてくれた。
「あの文字は…… 『アリシア オネヒト カナラズ オナジメニ アワセテヤル』です…」
ぼくはその言葉を聞いて血の気が引いた。
もうすでに、名前も居場所も、行動も知られている。
ずっと、どこかから見られている。
どこにも安全な場所はない。
ぼくたちは、もうどこにも戻ることはできなかった。
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