第2話
ウィルの言葉通り、門番のヤネフは通路の壁に座り込んで寝こけていた。
「な? 俺の言ったとおりだろ?」
「うん」
通路の角から顔だけ出して門番の様子を窺っていたウィルは、しゃがみ込んで同じように門番を見ていたメッツに囁いた。
いくつかある出入り口のうち、今ウィルたちがいる場所はほとんど使われていない。そのため、人の気配など皆無であり、門番がよっぽど真面目な人物でもなければ真剣に仕事をするはずもなかった。
門番は交代制だ。ウィルの調べたところによると、ヤネフと次の門番が交代するまであと四時間はある。ヤネフは前任と交代したら、すぐにサボって眠ってしまうのだ。
「こっからは音立てるなよ」
とウィルが言うと、メッツは若干強ばった顔でこくこく頷いた。
外へ通じるドアまでは5mと少し。音を立てないように慎重に進むには、思ったより時間がかかる。
壁に背を預けてぐうすか寝ているヤネフの横を通るときが、一番緊張する瞬間だ。しかし、もう慣れてしまったウィルには、ばれるかばれないかというこのスリルを楽しむ余裕すらあった。
後ろを付いて来ているメッツの様子を肩越しに窺ってみる。相当緊張しているのか、操り人形のような動きをしていたので、危うくウィルは噴出しそうになった。咄嗟に口を押さえてなんとか堪える。危なかった。こんなことで失敗なんて、格好悪すぎる。
たっぷり時間をかけて、二人はようやくドアの前に立った。スライド式のドアが開閉する際の音は隠しようもなかったが、音がそれほど大きくないのと、ヤネフがドアから少し離れたところにいたこともあって、気付かれずに済んだ。
ドアをくぐればすぐに外、というわけではない。内部と同じような通路が少しあって、もう一枚ドアをくぐる必要がある。大きく息を吐くメッツを促して、ウィルは先へ進んだ。
途中、通路の真ん中の右側の壁にドアが据え付けられていたが、ウィルはそれを無視した。このドアは、開閉スイッチをいくら押してもうんともすんとも反応しない。壊れてしまっているのだろうとウィルは考えている。
「ここをくぐれば外だ。準備はいいか?」
最後のドアの手前で、ウィルはネッツの方へ振り返って訪ねた。ウィルだって最初は死ぬほど緊張したのだ。メッツがやっぱり嫌だと言ったら、無理強いはしないつもりだった。
「う、うん。いいよ」
かちこちに強ばった表情や竦んだ身体から見るに、全然大丈夫そうじゃなかったが、メッツはやめるとは言わなかった。意外に根性のある親友に、ちょっぴり嬉しくなるウィルだった。
「よし、行くぞ」
言って、ドア横の開閉スイッチを押す。ライトグレーのドアがすぃっとスライドして、湿気を含んだ空気が流れてきた。地上に出るには、さらに目の前の階段を上っていかなければならない。人工灯もランプもない、薄暗い通路から見上げると、ずっと奥にかすかな光が見えた。
これから始まる冒険への期待に胸を膨らませ、ウィルは地上への階段に足をかけた。
外に出た二人を出迎えたのは、よく晴れた青空だった。
前方は見渡す限りに茶色い荒野が続いている。遮るものなど全くなく、上を向けば白と水色のコントラストが視界の隅々までを覆い尽くす。
この一面の青空を前にして感じるのは、地下では決して感じることの出来ない清々しい開放感。初めて見たときの感動を、ウィルはまだしっかりと覚えていた。
ウィルに続いて地上に出たメッツは、予想を遥かに上回る光景にひたすら呆然としている。
「すごい……」
と呟いたきり、声を出すことも忘れているようだった。ウィルは、メッツが自分と同じ感動を抱いている様を見て、思わず顔がにやけてしまった。同じ秘密を持つ仲間が出来た気分だ。
ウィルの後方には、ちょっと歩いたところに林がある。過去の四回はそこをぶらぶらしていたのだが、今回はそちらには行かない。目的のガラクタ山は、前方に広がる荒野を突っ切ったところにあるのだ。
未知の領域に足を踏み入れる。そう思うと、胸がどきどきした。ウィルの中に怖いとか、そういった気持ちは全然ない。冒険という言葉に少年は酔っていた。
「ウィル、これからどうするの?」
一頻り驚いて、落ち着きを取り戻したらしいメッツが尋ねてくる。ガラクタ山への行き方をメッツは知らないから、当たり前だ。
「あそこに看板が立ってるだろ? とりあえずあそこまで行こう」
ウィルは、階段から真っ直ぐ10mほど進んだところにある看板を指差した。ガラクタ山への行き方は、ウィルの父親から聞いたことがある。酒に酔ったウィルの父親が珍しく外の話をしてくれたことがあって、その中にガラクタ山へどう行くか、という話も含まれていた。
「ほら、ガラクタ山って書いてある」
「ほんとだ」
看板にはガラクタ山と、他に二つほど地名らしきものが書いてあったが、今はそれはどうでもいい。ガラクタ山と書かれた矢印は、二人の右手側を指していた。そして矢印の先を辿っていくと、10mほど進んだところに一本の棒が立っているのが見える。
「もしかして、あの棒を辿っていくの?」
「その通り。よっしゃ! さっそく行こうぜ」
「うん!」
ウィルが待ち切れないといった風に張り切った声を上げ、メッツもそれに同意した、その時だった。
「こらァ! 悪ガキども! どこに行くつもりだ!」
二人の背後から鋭い怒声が投げかけられたのは。
ウィルもメッツも、突然のことにびっくりして、びしりとまるで石像のように固まった。だらだらと滝のような冷や汗を流す二人。ばれた。やばい。叱られる。何か言った方がいいと思っているのに、何故か一言も喉から言葉が出てこない。
「……なんつってな」
一拍の間を置いたあと、そんな軽い台詞が聞こえた。その口調と声に覚えがあったウィルは、ばっと勢いよく振り向いて素っ頓狂な声を上げる。
「クリフ兄ぃ!?」
「えっ、クリフさん?」
「おうよ」
青年、クリフは悪戯っぽい笑みを振り返った二人に向けた。
切れ長の目にすっと通った鼻筋、赤茶の髪は短く刈り込まれ、青年らしい爽やかさと鋭い雰囲気を併せ持つ。黙っていると怜悧さが際立つが、話したり笑ったりすると途端に親しみやすさや人懐っこさが顔を出す人物でもあった。
半袖シャツの上に鉄製の胸当てを身に着け、背には彼の身長と同じくらいの長さの槍を備えていた。腰の黒鞘には細身の剣が収まっている。
彼は青年団のリーダーである。すらっと背が高く、日々の鍛錬によって絞り込まれた体は子供のウィルから見ても格好良い。
力強さとしなやかさ、そして知的な雰囲気さえもつクリフは、大きくなったら自分もこうなりたい、というウィルにとっての憧れだ。ちなみに、ウィル愛用の黒いブーツは貰い物で、クリフが子供の頃に履いていたやつである。
「外に出ちゃいけないって言われなかったか、お二人さん?」
ぐっと目に力を込めて、クリフは二人を見下ろした。
「それは……そうだけどさ」
「ごめんなさい……」
悪いことをしている自覚はあったので、反論しようとして出来ず、ウィルは口ごもった。真面目なメッツに至っては、しゅんとして俯いてしまっている。
「ガラクタ山に行きたいって?」
二人のしおらしい様子を受けてか、いくぶんか口調を柔らげてクリフは言った。こくんとウィルは頷く。
「どうしてそこに行こうと思ったんだ?」
しゃがんで目線をウィルたちに合わせ、クリフは優しく尋ねた。
「星のかけらを見に行こうと思って……」
「星のかけら?」
「ガラクタ山に流れ星が落ちたって聞いたから」
「ああ、そういやぁそんなこともあったか。一応見に行ってみたけど、ざっと見た限りじゃ特に変わったことはなかったような……」
顎に手を当て、記憶を掘り返しながらクリフは独りごちる。それからウィルとメッツの顔を交互に見、ふむ、と一呼吸置いて、
「お前ら、ガラクタ山に行きたいか?」
にやりと笑った。
二人はびっくりして眼を瞬き、顔を見合わせた。やがてクリフの言葉の真意に気付いた二人は、弾かれたように首を回し、
「行きたい!!」
「行きたいです!」
と力一杯に主張した。
クリフは元気を取り戻した二人に笑みを深めて、すっくと立ち上がる。
「分かった。ちょっと待ってな」
そう言ってベースに引き返していった。一度は潰えかけた冒険に行けるという火種が、ウィルの中で再びメラメラと燃え始める。
ほどなくして戻ってきたクリフは、フード付きのマントを着用していた。手にはちゃぷちゃぷと音を立てる水筒を三つと、マントらしき布がある。
「今日は晴れてて日差しが強いから、水とマントが必要だ。冒険するにも準備はちゃんとしないと、目的地に着く前にぶっ倒れるぞ」
水はともかく、マントなんて歩きづらそうで着たくないなとウィルは思ったが、文句を言ってベースに追い返されてはかなわないので黙っておいた。
「いいか、お前ら。二つ、約束しろよ。ひとつ、俺の指示に従うこと。二つ、俺から離れすぎないこと。分かったか?」
マントを羽織り、水筒を腰に下げたウィルとメッツに人差し指と中指を立てて見せながら、真剣な声音でクリフは言い聞かせる。
「はい、分かりました」
「分かったっ!」
冷静に頷くメッツと溌剌とした返事を返すウィル。すっかり元通りになった二人に切れ長の目を細め、クリフは声を張った。
「よぉし。出発!」
「おぉー!」
「お、おぉ~……」
本日は快晴、実に冒険日和である。
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