§3 The Pleasure Garden 2

“ギギギギギ…”


重い金属の軋む音を残して、扉は開いた。

用心深く左右に気を配りながら、おれは石畳に足を踏み入れる。


高い壁で外界が見えないせいだろうか。

いかにも日本的な住宅街のなかに建っているというのに、そこはまったく異なる世界…

それこそ、ヨーロッパの古城の庭園みたいな景色が、濁った紫色に煙りながら、目の前に広がっていた。

しっとりと濡れた石畳と、雨に打たれて鈍い光を照り返している、灰色の煉瓦。

庭の樹木は見慣れない種類で、枝が低く垂れている。

黒いつぼみが並んだ薔薇の垣根の葉先から、しずくがポタポタと滴り落ちる様まで、日常の世界と隔絶されている様に感じた。


石畳のアプローチをしばらく歩き、ロータリーの噴水を通り過ぎると、大仰な飾りのついた玄関ポーチにつき当たる。

その正面には、高さが3メートルはある木製の両開きの扉。

玄関チャイムを探したが、どこにも見当たらない。

代わりに、薔薇のデザインがあしらわれた鉄製のドアノッカーが、扉についている。


「こんなもんで呼び出せるのか?」


ひとり言をつぶやきながら、半信半疑のまま、おれはノッカーの輪っかを握って、ドアをノックした。


“ゴン、ゴン…”


重い金属のぶつかる音が響く。

しばらくなかの様子に聞き耳を立てていたが、なんの応答もない。

もう一度鳴らして、返事があるまで、おれはなんとなく周囲を見渡した。

右奥の芝生に目をやると、引越しの日に気づいた、例の真っ黒な十字架の群れがある。

暇に任せて、おれは数えてみた。


1、2、3…


大小合わせて、墓標は全部で18本も並んでいた。

いったいあの下には、なにが眠っているのだろう?

なんだか薄気味悪い。


…もう、帰ろう。


おれが来た事は知っている筈だし、荷物はこのままドアの前にでも置いておけば、引き取ってくれるだろう。

そう考えておれは包みを地面に置きかけたが、『納品書にサインをしてもらうのを忘れずにな』という支店長の言葉を思い出し、手を止めた。

その時なかから人の気配がして、金属製の鎖がガチャガチャと解かれる様な音が聞こえてきた。

ホッと安心すると同時に、緊張が走る。

思えば初めて、この洋館の人間と正式に接触するのだ。

いったいどんなやつが出てくるんだろう?

支店長は『使用人に渡せ』とか言っていたが、例の『メイド服を着ている』という使用人だろうか?

まさか…


主人あるじ』の黒井彩子が直接受け取りに出てくる、なんて事…

ないよな?!


「お待たせしました」


扉を開けてくれたのは想像通り、メイドの格好をした女性だった。

まだ20代前半くらいだろうか?

全身黒のメイド服は、エプロンがなかったら喪服と間違えるかもしれない。

目鼻立ちの整った美人ではあるが、どこか憂いのある、陰気な感じを漂わせていた。


「あ、あの。この荷物をことづかってきまして…」

「お話しは伺っています。雨のなか、わざわざありがとうございます」


そう言って彼女は、荷物を受け取る。


「あの、納品書にサ、サイン…」


緊張でうまく口がまめらない。

だが、メイドは段取りを心得ている様で、エプロンのポケットから万年筆とチケットの束の様なものを取り出すと、一枚切り取ってサインをした。

今どき、万年筆か…

それも、かなり使い込まれた『モンブラン』の高級品だ。


彼女の手元を見ながら、おれはぼんやりとそんな事を考えていたが、ふと、手首の傷に目が止まった。

細くて白い手首を横に切る様に、その薄赤色の傷はあった。

しかも、ひとつやふたつではない。

無数の鋭い線状の傷が、彼女の手首から袖のなかにかけて、ついていたのだ。


『リストカット?!』


このメイドは、リスカの常習者…

外見からは想像もできない彼女の内面に、おれは漠然とした恐怖を覚えた。

こんなに綺麗で、みんなからもちやほやされていそうなのに、どうして心が病んでいるんだろう。

そういえば以前、はづきが言ってたっけ。


「同人誌展示即売会に行くとコスプレイヤーもたくさんいるんだけど、結構多いのよ、リスカやってる人。

衣装の袖口から傷跡が見えてるのよね~。

そういう人たちって、妙にテンション高いっていうか、斜め上に盛り上がってたり、挙動が不思議だったりして、なんか危ないオーラ放ってるのよ。

コスプレしてるから病むのか、それとも病んだ人たちがコスプレするのか、その辺はわかんないけど、あんまりお近づきになりたくない人たちだわ」


同人誌イベント慣れしているはづきでさえそう感じるんだから、免疫のないおれにとっては、余計に恐怖だ。いったいどう接すればいいんだろう。


つづく

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