黒薔薇の檻

茉莉 佳

§1 Rich and Strange

§1 Rich and Strange 1


   §1 Rich and Strange


「うわぁ~。まるで中世の牢獄ね!」


はづきは驚きの声をあげた。


 アスファルトの坂道を登り切った、なだらかな丘の上に、その大きな屋敷は横たわっていた。

いかにも『郊外の新興住宅地』といった風情の、ひな壇状に並んだ周囲のモダンな家並とはまったく調和していない、煉瓦造りの古めかしい洋館。

この空間だけが、異世界にトリップした様だ。

他人を拒絶するかの様に、家の回りは高い塀でぐるりと囲まれていて、中の様子はわからない。

3メートルほどもある塀の向こう側にわずかに見えるのは、うっそうと生い茂る黒々とした樹々のこずえと、屋根に並んだドーマ(屋根に設けられた採光用の窓)と煙突。その奥の、天を突き刺すかの様にひときわ高くそびえる、尖塔だけだった。


「ここまで趣味に走った家を建てられるなんて、よっぽどのお金持ちの好き者が住んでるんでしょうね」


大きな段ボール箱を下ろす手を休めて、はづきは屋敷を見上げ、呆れる様に、それでいて羨ましげに、溜め息つきながら言った。


「まさか、引っ越し先の家の前に、こんなすごい洋館があるなんて、思いもしなかったな」

「ギャップあり過ぎ。ヒロのコーポは、フツーのプレハブ2階建ての1DKだもん」

「ここは会社の独身者向け社宅だし、見劣りするのは当たり前だろ。

にしてもこの屋敷、周囲の住宅街から、完全に浮きまくってるな。ここが開発される前からある、この辺りの地主かなにかの家なのかな」

「そうかも… あっ!」


小さく叫んだはづきは、手にしていた段ボール箱を放り出すと、瞳を輝かせながら洋館の門の方へ小走りに駆けていった。


「見てよヒロ! この薔薇ばら、黒いつぼみをつけてる!」

「黒いつぼみ?」


バラにそんな色があるのか?

はづきの言葉に興味をそそられ、おれも洋館へ近づいていった。


門扉…

といっても、これまた『ロード・オブ・ザ・リング』なんかのファンタジー映画にでも出てきそうな、金属の鋳物でできた、おりの様に真っ黒で大きな両開きの門なんだが。

その向こうにはたくさんの薔薇の枝がからまっていて、門の柵にまで枝が伸びていた。そしてはづきの言うとおり、枝の所々に漆黒の固い小さなつぼみがついている。


「黒薔薇よ!」


興奮を隠しきれない様子で、はづきは言った。


「黒薔薇って、本やネットでは見たことはあるけど、実物を見るのは初めて!

6月になったら、この庭も真っ黒な薔薇の花で埋め尽くされるのかな。

素敵でしょうねぇ〜。早く見てみたいな!」


声が弾んでいる。

こういう耽美的な花は、彼女のいちばんの好みなのだ。

おれは花には詳しくはないが、黒い薔薇なんて、確かに見たことがない。

薔薇の植込みは門扉から奥の洋館に向かって、垣根のようにずっと続き、所々に固くて小さなつぼみがついている。

鉄柵越しに、おれは屋敷の中を覗き見た。

塀の外から中は見えないものの、ここからだけは、敷地内の様子がうかがうことができた。


歳月に洗われて荒廃した様な、灰色の石畳のアプローチ。

その突き当たりは広場になっていて、中央に噴水があり、二階建ての煉瓦作りの洋館が、どっしりと構えている。

ゴシック様式というのだろうか。

大仰な装飾のついたポーチを中心にした、左右対称の建物の両端には、さっき見えた尖塔がそびえている。

黒くくすんだ煉瓦の壁には蔦がからまり、二階には西洋漆喰で塗り固められたテラス。

小さいながらも、まるで中世ヨーロッパのお城の様だ。

モノクロの完璧な異世界を構築しているその空間は、好き嫌いを通り越して、ただ息を呑むばかりの圧倒的存在感を放っていた。



「ヒロ、覗き見なんて、ダメよ」

「ああ… だけど、興味あるじゃん。

こんな珍しい薔薇が植えられた本格的な洋館なんて、どんなヤツが住んでるんだろな?」

「きっと、すっごい美少年よ」

「はぁ?」


夢見るようにうっとりと答えたはづきを、おれは呆れて見返す。


「すっごく性格が歪んでる美少年で、美形の若い執事が、身の回りの世話をしてるの。

そして、美少年との恋に破れたたくさんの男たちが、次々と殺されて、薔薇の木の下に埋められてるのよ。

ここの薔薇はね、そんな美青年たちの血肉を喰らって、美しく咲き誇るんだわ」

「…」


…またはじまった。


はずきには、そういう『趣味』がある。

BL小説とかいうものを書いて、ブログで発表したり、本を作って同人誌即売会で販売したりしている。

アニメやコミックなどの、二次元の男同士の恋愛が好きな、いわゆる『腐女子』だ。

いたってノーマルなおれには、その趣味にはついていけない。

まぁ、人の嗜好はそれぞれだから、デートの邪魔にならない限り、彼女の趣味を止めるつもりもないが、いったん妄想モードに入ると、おれの手の届かない世界にいってしまうのは、よくある事だ。


「お、おい。あれ!」


彼女の妄想話をうわの空で聞きながら、なに気なく屋敷の中を眺めていたおれは、庭の奥を指差して息を呑んだ。

薔薇の垣根の隙間から見える広い芝生の片隅に、十字架が立ててあったのだ。

それも、ひとつやふたつではない。

大小合わせて20くらいはあるだろうか。

それらはみな、漆黒に塗られていた。


「おまえの言ってた通りじゃないのか? あの下にはほんとに、美青年が眠ってるのかもしれないな」


茶化す様におれは言った。

しかし、はづきの顔からは、さっきまでの浮かれた色は消えていた。


「そりゃ、耽美的で素敵だけど…

リアルでああいうのがあるのって、なんだか気味が悪いわ。しかも全部黒なんて」

「ああ… そうだな」


おれたちは顔を見合わせる。

妄想ならなんでもありのはづきだけど、現実の世界では意外と用心深くて、ビビリなのだ。


「もう戻って、さっさと引っ越し終わらせようぜ」

「そ、そうね」


『この屋敷はヤバい』


本能的にそう感じたおれは、はづきの手を引っ張って、その場を離れた。




“ギギギギギ…”


 どのくらい経っただろうか。

コーポの前に停めた引越しのトラックから、細々こまごまとした荷物を降ろしていたおれは、鋼鉄が悲鳴を上げて軋む音に、思わず振り返った。

見ると、例の大きな門扉が開かれ、屋敷からふたつの人影が出てくる。


ひとりは背の高い若い男。

もうひとりは中学生くらいの、小さくて華奢な女の子だ。

ふたりとも、真っ黒の服を着ている。

男は風変わりな黒のスーツにネクタイ姿。

少女はゴテゴテとした飾りのたくさんついた、漆黒のワンピースだ。


門を出た少女は、周囲の様子を確かめる様に、ゆっくりと回りを見渡した。

その様子は、優雅でたおやかなリトルプリンセスみたいだったが、どこか、人を信じない、用心深い野生の猫の様にも見える。

ぐるりと視線を一周させた彼女は、おれたちに目を留め、警戒するかの様にこちらをじっと見つめる。

その瞬間、おれの背中には激しい電流が走った。


つづく

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