2話 こっちに来て初めての出血

 俺はバッサリやられたはずの【盆の窪(ぼんのくぼ)】辺りを揉みながらノロノロと立ち上がった。


 で、ぼんやり夢見心地でキョロキョロと辺りを見舞わすと、確かに森は森だが、松でも杉でもねぇおかしな樹がいっぱいに生えてて、深呼吸すると強い緑の萌える香りが薫った――。


 んっ!?


 待てよ、確か俺は……そうっ!どっかの殿様の城の座敷で酒を飲んじまって……。

 そんで、よってたかってメッタ切りにされた挙げ句、斬首されて床に転がった、よな?


 てこたぁ、ここはあの世か!?黄泉の国か!?極楽浄土かっ!?


 んなーるほど、中々キレイなとこだなーとは思ってたんだ。


 「んっ?」


 俺はくくって【総髪】にした頭のてっぺんに、ポツリと雨の雫(しずく)が落ちて来たのに気付き、ふと顔を空へと上げると、それをきっかけにしたみたいに、にわか雨がサーっと降ってきた。


 「……冷てぇ」


 へぇー。あの世でも現世と同じく雨が降んのか。と独りうなずき、どこか雨宿り出来るとこはねぇかと掌を傘にしながら少し歩るいた。


 すると、いい具合に苔むした岩の洞窟みたいなのがあったので、そこへ飛び込むようにして入った。


 で、遠慮なく暗い【洞穴(ほらあな)】の中に入ると、夕方らしい外の明るさとの差で、夜目が利くのに少し時間がかかった。


 「ん?なんだここは?うわっ!臭ぇな!は、鼻が曲がりそうだ!」


 俺はつい鼻をつまんだ。そうさ、この臭いは知りすぎるくらいに知ってる。

 間違いねぇ、こりゃあ死臭だ。古戦場の臭いにそっくりだ。


 だが、極楽浄土に死臭ってのも変だよな……。

 

 そう不思議に思いながら岩壁伝いに細い道を歩くと、洞窟の奥、その先がボンヤリと明るくなっているのに気付いた。


 んがっ!いよいよ死臭が強くなってきやがったな。それからなんだか花か草が腐ったような臭いもする……。


 へっ!面白れぇ――。


 俺はもう死んでんだ【山姥(ヤマンバ)】だろうが、人喰い鬼だろうが怖いもんはねぇ。なんでもこいだぜ。


 へぇ、ぼんやり明るいのは洞窟の終いの腹の底だな。

 んん、なるほどな、沢山の蝋燭が点(つ)いてるから明るいのか。


 ん?この石を切って作られた雛壇(ひなだん)みてぇなのはなんだ?

 どー見ても天然自然のもんじゃねえな、明らかに人の手が加わってる……。

 なんかのお社(やしろ)か祭壇ってとこか?


 おっ!人が縛られて寝っ転がされてるぞ!何だか泣いてるみたいだな。


 「おーい。大丈夫か?こんなとこでどうした?」

 

 猿ぐつわを咬まされているこの赤毛の女、まだ若いな。うん、俺より少し下くらい、十五、六か……。


 なんだか見たこともねぇ白い着物を着せられて、えらく念入りに細っこい手足を後ろに縛られてるな。

 グスグス、メソメソと、唸るみてぇに泣いてやがる……。


 ははーん。こりゃどっかの野盗か悪党に【かどわかされた】《誘拐された》ってクチか?


 しかし変だな、大人が横になって寝れそうなほどの大きなの白い石の寝床みたいなのが、三枚も重ねてあって、まるで雛壇みたいになっちゃあいるが、どの段もすえた臭いのする腐ったり枯れたりした花で一杯だ。


 だが、この女の寝てる一番下の石段に供えられたようなのだけは、まだ腐ってねぇみてぇだな。

 

 フフフ……花好きの人拐(ひとさら)いか……。

 冥土のならず者は、ずいぶんとこ洒落(じゃれ)てるじゃねぇか。


 よし、俺が来たからにはもう安心だ、とりあえず縄をほどいてやるか。


 だが、俺が地面の花を踏みつつ近寄ると、痩せた若い女はでっかい芋虫みたいに体をよじって、まるで俺から逃げるように転がって背を向けた。


 「おい。俺は悪党じゃねぇから安心しろ。あんまりきつく縛られてるから、ほどいてやろうってだけだ」

 

 まぁ無理もねぇか……。

 人拐(ひとさら)いにふん縛られてるとこに、いきなり見ず知らずの男が現れりゃ気も動転すらぁな。


 「おいっ!そんなに怯えなくてもいいぞ!」

 

 「んむー!んんっ!うんむむーっ!」


 「あっ?なんだって?猿ぐつわしてっからなに言ってんのか全然だ。だからそんなに暴れんなって」


 女は花の敷かれた膝くらいの高さの石の段から落ちて、地面を這いずって逃げ惑う。


 俺はそれを大股で追って、女の後ろ首の猿ぐつわの結び目を捕らえて掴み、それを引き下ろしてやった。


 「ふぁーー!!」


 「よし。これで話せるぞ。どうした?【人勾引(ひとかどい)】《人身売買業者のこと》にでも売られるとこだったか?」


 「▲△ー!○●◎▲□ー!!◎△□◆、△□◆●◎△□ー!!」



 ――この女……なに言ってんか全然分かんねぇ……。


 こりゃどー聞いても俺の村のある武蔵の言葉じゃねぇな……。


 それに、よく見りゃ信じられねぇくらいメチャクチャ色白だし、頭とか顔がえらく小せぇな。うんうん……見れば見るほど変わったヤツだ。

 はーん。さっすがは極楽浄土だ、外のおかしな樹といい、人といい珍しいもんが一杯だな。


 ん?待てよ……。


 こ、この女の言葉……。確かにひとかたまりじゃなく、短い一個一個に区切ればヘンテコで聞いたこともないシロモンだが……。


 ちょいとまとめて聞いてやると、なんとなく、どことなーくだが、なにを言いてぇのか分かるような気がして来たぞ!?


 うんうん。さすがは毘沙門天様に授かった不死身の体だ、こーんなことも出来るのかー。

 ま、ちょいと都合が良すぎるような気もするが、いやはやありがたや、ありがたやだ。


 ふんふん。この喚く女の言葉、聴けば聴くほどその意味が分かる気がする……。


 「おう、もっとだ、もっと▲沢山△□話してみてく□◆●◎れ……」

 あれっ?俺の話言葉も、なんだかコイツに釣られて似てきたぞ!?



 ――そうしてしばらくゴニョゴニョとやり取りをするうちに、なんと俺はこの女の言いたいことが分かるようになり、同時に話せるようにもなってきたようだった。


 だが、女の話す一語一語に気を取られると途端に分からなくなる。

 ふーん。どうやらこれ、聞き方、捉(とら)え方にコツみたいなのがあるみたいだぞ。

 うんうん。なんか大まかにボンヤリ聴くのが一番具合が良いみてぇだな。


 で、もがいて暴れる女の縄をほどいてやると、弾かれたみてぇに立ち上がって振り返り、キッとこっちを睨み上げた。


 バチンッ!!


 「あ痛ぇっ!!」


 このガキみたいな女、いきなり俺に猛烈なビンタをはりやがった。


 そうして涙を拭ってこう言った。


 「どうして勝手に縄をほどくんですか!!私は死ぬ覚悟は出来ていますから放っておいてください!!私が大人しく【贄(にえ)】にならないと、村が、村が滅ぶんですよっ!!」


 なんとかこの女の言葉は分かるようになったものの、今度はなーにを言いてぇのかさっぱり意味が分からねぇ……。


 俺は両の鼻の穴から、血と白い湯気を出しながら納得のいかない顔で女を見下ろした。 

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