中恐怖 新しい中毒
@nakamichiko
第1話引っ越し
「おはようございます! 」
若い母親が頭を下げながら、近所のゴミ捨て場にさっとごみを置き、もう一度そこにいた七十過ぎの女性に軽く会釈して、家へ戻っていった。その途中で別の女性とすれ違ったので、彼女はその女性にも言葉と動作を繰り返した。
「本当にどうしたことかしらね・・・」
家に入ってしまったのを確認して、ご近所さんの二人の噂話は始まった。
「こんなに人って変われるのかしら? 」
「ご主人もだって。知り合いが会社の同僚なんだけれど、以前は遅刻するのが当たり前のような人間だったのが、今はもう・・・きちんと定時にやって来て、あの奥さんと同じで挨拶もするようになったらしいのよ」
「似たもの夫婦・・・私たちもそうなのかもしれないけれど、まあ、とにかくよかったわ。子供もとっても元気で明るくなった」
「あなた民生委員をやめても気にかけていたものね。とにかく良かった」
他人の不幸は蜜の味と言われたりもするが、一か月前、自分たちが見ていた不幸は、こちらの体調まで崩しかねないものだった。
我が家のすぐそばの集合住宅だった。金切声と、ひどく、どすの聞いた大声の夫婦喧嘩、巻き込まれたのか分からない子供の泣き声。時々顔にあざを作って、その男の子は登校することもあった。まだ小学校低学年なのに。
時々一人でぼおっとしているその子を家に呼び、お菓子をあげたりした。だがしつけがなっていないのか、家じゅうを開けて回るような事をして、今まで見たどんな子よりも手がかかった。
「子供のせいじゃない、児童相談所にやっぱり行きましょう、あの子のためにもならない」
そう決心して、行こうとした朝のこと、今日の声のように大きくも明るくもなかったが、母親から大人しい感じでゴミ出し場であいさつをされた。今まで全くそんなことはしたこともない人だった。
「変わっているわよね、子供を持っているのに挨拶もしないなんて」
と言われ続けてきた彼女のその態度に自分は驚き、すぐに受け答えできなかった。それから一か月、日に日に家族の状態は良くなってきているようで、
「お父さん! 車のカギ! 」
「ああ! バカだな、そうだった、サンキュー」というようなごく普通の会話も聞けるようになった。
何より本当に子供が嬉しそうで
「お父さんとお母さん、喧嘩しなくなった! 」と明るく自分に言った。
「そうね、良かったね、でも僕は車に気を付けるのよ」
「ハイ! 」
総ては家庭から、と民生委員の研修でも習ったが、とにかくうれしいことだった。何故なら、遠くに住んでいる一番下の孫と年が近く、そのことが一層自分には重荷だったのだ。「雨降って地固まる」なのか、落ち着いた日々は急に速度を速めて過ぎていくように思えた。
それからさらに二か月後の事だった。
「こんにちわ! 」
インターホン越しに三人の姿が見えたので驚いた。噂で「引っ越すらしい」とは聞いていた。
「本当にお世話になりました、引っ越すことになりまして」父親が落ち着いた口調で話し始めた。
「まあ、それは・・・遠くに? 」
「いえいえ、この校区内に家を買ったので、またお会いするとは思いますが」
「本当に、ありがとうございました」両親は神妙な面持ちだった。
「そう、じゃあ、また遊びに来てね」
「うん! おばちゃん家のお菓子とっても美味しかった! 」
「そう? お土産でもらったものばっかりだったからでしょう」
「ハハハハハ」
心地よい、さよならだった。
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