いわゆる「同じ顔」事件:羽二重四季緒の訂正推理
紅藍
発端
好奇の目線に晒されるという状況には、不本意ながら慣れている。生まれつき、ぼくたちは他人の目には物珍しく映るらしいので、いつの間にか慣れてしまった。
とはいえそれは、町で通りすがる人が一度ぼくたちを見て、それからもう一度振り返るとか、その程度のものについてのみ言えることだ。
だから狭い部屋の中央に座らされて、ぐるりと囲まれるという弩級の好奇の視線となると話が変わってくる。
場所は狭い、普通の教室の四分の一程度の部屋だ。図書準備室、と入る前に見た扉に掲げられていた。スチールラックには何か雑多なファイルや小物が並んでいて、横向きに置かれた『日本十進分類法』の書籍だけが、いかにもそれらしい雰囲気を出している。それ以外は物置、あるいは生徒たちの詰め所のようで、部屋の隅には学生鞄がいくつか置かれていた。
そこでぐるりと、八人くらいに囲まれているのだから圧迫感が辛い。
だけれど、さしあたりそれは問題じゃない。
ちらりと正面を窺う。僕の正面には一人の男子生徒が座って腕組みをしている。その後ろには僕がここへ入ったのとは違う扉があり、位置関係からしてどうやら廊下に繋がっているらしく思われた。
「君、名前は?」
聞いてきたのは、ぼくの正面の、その男子生徒である。実に分かりやすく、制服のブレザーの腕に『生徒会』の腕章が巻かれている。確か生徒会長、なのだっけ。精悍に刈り込んだ黒髪はどちらかというとアスリート的だったけれど、日に焼けた様子のない肌や、酷使の跡がない手を見ると、彼の運動経験が乏しいのははっきりしていた。
「四季緒です」
いつもの癖で下の名前から言って、それから付け足す。
「羽二重四季緒です」
「羽二重くん、か」
呟いて、何か考え込むように生徒会長は唸った。
「ねえ、ちょっと」
今度は後ろで声がした。
振り返ると、両手に包帯を巻いた女子生徒が立っている。右耳の辺りにもガーゼがあって、そのケガはどうしたのだと聞きたくなるが聞かないでおくことにした。
「本当に、この子なの?」
「それは間違いない」
「そう」
それだけ言って、彼女は引いた。
「羽二重くん、俺が聞きたいのはひとつだけだ」
正面の生徒会長が再び口を開く。
「俺が聞きたいのは、君がしたことについてだ」
好奇の視線には慣れている。程度の甚だしさも、今はいい。
問題は。
「君はどうやって、一度も図書室を出ないで三度も図書室に入ったんだ?」
どうやら僕が、一度図書室に入り、出ることなく再び入るという奇行を演じたと思われていることだ。
今日も今日とて、普通の一日だった。
「分かっていると思うが、部活動の入部届けの〆切は明後日までだからな」
帰りのHRの後、担任の先生からそう言われるまでは。
「はあ」
ぼくは適当に返事をして、自分がさっきまで座っていた机を見た。鞄に入れた推理小説の続きが気になっていた。
「はっきり言うと、お前以外はもう入部届けを出しているぞ」
そんなぼくの視線の動きを、教室内で騒がしくしているクラスメイト達に向けたものだと勘違いしたらしい担任は、付け足すように言った。
「何か、これって部活動はないのか?」
ぼくは眼鏡を外す。視界がぼやけるが、手さぐりで眼鏡拭きを取り出してレンズを拭く。クリアイエローのフレームは目立ってこういう時便利だ。
「ないから出してないんでしょうね」
「だろうな。だったら…………」
だったら、なんだろう。担任は何か建設的なことを言おうとしたらしいが、その言葉はクラスメイトの喧噪よりもさらに大きな騒音で中断される。
教室の前後に二か所ある扉、その内の前方の扉が何者かに叩かれたのだ。扉はスライド式の二枚扉だから、叩くと扉同士がぶつかり合ってけたたましい。覗き窓も嵌まりが悪いらしく、ガシャンと不穏な音を立てた。
扉を叩いたのは、見慣れぬ男子生徒の二人組だ。二人は覗き窓から顔を出して、教室内のどこかを指さし、そしてぼくを指さした。教室前方、教卓の傍にいるのはぼくと担任だけだから、ぼくを指さしたのは間違いない。二人の顔には餌を求める猿のように歪んだ笑みが張り付いている。
「またか……」
ぼくが呟くより先に、先生が溜息を吐いた。
「それで、『だったら』の先は?」
「ああ。そうだったな。俺は去年、三年生の担任をしていたんだが、受け持った生徒の一人が、ある部活の部長をしていたんだ。その部はそいつ一人しかいなかったから、今年は誰もいないはずだ」
「ふむ」
「つまり、なんだ……。その部活ならお前のやりたいことが何だか分らんが、とりあえず所属しておくだけなら便利だろうと思ってな」
「それは、なるほど」
「その部活は『図書部』という名前だ」
担任は教卓の上の荷物をまとめた。
「今は学校司書の丹羽先生が顧問をしていて、部室は確か……蔵書室だったか。そこも先生が管理をしているから、気になったらとにかく話を聞きに行け」
「分かりました」
「じゃあくれぐれも、締め切りを守れよ」
先生が教室から出るのを見送ってから、ぼくは自分の机に戻って荷物をまとめ直した。多少面倒なことになったような気もしたけれど、このまま気の進まない部活に所属して時間を奪われるよりはマシという気もした。
「何を話していた?」
僕が荷物をまとめていると、話しかけてきた男がいた。両手を軽くポケットに突っ込む余裕を気取った態度は、何に対してのポージングなのか分からなくて可笑しくなる
その男は仲人といって、僕のよく知る男だった。
「大した話じゃない」
具体的内容を言うのが嫌なぼくは、適当に濁した。嘘を吐くのは罪だけれど、黙秘は公的にも認められた権利だ。
「それよりお前は、いい加減部活決めたのか?」
仲人がまるでぼくの兄であるかのようなことを言った。話の流れがいまいちピンと来なかったので、黙って次の言葉を待つ。
「俺のところの先輩が、お前を部活に誘おうとしているんだが…………」
「仲人のところ? 何部?」
「生徒会執行部だよ。昨日言ったろ」
一年生は部活動に所属することという面倒な決まりがあるけれど、委員会に所属していればその限りではないのだったっけ。執行部は部とついているけれど、生徒会の下部組織で委員会に位置するという話を、一週間前のオリエンテーションで聞いたような。
「なんでぼくが勧誘されるような事態になってんだか」
「それは……」
仲人が何か言おうとしたとき、何人かの男子クラスメイトが寄って来た。その中の一人、眼鏡ののっぽが口を開く。
「お前ら、もう行かないのか?」
彼の顔は、さっき見た猿と同じような笑みが貼り付いている。
「ああ、行く」
仲人が自分の鞄を肩にかけた。つまり、彼らは仲人と同じ執行部に行くということだろう。
「お前は?」
もうひとり、太ったクラスメイトがぼくに聞いてくる。
「ぼく?」
「こいつは行かない」
事態を把握するより先に、仲人が制する。
「兄弟だからっていつも一緒にいると思うな」
仲人とぼくは兄弟である。同学年同クラスということはつまり、そういうことなのだ。あの猿のような笑みは、それを面白がってのことだった。
それにしてもこの高校に入学してからの、野次馬の数は少し異様ではある。クラスメイトから面白がられることはいい加減慣れた感があったけれど、まさか見ず知らずの生徒が見に来るとは思ってもみなかった。
ああ、じゃああれか。執行部の勧誘もそういう、好奇心が九割か。
「しかし似てるよなあ」
教室を去る最中、のっぽが仲人に呟く。
「二卵性が似てるわけねえだろ」
仲人は反論しつつ教室を出て、視界から消えた。
あらためて、ぼくは荷物をまとめ直して肩に担いだ。教室を見ると、さっきまでの喧騒は一段落して、残っているのは二人か三人くらいだった。彼らはもう部活動を決めて余裕なのか、強制加入のルールなぞ知るかという反骨精神の持ち主なのか、判断はつきかねる。
「図書室だな……」
面倒を押し殺すために行先を呟いて、ぼくは教室を出た。学校の常として北側に設けられた廊下は日が当たらなく少し薄暗かったけれど、肌寒さはもうない。開けた窓から入って来る暖かい空気が心地いいくらいだ。
図書室は、広い校舎の片隅にあった。僕は位置を把握こそしているけれど、来るのは今日が初めてだった。読む本は今のところ、自分のもので足りていたからだ。中学時代に図書室のミステリを漁り切ってしまい、買って積むようになっていた本は、今鞄に入っているものですべて読み終わる。だから図書室に向かう頃合いとしては悪くない、と言い聞かせないと重い脚が動かない。
図書室に入る直前、壁に掛けられていた掲示物に目がいった。体育祭の部活動対抗リレーの募集とか、部活動の勧誘チラシなどが詰め込まれて立錐の余地がない(って言うのだろうか、壁に)掲示板の一角に、図書委員会が作ったと思しき本の特集記事が貼られていた。生憎ミステリ関係ではないので目を留めたといっても一瞬だったが、いつかミステリ特集も組まれるかもしれないから、存在を記憶しておこうと思った。
とはいえ、そうした周囲の雑事に気を取られるのは、図書室に向かうのが面倒だからだろう。図書室に行くのはいいけれど、肝心の丹羽先生とやらを僕は知らないから探すところから始めなければならないのが面倒だ。
しかし、入らねば。
意を決して図書室に入ると、入り口脇のカウンターで二人の生徒が何やらごそごそ動き回っている。その二人は男子と女子で、女子が何かのケースの蓋を閉めようとしているらしかったが、彼女は両手に包帯を巻いていたので、蓋が閉まらないらしい。見かねた男子生徒はケースを取り上げて、キャップをくるりと回して閉めた。その男子生徒の腕には『生徒会』という腕章が巻かれている。
何をしているのだろうと疑問に思いながら一歩を踏み出すと、前に出した右足がちくりとした。気になって足を持ち上げると、上履きに画鋲が刺さっている。
「ああ、悪い悪い」
画鋲を外して正面を見ると、女子生徒が近づいてきていた。手の平に乗せて画鋲を差し出すと、包帯を巻いた右手の指で器用にそれを摘まんだ。
「さっきそこの生徒会長が画鋲のケースをひっくり返しちゃって、拾ってたんだけど拾い損ねたのがまだあったのね」
「はあ…………」
そこの生徒会長こと男子生徒は、画鋲を入れるためにもう一度ケースの蓋をひねろうとした。そこでちらりとぼくの顔を見た。
あの腕章、分かりやすく生徒会長だったのかとぼくがぼうっと思っていると、生徒会長もじっとぼくのことを見ているのに気づいた。女子生徒が画鋲を持って近づいても、それに気づく様子がなくぼくをただ見ていた。
なんだなんだ?
ぼくが不審に思っていると、生徒会長は一歩、二歩と近づいてきた。
「どういうことだ…………」
「え?」
がしっと、肩を掴まれた。思わず一歩引いてのけ反り「うひゃああっ!」と情けない声を出してしまう。生徒会長は持っていた画鋲ケースをその拍子に取り落す。ケースは床を跳ねまわり、中の画鋲がガシャガシャと音を立てた。
「おい、ちょっと」
生徒会長はぼくを掴んだまま、ぐいと女子生徒の前に突き出した。
「君はこの子を今日、見たか?」
「え、どういうこと?」
女子生徒は生徒会長の質問の意図を読みかねたらしく、首をひねった。ぼくだって訳が分からないのだから、彼女としてもそうだろう。
「いいから。ほら、君がそこのカウンターにいた間に、この子を見たか?」
「え、いや、見てないと思う……」
彼女は一度曖昧に答えた後、思い出したように今度は強く答えた。
「うん、見てない」
「そうか、なら…………」
その答えを受けて、生徒会長も何かを判断したらしい。ぼくに向き直ると、深刻な顔をした。
いったいどうした?
「君は、図書室から出ることなく三度も入ろうとしたのか?」
「…………え?」
それは、どういうことだ?
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