第5話 夜会 前編
建国記念の夜は、帝都全体がお祭り状態となり、にぎやかな様子となる。
市民たちは、立ち並ぶ屋台を楽しんだり、ダンスを楽しんだりすることになっていて、それこそ眠らない夜となるのだ。
貴族たちは皇室主催の『夜会』に呼ばれる。
ジャネットは、ひとり、馬車に揺られた。
本来なら、フローラも社交界デビューをしてもおかしくない年齢ではあるが、叔母と相談したうえで、フローラはまだ、夜会に連れてきてはいない。
ジャネットの立場が非常に微妙である以上、ジャネットより力も立場も弱いフローラを連れていくことは、あまり望ましい結果になりそうもないからだ。
自分自身の力以外に、ジャネットには大きな後ろ盾がない。
前の時は、自分と皇子の婚約に反対している貴族たちをなんとか説得したいと、意気込んだが、もはやそんな気力はない。
どのみち、前回はジャネットの心が完全に空回りしていただけであった。
宮中は、ランプの明かりがともされている。
会場全体が、やわらかな灯につつまれているが、さすがに昼間のようにというわけにはいかない。
その光の淡さが、さらに幻想的な華やかさを演出していた。
ジャネットのドレスは、前回と同じ、暗めの緋色のドレス。長すぎる手袋のわけは、腕の傷がまだ癒えていないから。大きく開いた胸元に、皇子から贈られた宝玉のネックレスをつけている。
ジャネットはゆっくりと、皇族の前へと歩いていく。
夜会では、皇族になにかしら『貢物』をするのが慣例となっているが、ジャネットは手ぶらだ。
周りから奇異の目で見られようが、これは、前回と変わらず。ジャネットが持つものは、『力』だけなのだから。
「本日はお招き、ありがとうございます」
目の前には、帝王ザネスと帝妃アラヴァがゆったりと椅子に腰かけており、壇上からジャネットを見下ろしている。
「遠路はるばる、ご苦労であったな」
ニヤリとザネスがジャネットの労をねぎらう。
「……私は、何もお渡しできませんが」
ジャネットは、丁寧に頭を下げた。
「帝王ザネスさまの御世のご栄光を願って」
目を閉じて念を凝らす。
ホール中央に掲げられた大きなシャンデリアのろうそくの炎が、眩しい光を放ち始める。
さながら、昼間の太陽が降ってきたかのような明るさだ。
あまりのことに、ほかのものたちもいっせいに息をのんだ。
「……あいかわらず、その力、見事だな」
ニヤリとザネスは頷いた。
「恐れ入ります」
ジャネットは、わずかに笑みを浮かべる。
炎のもつ光量をほんの少し増やしてやるくらいのことは、紅蓮の魔術師であるジャネットにとっては造作もないことだ。
この程度のデモンストレーションでも、ジャネットの力を周囲に見せつけることはできる。
ジャネットは、帝王たちの前を退いた。
ホール中央には、ハリス皇子が、官僚たちと談笑しているのが見える。
──こうしてみると、皇子もたいへんなのね。
皇子のそばには、帝妃の懐刀、ムファナ将軍。そして、帝王のお気に入りである宰相ファル。皇子の側近もいるが、様々な立ち位置の人間がそのそばを陣取っている。
──さすがに、挨拶はしないといけないかな……。
ジャネットは、ハリスのほうへと足を向けた。
その途端、宰相の娘リアナが、そっとハリスとの距離を詰めたのに気が付いた。
──お邪魔、よね。
肩書はどうであれ、皇子の隣に自分の居場所はないのだと、ジャネットは苦笑する。
前回は、心にふたをして皇子に挨拶をし、ひととおりの人間に頭を下げて回った。
皇子の婚約者なら、つくさねばならない礼儀はある。
──でも、かたち的には、まだ、婚約者か。
辞退するつもりではいても、まだ正式に申し入れはしていない。
──とはいえ、私に挨拶されて、誰が嬉しいのかしら。
ジャネットは、そっと肩をすくめた。
紅蓮の魔術師であるジャネットはどの立場から見ても、扱いにくい人物だ。会って嬉しいというものでもないだろう。
皇子にネックレスの礼を言っていないとは思ったが、あれについては、既にグルマスを通じてお礼はしたはずだ。恋人からのプレゼントのように、誇っては、皇子も迷惑に違いない。
シャンデリアの光の量を眩しくしたおかげで、そこから離れた壁際は、うす暗い影が落ちる。
──帰ってはダメかしらね。
正直に言えば、もうすることがない。
ネックレスに触れながら、ジャネットは、時間を持て余す。
前回のように、少しでも人脈を作ろうと努力する気にもなれず、ジャネットはグラスに手をのばした。
贅を尽くした料理も、にぎやかな楽の音も、自分とは無縁のように思えて、どこか遠い。
賑やかな夜会を眺めながら、ジャネットは、アルコールで渇きを潤す。
選び抜かれた酒は、ほんの少し、ジャネットの心を軽くした。
「酒に逃げてはだめよね」
ジャネットは、苦く笑う。
壁際でグラスを傾けた。
父のこと、これからのことを思うのであれば、皇子との婚約以外の人脈もつないでおくにこしたことはない。
ふうっと、ジャネットは息を吐いた。
それにしたって、ただの挨拶だけで人脈が作れるものではない。ジャネットにはもう、使える金銀はなく、味方は少ない。
「……いっそ、色仕掛けでもしようかしら」
誰にともなく呟いて。くすりと笑う。
ジャネットの人生は、色恋とは無縁だ。
よく考えたら、皇子との婚約を確かなものにしたいのであれば、まず、皇子の気持ちの篭絡からはじめるのが普通なのに、ジャネットは政治的な根回しばかりに気を取られてきた。
魔術を使った戦いかた、政治的な根回しの仕方、そういったものは常に意識してきたジャネットではあるが、女としての色香を使ったことはないし、どうやったらいいかもわからない。
「飲みすぎでしょう?」
新しいグラスに手をのばそうとしたところを、男の手が止めた。
「若い美しい女性が、無防備すぎる」
「あなたは?」
まさかの声に驚いて、ジャネットは呆然とする。
銀龍だ。
銀龍は、まるでジャネットの手を逃すまいとするかのようにとらえ、抱き寄せた。
「大丈夫です、よ?」
肌が触れるほどの近さに、ジャネットは面食らう。
「大丈夫ではないでしょう? 私のような通りすがりの男にこんな簡単に抱き寄せられてしまうなんて」
「ご冗談がすぎますわ」
逃れようとしたものの、ジャネットの身体は男の身体にピタリと引き寄せられており、動けない。
「冗談ではなく……あなたは、もっとご自身の価値に気づかれた方がいい」
「紅蓮の魔術師としての価値は、十分すぎるほど知れ渡っておりますわ」
恋人のように抱き寄せられながら、ジャネットは銀龍にエスコートされるままに歩く。
「あなたこそ、こんなことをなさって、不用心なのではなくって?」
ジャネットの言葉に、銀龍はくすりと笑った。
「あなたになら、殺されても構わないと、前にも申し上げました」
暗に、ここで通報されても、悔いはないといっているのだろうか。
銀龍は、そういって、ジャネットの耳元にキスを落とした。
「離して」
ジャネットは、体をよじるが、銀龍に抱きすくめられたままだ。
「私の力を手に入れたところで、聖なる炎はどうにもならないわよ」
もし、銀龍が『聖なる炎』を奪うために、ジャネットを利用しようとしているのなら、お門違いだ。
「そんなことは、わかっておりますよ」
銀龍は涼しい顔でそう言った。
「もし、あなたにその力があるのなら、帝王があなたを生かしておくわけがない」
「……そうね」
ジャネットは苦笑した。言われてみればその通りである。そんな簡単なことがわからないまま、前回は聖なる炎の中に飛び込んだ自分は、あまりにも愚かであった。
「あなたには、聖なる炎の声が聞けたの?」
「まさか」
銀龍は、そう言って、首をすくめた。
「それができたのであれば、あの場で反乱ののろしをあげますよ」
「そうでしょうね」
ジャネットは頷いた。
「それで、これはどういう意味なの?」
自分を捕らえ、どうするつもりなのか。
「帝政の根源への揺さぶり、でしょうかね」
銀龍は、何かに目を向けてから、ジャネットの身体をようやく離した。そして、膝をつき、手の甲にキスをする。
「意味が分からないわ」
「少なくともあなたは、炎に愛されている」
銀龍は、ニヤリと笑う。
「この国を変えるには、炎を制する必要がある……そう思いませんか?」
「なるほど」
いつのまに、そこにいたのか。
冷たい目をしたハリスの腕が、ジャネットの肩を引く。
「彼女が俺の婚約者だとわかってやっているのか?」
「大事にしているようには、見えませんでしたが」
重い空気がただよった、次の瞬間。シャンデリアが瞬く。
「いずれ、また」
目を焼くような光が消えた時には、銀龍の姿は消えていた。
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