第3話 銀龍

 帝都コル。

 その中心にある宮殿の近くの東の丘に、『聖なる炎』の燃える塔がある。

 そこで作られる『熱』が、帝国に命をもたらす。

 ジャネットは、フローラとともに馬車に揺られながら、塔を眺める。

 下級貴族出身のジャネットが、表向き厚遇されているのは、炎をあやつるジャネットの力が、帝国屈指だからだ。この凍てつく大地では、炎の魔術を操り、紅蓮石の声を聴くことができる魔術師は貴重なのである。

 とはいえ。聖なる炎を御するのは、やはり、皇族でなければ無理なのであろう。

 ジャネットの声に応えなかった、聖なる炎は、今日も赤く燃えている。

「お姉さま、傷が痛むのですか?」

 黙りこくっているジャネットを気遣って、フローラがそう言った。

 馬車は、速度を落としていても揺れる。カタカタと揺れるたびに、傷口がズキズキとするのは、否定しようがない……もっとも、ジャネットが沈黙していた理由はそこではないのだが。

「いいえ、大丈夫よ。ちょっと緊張しているだけ」

 ジャネットはフローラを安心させるように微笑んで見せた。

「たくさんの人に会わないといけないもの」

「……ご無理はなさらないで」

「大丈夫。あなたも、無理してはダメよ」

 ジャネットは、フローラにそう言って。

「あなたは、記念式典が終わったら、ミラ叔母さまの家で待っていて」

「はい」

 ジャネットたちの昔住んでいた帝都の屋敷は、既にない。

 父は、『宮廷魔術師』という肩書をつけられ、宮廷のどこかに体よく幽閉されている。そして、ジャネットたちは、帝都から離れた採掘場のそばに住まうことを強制された。

 帝都に滞在する数日間、ジャネットたちは父の妹で伯爵家に嫁いでいる叔母の屋敷で世話になることになっている。

 これは、前回と同じだ。違うのは、前回は、グルマスがぬかりなく指示して整っていた準備を、ジャネットがしっかりと監督、指示しなければならなかったことだ。

 ジャネットが思っていた以上に、グルマスが職務に忠実で有能であったのだと実感したのと、逆に、ラニアスという男への不信感がつのる結果となった。

 建国祭は、式典が聖なる炎の塔の前で昼間に行われる。

 馬車はゆっくりと、塔のある丘を登っていく。

 式典会場は、もうすぐだった。



「どうぞ、こちらです」

 馬車を降りたふたりをラニアスがうやうやしく案内する。

 塔のそばに作られている、円形劇場の周囲には、既にたくさんの人間が詰めかけていた。

 式典会場に入れるのは、皇族と貴族。あとは、わずかな裕福な市民のみではあるが、会場の外からも式典のクライマックスは見ることができる。劇場周囲には、露店が立ち並び、年に一度の祭りに人々は浮かれ気味だ。

「すごいひとね」

 ジャネットはあたりをみまわす。

 野外劇場のため、屋根はない。日は柔らかで、青い空は澄んでいるが、空気は冷たいため、外套は手放せない。

 もっとも、寒いのは今だけだ。式典が始まるころには、この円形劇場の地下にある炉に魔力の火がくべられて、観客席は下から温められる仕組みになっている。

 その火をくべるのは、ジャネットのような炎の魔術師たちだ。ジャネットは、十五のころから四年もその仕事をしていた。

 常に裏方として、式典を作ってきたジャネットではあるが、『客』として参加するのは初めてだ。

「こちらです」

 昨年までは、魔術師として貴族席の中では、ほぼ末席に座っていたジャネットとフローラだが、皇族からも近い貴賓席に連れていかれた。

 これも、記憶と同じ。周りの高貴な貴族たちから、微妙な視線を集めるところまで、同じだ。

 ──私、本当に嫌われているのね。

 自分のせいで、フローラまで居心地の悪い思いをさせてしまって、可哀そうだと思う。

 もっとも、みな、ジャネットの力を恐れているから、面と向かってさげすんだりはしない。

「私たち、今年は、仕事をしなくていいのかしら?」

 わかっていることではあるが、ジャネットはラニアスに確認する。

「本日は、ゆっくりとこちらでご覧になるようにとの、陛下のお言葉でございます」

「……そう。慣れないわね」

 ジャネットの言葉に、ラニアスは何も言わずに頭を下げ、去っていった。

 ファンファーレを鳴らす楽団が、最後の音合わせをしている。人々のざわめきと人の動きがせわしない。

「お姉さま、皇族の方がお見えになったみたいですよ」

 フローラが、貴賓席の最も高い位置にあるボックス席を指さした。その席には、帝王と、帝妃、そして皇子のほか、宰相親子が座る。

 見上げると、端正な皇子の姿が目に入った。正装をまとい、宰相の娘リアナを丁寧にエスコートしている。

 ──お似合いね。

 きめ細やかな白い肌。綺麗に結い上げたブロンドの髪。たおやかなしぐさ。女性としても見とれてしまうほどの美しい姫君だ。

 ジャネットの胸が、チクリと痛む。

 この光景を見るのは二度目だというのに、なぜ、辛いのだろう。

 胸が痛いのに、どうして、目が離せないのだろう。

 皇子がボックス席の中で周りに手を振ってこたえながら、辺りを見回し、ジャネットのほうを向いたように見えた。

 ジャネットは丁寧に頭を下げたあと、視線をボックス席からそらし、立ち上がる。

 目が合ったと思うのは、ジャネットの勘違いだ。そう悟るのが怖い。

「お姉さま?」

 不思議そうに目を向けるフローラに、ジャネットは微笑んだ。

「ヴィズルさまにご挨拶に行ってくるわ。すぐ戻るから心配しないで」

 式典が始まるまで、ここにいれば、嫌でも皇子のほうを見てしまう。皇子との婚約を諦めると決めた以上、それは未練だ。

 ジャネットは、席を立ち、ひとり席を離れる。

 まだ式典には間がある。席を外したところで問題はないし、ここならばフローラを一人にしても大丈夫であろう。

 出口をくぐると、ひやりとした空気が頬をなでる。胸がどことなく冷たくて痛いのは、そのせいだ。

「ジャネット?」

 魔術師席のほうへと足を向けた時、一人の女性がジャネットを呼び止めた。

「マリア」

 そばかす顔で、ひょろりとした手足。美人とはいいがたいが、愛嬌のあるくるくるとした瞳。

 ジャネットの数少ない友人で、優秀な魔術師だ。

「こんなところで、何をしているの? あなたは、貴賓席にいないといけないでしょう?」

「ええ。でも、式典前に、みんなに会いたくて」

「困ったひと。あなたが来たら、みんな、あなたに頼ってしまうわ」

 くすくすとマリアは笑いながら、魔術師たちの席のほうへとジャネットを導く。

「デニス様もいない、ジャネットもフローラもいない。この国の魔術の使い手がごっそりぬけたから、式典はかなりたいへんなのよ」

「ヴィズル様もマリアもいるじゃない」

「ヴィズル様はともかく、私が十人いてもジャネットにはかなわないわよ」

 先ほどよりは、はるかにグレードの下がった観覧席の景色は、ジャネットには心地よかった。

 見知った懐かしい顔の人たち。

 何より、ここからは、貴賓席の一番奥のボックス席はほとんど見えない。

「ジャネット?」

 声をかけてきたのは、年配の男性。父デニスと同年配で、この国屈指の大地の魔術を扱うヴィズルである。ジャネットが、皇子と候補と言う形でも婚約にこぎつけることができたのは、この男の尽力によるところが大きい。

「少し時間がありましたので、ヴィズル様にご挨拶を、と思いまして」

「久しいな。ずいぶんと綺麗になった」

「ありがとうございます。妹ともども、無事、日々を生きております」

 ジャネットの言葉に、ヴィズルの表情が複雑に歪む。

「未だ、デニスは研究をしていて……式典にすら顔を出せんようだ」

「元気であるなら、それでよいですわ。研究は国のためでしょうから」

 二人の間に、わずかな沈黙が生まれた。

 父デニスが幽閉されているのは、魔術師の間では、周知の事実だ。しかし、それについて意見を述べることは、反逆の疑いを受ける可能性がある。

「どうやら、南の離宮は居心地が良いようだ」

 ヴィズルは、小さな声で呟く。

「そうですか……」ジャネットは、丁寧に頭を下げる。

 父の居場所を、ヴィズルなりにさぐってくれていたのであろう。

 前回は、ずっと席に座っていて、ヴィズルに会う機会はなかった。

 自分が一つの考えに閉じこもってしまっていたのだと、ジャネットはさとる。

「私、何かお手伝いできることありますか?」

「そりゃあ、紅蓮の魔術師にやってほしいことは山ほどあるが……」

 ヴィズルは苦笑した。

「今日のところは、早く席に戻れ。お前の立場が悪くなる」

「はい」

 ジャネットは、丁寧に頭を下げ、素直に従うことにした。

 自分の立場はどうでもいいが、フローラや、ヴィズルたちにも迷惑をかけかねない。

 自分と父が、この国の火種であることを、ジャネットは理解している。

 懐かしい人々との邂逅を終え、ジャネットは再び通路へと出た。

 式典が間近に近づいているため、円形劇場全体がせわしない。

 ──え?

 ジャネットは、ふと歩いてくる一人の男に目を奪われた。

 精悍な顔をしたたくましい男だ。記憶とは違う、髪の色ではある。しかし、間違いなく知っている男だ。

 ──銀龍。

 採掘場に現れる銀龍を刺繍した派手な身なりとは違い、これといって目立たない外套を羽織っている。

 男のほうも、ジャネットの姿を認め、立ち止まった。

 ジャネットは辺りを見回す。ジャネットのほかに、男の正体に気が付いたものはいないようだ。

「ごきげんよう」

 ジャネットは親し気に微笑む。

「こんなところで、お会いするとは思いませんでしたわ」

 男は一瞬、驚いた顔をしたものの、旧知の人間に向けるような、柔らかな笑顔を浮かべた。

「お会いできて光栄です。相変わらず、お美しい」

「……心にもないことを」

 くすり、とジャネットが笑うと、男は、「まさか」と言った。

「あなたになら、殺されても構わない、と思う男は多いですよ」

「……嫌味じゃなければいいのですけど」

「けっこう、本気ですけどね」

 口説き文句のように聞こえても、実際に、命をやり取りしていただけに、笑えない。

 男は優しくジャネットの手を取り、貴賓席のほうへと共に歩く。

「紳士でいらっしゃるのね」

「誰にでも、というわけではありませんよ」

 にこり、と男は笑う。

 命を懸けて戦った相手ではあるが、ジャネットの中に、銀龍への憎しみはない。むしろ、この男を尊敬すらしている。

 フローラが反乱軍へと身を投じる未来を、ジャネットは変えたいとは思わない。銀龍は、フローラを預けるのに値する男だ。

 半年後には、皇子も、自分もあてにならないのだから。

「父は南の離宮にいるの」

 小さな声でジャネットは呟く。

 男は、それには答えずに、突然、立ち止まった。

 男の視線の先を目で追って、ジャネットは驚いた。

 貴賓席の入り口に、長身の男が立っていた。鋭い瞳で、ジャネットと男を見ている。

「皇子?」

 どうして、皇子がここにいるのか。

 銀龍がここにいることを知っていてのことだろうか。

 ジャネットは平静を装いながら、考えを巡らせる。

「お迎えのようですね。美しい姫君」

 男はそういって、ジャネットから離れ、一礼をする。

「あなたのような美しいひとが、ひとりでお歩きになるのは、危険です。これからはご注意を」

「ありがとう。助かったわ」

 ジャネットがにこやかに微笑むと、男は「いずれ、また」と言って、背を向けた。

 男の立ち去る足音を背で聞きながら、ジャネットは皇子に一礼する。

「ジャネット」

 少し怒りを含んだような声だ。

「どこへ行っていた?」

「魔術師席のほうへ挨拶に行っておりました」

 ジャネットは、激しい動揺を隠しながら答える。

 背筋に冷たい汗が流れた。

「ジャネットは俺の婚約者だろう? 魔術師席に行く必要はないはずだ」

「私は、紅蓮の魔術師。魔術師ゆえに、婚約者『候補』にしていただいた立場です」

 大きく息をしながら、ジャネットは答える。先ほどの男が銀龍だと悟られてはいけない。

 あの男が、ここでつかまるようなことがあっては、ならないのだ。

「今の男は誰だ?」

「さあ?」

 ジャネットは首をかしげて見せる。

「ひとりで歩いていたら、送ってくださったの。親切な方ね」

「ずいぶんと、楽しそうだったが」

 皇子の目が射るようにジャネットを見ている。まるで尋問されているようだ。

 体が硬直しそうになるのを、必死で隠す。

「そうかしら」

 ジャネットは苦笑してみせた。

「そうね。私にあれだけ優しくしてくださるかた、珍しいですもの。嬉しかったですわ」

 ジャネットの言葉に、皇子の顔が不機嫌に歪む。

「皇子こそ、こんなところで何をなさっていらっしゃるの? お席のほうでリアナさまがお待ちでしょうに」

「何が言いたい?」

「何も……私、もう皇子の邪魔はしないと決めましたから」

「待て。ジャネット」

 背を向け、立ち去ろうとしたジャネットの腕に、皇子の手が伸びる。

「……痛ッ」

 治りきらぬ傷の痛みに、ジャネットは思わず、小さい悲鳴をあげた。

「すまない……大丈夫か?」

 慌てて手を引いた皇子の顔に動揺が見える。

 式典の開始を告げる、ファンファーレが鳴り響いた。

「失礼いたしました。大丈夫ですわ。皇子もお早いお戻りを」

 ジャネットは、頭を下げ、その場から走り去った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る