3 鴉の名前
「たっだいまー。親父、お袋。ファナク連れてきたぜー」
「ああ、よく来たな。ゆっくりしていくといい。……ところで、その鴉はどうしたんだ?」
ジルドの家にて。
ファナクはジルドの父親――アルズから歓迎を受けた。
ファナクは抱きかかえた鴉を示し、事情を説明する。
すると。
「ああ、そういうことか。それならカンナの方が得意だろう。まぁいい、とりあえず上がってくれ」
納得したように頷いて、自分の妻の名を口にした。
家の戸口で戸惑うように佇むファナクの背を、ジルドが押す。
「そんなところで突っ立っていないで、さっさと中に上がろうぜー。鴉はお袋に預けよう。お袋は動物の怪我や病気に詳しいもんなー」
ジルドに背中を押され、「お邪魔します」とファナクは中に入る。その身体が再びよろめき、ジルドが慌てて支えてやった。彼は心配げにファナクの顔を覗き込んだ。
「おいおい、さっきから大丈夫かよ? 辛いなら無理しないでさっさと言えよ。無理する必要なんてないんだからよ」
「……大丈夫。ありがとう」
ファナクの態度は相変わらずだ。ジルドはやれやれと溜め息をついた。
家の中を進む。その先で彼は一人の女性と出会う。
亜麻色の髪、優しい緑の瞳。ジルドの母親、カンナだ。
あら、どうしたのと問う彼女に、今度はジルドが説明した。
すると彼女は頷いて、そっと手を差し出した。
「良かったらその鴉ちゃん、わたしに診せてくれないかしら。緊急事態を脱したらあなたに返してあげるわ。わたしなら何とかできると思うの」
ファナクは頷き、その鴉をカンナに渡す。
渡したら、安心したのだろうか。
不意に暗転した視界。
「って、おい、ファナク! まったく、無理するんだからお前はよぉ!」
ジルドの声が遠く聞こえたけれど。
どしゃり、音を立て、ファナクはその場に倒れ込み――やがて意識を失った。
◇
熱に浮かされ、見た悪夢。
何もできないまま、大切な人たちが次々と死んでいく。
それで自分はその「痛み」だけを、断末魔の苦しみだけを「受信」し、無駄に苦しむ。
それは地獄のような日々だった。
「――ク」
痛い、苦しい。
「――ナク」
誰か助けてと、地獄のような日々の中で願っ
「――ファナク!」
「……ジル……ド?」
声に、ようやく悪夢から覚める。
彼はびっしょり汗をかいていて、全身から悪寒がした。
ああ、風邪をひいたなとぼんやりと思う。
ジルドは目覚めたファナクを見、安心したような顔をした。
「ふぅ……。なーんかさ、悪い夢でも見てるみたいだったからさ、大丈夫かって思ったんだけど……。
そうそう、お前は病人な。だからベッドから出るなよ、絶対に出るなよ? 鴉ちゃんは応急処置をしたから、同じ部屋に居させてくれるってさ。俺だっていつもここにいられるわけじゃないし、ひとりが寂しいならこの子がいるから出るなよ」
言って、彼は鳥籠を見せた。その中には包帯を巻かれた赤眼の鴉が、疲れた顔で留まり木に座っている。その赤の瞳と、ファナクの白の瞳が束の間、合った。赤眼の鴉は値踏みするような眼で、ファナクを見ている。
「ほんとーは自由にしてやりたいんだけれどもさ、怪我しているから治るまでは俺たちでお世話だ。ファナク、お前が見つけたんだから責任とって、お前が名前付けてやれよ。世話はファナクの体調が回復するまでこっちがやるけどさ」
ファナクはうんと頷いて、しばし、思案。
やがてぽんと浮かんだひとつの名前は、
「――ハイン。」
「え、何?」
「この子、ハインにする」
どこかの神様の、悪戯だったのかも知れない。
ジルドは不思議そうに首をかしげた。
「何だか人間みたいな名前だな。ま、お前がそうするってなら俺もそう呼ぶさ。じゃあ……」
ジルドは鳥籠に顔を寄せて、思い切り笑った。
「俺はジルドってんだ。こっちがファナクな。これからしばらくよろしくだぜ、ハイン!」
互いに何も知らない、何もわからない。
ファナクはこの鴉の正体を知らないし、鴉もまた、ファナクの能力を知らない。
けれど、
それは運命なのか、単なる偶然なのか――。
答えは運命の女神ファーテにでも訊かないと、わからないだろう。
◇
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