第5話 臆病な心

 ザッと草葉が擦れる音がする。音の方へ顔を向けると、ちょうど琴音がこちらに向かって走ってきたところだった。しかし、共に行った来栖と湊士の姿がなかった。


「琴音ちゃん、おかえり」

「ただいまです」


 それに、少し元気がなさそうだ。視線は下に向いて、いつもの笑顔がない。

 緋鞠は何気なく、そっと尋ねてみる。


「大丈夫? ごめんね。琴音ちゃんも疲れてるのに、見回りを任せちゃって」

「いえ、私はそこまで疲れてませんから。まだまだ大丈夫です!」


 そういってぐっと拳を握ってみせる。だけど、やっぱりどことなく表情が暗い。理由がわからずに困っていると、和音が「あれ?」と声を上げる。


「あとの二人は?」


 一瞬、琴音の視線が泳いだのを見逃さなかった。琴音は作った笑顔を浮かべると、手を胸の前に重ねる。


「それが、チームメイトが一人、姿が見えないのだとか。それで、私たちには先に避難していてほしいと言っていました」

「えー? 勝手な行動は困るなぁ。あの子たち強いっていっても、避難するよう言われてるし」

「すぐに追いかけるからって。大丈夫ですよ」

「うーん……」


 和音は困り顔で懐からトランシーバーを出して離れていった。

 緋鞠は琴音の違和感に、首を捻る。いつもなら、優しい琴音のことだから一緒に探すと言うのに。


「ねぇ、一緒に探したほうがいいんじゃない?」

「いえ、大丈夫だって言ってましたから」

「そうだけど、探すなら人手が多い方が」

「いいんです!」


 琴音は叫ぶように、緋鞠の声を遮る。初めて聞いた、琴音の大声に驚いた。琴音はぎゅっと手を握りしめると、ぐっと堪えるように緋鞠をみる。その目には、涙が浮かんでいた。


「緋鞠ちゃんはズルいです!」

「え?」

「私や皆に頼っていいよ、助けるよって。何でも言ってっていうのに、自分のことは何にも話してくれません!」


 その言葉に、湊士に言われたことを思い出す。


『おまえ、本音や不安を言わないだろ?』


 あのとき、本当はわかってた。言ってるって、嘘をついていた。

 緋鞠は罪悪感を隠すように、手を握りしめる。


(だって、言ってしまったら頼れなくなるでしょう?)


 明るく振る舞って、笑顔でいれば、頼ってもらえる。誰かを助けることができる。みんなを笑顔にできる。

 そう思ってたのに……どうして泣かせてしまったのだろう。


 緋鞠はなんとも言えなくて、ただ悲しげに怒っている琴音を見ていた。琴音はさっきと打って変わった、か細く小さな声になる。


「それなのに、どんどん危険な方へ進んでいって、自分が傷ついたって平気だって。私が手伝おうとしても突き放して。私が足手まといだってわかってる。だけど」

「足手まといなんかじゃない!」

「なら、どうして測定の日に囲いの外へ出したんですか!」


 なにも言えず、緋鞠は黙ってしまう。違う、足手まといと思ってないのは本当。だけど、自分でやると決めたことに、琴音を巻き込むわけにいかなかったから。


「私、緋鞠ちゃんはいつも笑顔で元気一杯だから、心のどこかで大丈夫って、安心しきってた。自分の怖いこと、何でも言っていいんだって、頼りきって見えなくなってた」


 ポロっと涙がこぼれ落ち、琴音は頭を下げた。


「ごめんなさい」

「こと」

「でも!」


 ばっとすぐに顔を上げ、ガシッと手を握られる。突然詰められた距離に驚き、ビクッと肩を揺らした。


「緋鞠ちゃんも分かりにくいのは悪い! 笑顔で隠して、見ないようにしないで。不安なら不安って言ってください! それぐらい受け止めます。だって、私たちは友達で、仲間でしょう!」


 ポロポロと涙をこぼしながら、緋鞠の手に額を寄せる。そうして、祈るように呟いた。


「一人で傷つこうとしないで……」


 ポタッと、目から涙がこぼれた。琴音の言葉が、ゆっくりと胸に収まる。なんて、優しい言葉なのだろう。

 緋鞠は溢れてくる涙を堪えるのに、口を引き結んだ。そうして、胸の奥に潜む気持ちが、自然とこぼれ落ちるように。ポツリ、ポツリと言葉が紡がれた。


「私、ね。暗いところが、苦手で……」

「はい」

「一人で、寝られないの。だから、いつも兄さんや……兄さんが、いなくなってからは、他の兄妹とずっと一緒に、いて」


 琴音は黙って頷きながら、話を聞いてくれる。それに安心して、緋鞠は瞳を閉じた。


「ずっとなんでかなって、理由がわからなくて。そしたら、最近ね。少し、思い出したことがあるの」


 あの地下牢で、思い出した記憶。

 それは、暗闇で振るわれる暴力と、光る人の目。


「助けてって言っても、助けてもらえないの。その目はただそこにあるだけ。じっと見ているだけ。まるで、そうであることが当然であるように」


 泣いても、叫んでも、誰も助けてくれない。やがて諦め、声さえも上げられなくなる。


「助けてって言うことは、すごく勇気がいることだって分かるから。分かってるから、なおさら言えない人には」


 言っても、誰にも届かない。それは、なんの意味のない、ただの音にしかならない。それなら、何も言わない方がずっといい。


 黙って。沈めて。見えないように、深く隠して──。


「その痛みが分かるから、私は手を差し伸べ続けたい。一人じゃないよ、大丈夫だよって」


 かつて、あの子がしてくれたように。私も手を伸ばして、掴んで、安心させたい。


「だから、一人だけど一人じゃないの」


 心配しないで、と伝わるように。できる限りの笑顔を向ける。だけど、琴音には悲しみを無理やり押し殺すための、歪んだ笑顔に見えた。


「だけど、それは……」


 琴音は次の言葉が見つからず、項垂れた。

 あまりにも、耐えることに慣れてしまったためにできてしまったそれを。どうしたら、壊せるのだろう。

 それに気づかず、緋鞠は言葉を続ける。


「どんなに困難でも困ってるなら助けたい。さっき琴音ちゃんは言ったよね。危険な方へ進んでいくって……来栖君たちに、何かあったんだよね?」


 琴音は見抜かれたことに、はっと顔を上げる。きっと、怯えたような表情をしてしまった。己の未熟さに、思わず唇を噛み締める。

 このまま言わなければ、緋鞠は何も知らずに無事でいられるだろう。だけど、もし来栖たちに何かあったら、どうなるのだろうか。


(落ち込む? それとも──)


 自分を責めたりしないだろうか。手が届いたのにと、嘆くのだろうか。

 その答えがわからない。知りたくない。

 琴音はどうしたらよいかわからず、俯いた。そのとき、背後から足音が聞こえた。


「来栖に刺客が差し向けられていた」

「! 三國君!?」


 振り返ると、翼がいた。どうして、言ってしまったのか。


「なんで教えちゃうんですか!!」

「こいつが何でもかんでも首を突っ込むのは目に見えてる」

「だからって、緋鞠ちゃんがどうなってもいいんですか!?」


 以前よりは雰囲気も柔らかくなって、周りを見るようになったと思っていたのに。

 相変わらずの冷たい態度に、琴音は初めて翼を怒鳴った。


「俺たちが抑えればいいだけだろ」

「……え?」

「だから、俺たちが無茶しないように見ておけばいい話だろ」

「それって、一緒に来てくれるんですか?」


 その問いに、翼はため息をこぼした。


「もう忘れたのか。言ったろ、おまえたちを戦場のど真ん中に置いていったりしないって」


 忘れていない。だけど、まさかそこまで大きな意味だとは思わなかった。

 驚いてみていると、緋鞠はぱあっと顔を輝かせる。


「ありがとう!」

「言っとくが、その代わり容赦はしないぞ。本気でやばいときは気絶させてでも戦線離脱するからな」

「え」

『その点に関しては同意だが、本当にやったらあとで覚えとけよ』

「いやいや。そこは信じてよ!」


 いつものケンカのようで、ケンカじゃない楽しげな言い合いに、琴音は堪らず笑った。大きな声で笑うと、暗く沈んだ気持ちが晴れてくる。

 私も、危うく一人で抱えてしまうところだった。


(仲間は、緋鞠ちゃんだけじゃなかった。三國君や銀狼さんだっている。二人と協力すればよかったんだ)


 心が軽くなって、琴音は涙を拭いた。助けてと素直に言えず、不器用に手を差し伸べ続ける臆病な友人を、助ける覚悟はできた。あとは、得意の情報を使うだけ。

 琴音はよしっと頷くと、いつものキャスケットにメガネ、手帳を取り出した。


「それでは、皆で剱崎君を助けましょう!」

「そういえば、刺客って?」

「その事も、まとめて話しますね」


 その顔には曇りのない、いつもの朗らかな笑顔が浮かんでいた。

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