第12話

 瞳を閉じた緋鞠の全身を霊力が巡った。両手両足の末端まで温かい力が流れ込み、身体に重力を感じた。


『緋鞠! うしろだ!』


 かっと瞳を開けて、背後に回し蹴りを放つ。

 足の裏に金属を感じる。いつもの緋鞠なら力負けするだろうが、子供の拳のように軽く、ほんの少し力を入れただけで、軽いボールのように飛んでいく。


 地面に足を着くと、身体がいつもよりも軽い。

 違和感があるとすれば、頭とお尻だ。ぺたぺたと触ると、頭上には三角の耳、尻には尻尾が付いている。


『これ、どうなってるんだ!?』


 頭に響くのは銀狼の声。なるほど、これが憑依。


 いつもより軽い身体に緋鞠の心は弾んだ。

 緋鞠に向かって来る弾丸を次々と蹴り飛ばしながら声をあげる。


「憑依って楽しー!!」

『あほう! 楽しんでる場合か! もう時間がないぞ!!』

「あ、そうだった」


 グラウンドに着地し、気絶していた少女をふわりと抱き上げる。

 新たな弾丸が襲って来る前に、一気にスタート地点まで駆け抜ける──!


「憑依術・疾風しっぷう


 風の刻印が浮かび上がり、小さな竜巻を生み出された。

 たんっと地面を蹴ると、景色が後ろに流れる。

 風と一体になったような感覚が気持ちいい。思念で銀狼に話しかける。


『銀狼!』

『なんだ?』

『銀狼が走るのが楽しいって言ってた意味が、わかった気がする!』


 風の中に、小さな霊力をいくつも感じる。可愛らしい小さな笑い声は、きっと風の精だろう。


『あと一分で測定が終わるぞ』

『了解! もうひと踏ん張り!』


 校舎の壁に掛けられている時計の秒針が、十二を示そうとしていた。


「ん?」


 緋鞠は足元に緑色の矢印が浮かんでいる。


「こんなのあったっけぇぇぇぇぇ!!!???」


 矢印が破裂し、蹴られたボールのように空中に投げ出された。勢いが強く、方向転換もできない。

 少女だけは落とさないように、緋鞠はがっちりと抱きしめた。



 ――どうしましょう。どうしましょう!


 愛良は日傘を握りしめながら、教師と生徒の一触即発の状態におろおろしていた。


 ――怒らせるつもりはなかったのに。

 ――傷つけるつもりはなかったのに。


 やっぱり星の導きのとおりにすればよかったの?

 それとも私じゃダメだった?


 小石程度しかなかった教師としての自信が、さらに小さくなっていく。

 いつもそうだ。占星術で占ったとおりにすれば上手くいき、自身で考えて決めたものは失敗する。


 愛良の頭の中が真っ白になり、視界がうっすらと歪んできた。


 ――ごめんね。上手くできなくて、ごめ……。


 そのとき、遠くから叫び声が聞こえた。

 愛良のネガティブ思考を掻き消すほどの声。

 顔を空へと向ければ、流れ星のようにこちらに向かって落ちてくる女生徒たちが見えた。


「えええええっ!!?」


 このままでは、地面にぶつかってしまう!!


 日傘を空へと向け、霊力を流し込む。傘に描かれた羊模様が淡く光り輝いたことを確認すると、手元のボタンを押した。


「下弦の一・羊さんの大行進ゴーゴーひつじさん!」


 モフン☆ 


 効果音と共に、羊たちが傘の先からあふれてくる。

 羊たちはめえめえ言いながら、天まで届きそうな高い壁を形成した。落ちてきた女生徒たちが羊の壁にぼふんっと突っ込んだ。


 ――間に合った!!


 ほっとした愛良は急いで羊の壁に向かい、羊の中から女生徒を探す。


「貴女たち、無事ですか!?」


 愛良のすぐそばの羊毛の中から、にょきっと手が生えた。そして、疲れきった表情の女生徒が顔を出す。


「ふああ、助かったあ……」


 次に狼の鼻先が出て来た。


『……さすがに死ぬかと思ったぞ』


 もうひとりいた女生徒も無事なようだった。


「ここどこですぅうう!?」

「よ、よかったぁぁぁ!」


 愛良はふたりと一匹を抱きしめながら、子どものようにわーんわーんと声をあげる愛良に驚いてなにも言えない。


 遠くで授業終了のチャイムが聞こえて、緋鞠ははっとした。


「あっ、先生。あの、これって合格ですか!?」

「もともと不合格なんてありませぇんよぉ!!」

「えぇっ!?」

「どっから出てきたんですかそれぇ! 私、ただ模擬試験をするのが心配で、ちょーっと難しくしただけですよぅ! でもごめんなさいねぇ……!!」

「えっ、じゃあ、私が勝手に勘違いしたの? いや、でも普通カウントダウンされたら、勘違いもする、よ、ね………?」


 ぐずぐず鼻をすする愛良の声を聴きながら、緋鞠は意識を失った。

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