第4話

「緋鞠ちゃん。はい、どうぞ」

「ありがとう。……!?」


 琴音に渡された紙袋の中身を取り出すと、フリルがあしらわれた上品そうなブラウスに花柄のチュールスカートが出てきた。いつもTシャツに短パンのボーイッシュな格好しかしない緋鞠にとっては、少々ハードルが高い。


「どうしたの?」

「い、いやあ……なんでもない……」


 可愛らしい花やフリルが似合いそうな琴音なら納得だが、常に修行で作った生傷があちこちにある緋鞠にはフェミニンな服は似合わない。


 近くの公園の公衆トイレの入り口に琴音を待たせ、緋鞠は個室に入った。

 せっかく琴音が外出用に用意してくれたのだ。背に腹は変えられない。


 わざわざ洋服に合わせて用意されたパンプスもちゃんと履いて表に出ると、琴音の瞳がきらりんと輝いた。


「わぁ! 可愛いです!!」


 緋鞠の姿を、前から後ろから頭からパンプスの先まで、チェックしている。


「思った通り似合いますね! 次は、スカートのボリュームがあるものを……」


(次!?)


 このままでは次の予定まで立てられてしまいそうだ。それは御免こうむりたい。


「ほ、ほら琴音ちゃん! そろそろ行かないと、銀狼に追いつかれるちゃう!」


 琴音の背中をぐいぐい押しながら公園の出口へと向かう。本人は未だにぶつぶつと思案していて、まったく気づかない。


「よし、次はゴスロリのドレスを試してみましょう!」

「やめて──!」




 日本家屋が建ち並ぶ路地を琴音と歩く。

 大和の都は高低差が激しく、坂道が多い。


「目的地まで、時間がかかりますが、大丈夫ですか?」

「うん。体力には自信があるから問題ないよ!」


 屋敷の間には狭い路地が、迷路みたいにつながっていておもしろい。地図が頭に入っていないと、迷子になりそうではあるけれど。


「大和は昔から防衛拠点にもなっていましたから、抜け道も多いんです。それに都全体の作りが、一つの結界を形成していますから」

「結界って対月鬼とか?」

「完全に排除するものではないらしいです。どちらかといえば、月鬼を誘き寄せ、弱体化させる役割があるというお話です」

「へえ」


 琴音は歩きながら、大和の案内ガイドをしてくれた。

 大和は古より霊脈の恩恵を受けている土地で、妖怪が多く住み着いていたらしい。けれども、月鬼の出現により妖怪の霊力が狙われるようなった。そこで、兼ねてからこの土地に目をつけていた陰陽院が、月鬼から守る代わりに共存を申し出た。


「共存ってことは、妖怪もここにいるの?」

「もちろんです。この近くの『星命商店街』は、妖怪が店主をしているお店がたくさんあるんです。それに、寮の一階にある『浪漫堂』という喫茶店は、店員さん全員が猫又なんです」

「猫又!!」


 猫又は長生きをした猫が妖怪に転じた猫の化身であり、尻尾が二股に分かれている可愛らしい妖怪だ。

 そんな猫又たちに給仕をしてもらえるだなんて……!!


「楽園じゃないですか……!」

「ですよね! しかも店員さんは猫耳、尻尾付きのメイドさん姿に、変化しているんです! メイド服もめちゃくちゃ可愛いんですよ!」

「行きたい!」

「行きましょう!」


 銀狼に睨まれそうだが、猫はまた別腹なのだ!

 琴音と手を取り合って、その場でぴょんぴょん飛び跳ねてしまう。


「はっ!」


 反射的に琴音を引き寄せる。


「きゃっ!」


 カカカッ!


 緋鞠たちの足元に注射器が突き刺さる。


「なっ!?」

「あちゃあ、追いつかれちゃったか」

「緋鞠ちゃん!?」

「――まったく、脱走するなど愚かな……。貴女のためを思って、入院させているのに」


 焦げ茶の髪をきっちりまとめ、静かな黒曜の瞳。

 建物の陰から姿を現したのは、看護師の茶木だった。両手の指の間には複数の注射器が挟まれている


 アスファルトに真っ直ぐ突き刺さるほどの威力。やはり、ただ者ではない。


 琴音を背に庇い、茶木と相対する。


「もう治療は結構です。他を当たってみますので、よくしてくれてありがとうございました」

「いけませんよ。的確な診断が出ているのに、どうして他を求めるんです?」


 無機質な茶木の瞳に、敵意が宿った。


「ああ、本当に。人間とは愚かだ」

「琴音ちゃん、しっかりつかまってて!」

「は、はい!」


 茶木の手から放たれた注射器を跳んで躱した。

 ガガガッ、とアスファルトに無数の穴が開けられる。こんな住宅街で武器を使うなんて、いくらなんでもやりすぎだ。


 太腿のホルダーに入れておいた護身用の霊符に手を伸ばしたのと同時に、札が後方から飛んできた。緋鞠は茶木がそちらに気をとられた一瞬を見逃さなかった。


「緋鞠さん、待ちなさい!」


 琴音の手を掴んで、迷路のような路地へと入る。

 右へ左へと左へ右へ、茶木に追い付かれないように路地をやみくもに走り回った。


「はあ、はあ」

「も、もう大丈夫でしょうか?」

「そうだね」


 体力の限界だった。

 たどり着いた小さな林の中で、借り物のスカートだけれどその場に座り込む。


 額から流れる汗を手の甲で拭い息を整える。

 林道には人の気配はなく、茶木が追ってくる様子もない。うまく巻けたようだ。


「なんとか逃げきれたみたいですね」


 琴音がほっとしたように胸を撫で下ろした。


「茶木さんにはビックリした。いきなり注射器を投げてくるなんて、ありえないよ。琴音ちゃんのおかげで助かった。ありがとう」

「え?」

「札を投げてくれたの琴音ちゃんだよね? 茶木さんの気を逸らせてくれたでしょ?」

「私ではありませんよ」


 琴音は目をふるふると首を振る。


「え?」

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