第3話

 窓枠に一羽の雀が止まっていた。不思議そうに首を何度も傾げながら二人を見て、ちょこちょこと跳び跳ねている。


「“天岩戸あまいわと天照あまてらす"と噂される女性がいらっしゃるんです」

「天岩戸の天照?」


 天照というと思い浮かぶのは、日本古来の伝記『古事記』の神様である。確か、太陽神のとして崇められている女性の神様ではなかっただろうか。

 そう聞くと、琴音が肯定をするようにうなずいた。


「天照様は太陽神であり、巫女としての側面を併せ持つ神様です。そのように例えられる女性が、この大和にいらっしゃるそうです」


 どこかの倉を自身の工房にし、昼夜問わず、籠って研究を続けている。どんなに重症な怪我や病気であっても治し、果ては呪いさえも解いてしまう。人から妖怪まで、分け隔てなく薬を処方してくれる優しい薬師。


 その人物は日の光を思わせる淡い色の瞳を持つ美しい女性であるらしい。その神秘的な美しさから、周囲を彼女をこう呼ぶのだそうだ。


 ──天岩戸あまいわと天照あまてらす、と。


 その人ならこの怪我も治せるかもしれない。

 緋鞠は包帯に覆われた右手をじっと見つめ、期待に胸をふくらませる。


 脳裏によぎるのは銀狼だった。緋鞠が怪我をしてから、不安げに見つめる彼の表情が辛かった。


「琴音ちゃん」

「はい」

「その人に会ってみたい」


 緋鞠の言葉に琴音は一瞬、とまどった。


『――ウソつき』


 幼い頃のちょっとした間違い。

 琴音自身、情報が間違ったものとは知らず、それを信じた子に恥をかかせてしまったことがあった。


 その後、彼女とは友人関係が壊れてしまった。


 それ以来、琴音は情報に関して敏感になり、信憑性を確かめてから情報を渡すようになった。

 特別に優れた能力がない自分にとって、唯一の武器は情報しかない。


 天岩戸あまいわと天照あまてらすに関しては、どれだけ探っても出てくるのはあいまいな噂ばかりだった。はっきりした確認は持てない。


 この話を緋鞠にしたのは、少しでも元気になってもらいたい、という願望からだったが、浅はかだったかもしれない。


(……嫌われたら、嫌だな)


 期待に満ちた瞳から逃げるように顔を背ける。


「……ただの噂ですよ?」

「うん」

「もしかしたら、誰かの作り話かもしれません」

「うん」

「それでも、信じますか?」

「うん」


 だって、と緋鞠が言葉を続けた。


「琴音ちゃんの情報だもの、信じるよ。あのときだって、教えてくれたから」


 鬼狩り試験の日。

 自身の避難を優先させず、危険を省みず、陣の場所まで案内をしてくれた。怖かったはずのに、懸命に弓を弾いてくれた。


 緋鞠が信頼するには十分だった。


 桜色の瞳を見開き、緋鞠を見つめる。迷いのない、真っ直ぐな紅色。


 緋鞠が自分自身を信じてくれたことが嬉しかった。

 あやうく涙がこぼれそうになって、瞳を瞬かせて涙を散らす。


「わかりました。私が絶対に、緋鞠ちゃんを天照のところへお連れします」


 ◇


 次の日、緋鞠は静かにベッドに腰かけ、窓の外を眺めていた。やはり今日も退院を言い渡されることはなく、外出許可さえも出なかった。


 ちらりと見張り役の銀狼に目をやる。静かにしている緋鞠に安心しきっているのか、こちらを気にする素振りはない。


「銀狼」

『なんだ?』


 銀狼がゆっくりと顔をこちらに向ける。眠たげな瞳に少々罪悪感を感じたが、ここはぐっと耐える。


「プリンが食べたくなっちゃった。買ってきてくれない?」


 可愛らしく首をかしげて見せる。銀狼はむっと眉にしわを寄せた。


『――それはいいが、金がないんじゃないか?』


 緋鞠はふっと鼻で笑うと、備え付けの引き出しから茶封筒を取り出した。

 それを銀狼に向かって掲げて見せる。


「お見舞金を、いただきました!」


 それは、襲撃事件の見舞金だった。

 不可抗力とはいえ、襲撃を未然に防げず、また入院まですることになったお詫びだと、緋鞠のところへ事情聴取に来た隊員が置いていったものだ。


 それに加え、陰陽院に正式に陰陽師として認められ、暁にも入隊したため、これからはお給料も出る。

 つまり、孤児院に仕送りをする分を差し引いても、プリンを買う余裕はあるのだ。


 銀狼はじーっと緋鞠を見つめる。やがて諦めたようにため息を吐くと、人型に化けた。


「大人しく待っていろよ」


 銀色の髪をなびかせ、黒のスーツをまとった銀狼は、扉が閉まるまで疑わしげにこちらを見ていた。

 いってらっしゃい、とにこやかに手を振って、緋鞠は銀狼を見送った。


「よっし、第一関門突破!」


 看護師の茶木は午後の回診に同行しているし、抜け出すなら今でしょ! 素早く窓を開けると、芽吹きの香りを含んだ風が室内に入ってくる。


 緋鞠の病室は五階だった。

 窓から身を出すように下を覗けば、病室のすぐそばに立っている木の下に立っている琴音が見えた。琴音に向かって大きく手を振る。


「緋鞠ちゃんの合図」


 琴音はショルダーバックから霊符と小袋を取り出した。

 小袋には種が入っている。木の根本に種を蒔き、霊符を幹に貼り付けた。


木花之佐久夜姫このはなさくやひめ様に、かしこみかしこみ申す」


 矛の印を結ぶと、霊符が輝き木の根から枝の先まで緑色の光が駆け抜ける。

 次の瞬間、木がぐぐーんと急成長を遂げ、枝を緋鞠の窓にまで伸ばした。


 七階建ての病院を越えてしまった木を見た緋鞠は、開いた口がふさがらない。


「下りてきていいですよー!」


 琴音が緋鞠に向かって声をかけてくる。


(……世界は広いなー)


 遠い目をしながら、緋鞠は木の枝を伝って、地面に足を着けた。

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