第2話
再び、渡り廊下に戻ってきた。
外に目を向けると、始まる頃に見上げた銀色の月が雲にすっかり隠されている。薄暗い校舎に目を向けると、教室の窓がきらりと光ったように見えた。
(なんだろう?)
窓硝子に手をつき確認しようと顔を近づけた瞬間、鋭い殺気に全身を貫かれる。
「っ!」
窓に映るのは異様な影。
全身の血が沸騰したように熱くなり、考えるよりも先に身体が動いた。窓硝子に白紙の霊符を貼り、手早く書き込む。
『消』
窓硝子が消失する。
緋鞠は窓枠に足をかけ、そのまま窓から飛び降りた。
『軽、強』
身体を軽くし、足の強度を高める。
空中で猫のようにくるりと一回転し、着地した後に再び霊符を重ねた。
『速』
緋鞠に向かって放たれる殺気から逃れるように転がり、大きく距離を取る。
ドゴォオオン!!
大きな破壊音に振り返れば、土煙の中より鬼の傀儡が現われた。
身長は緋鞠と同じくらいだが、相撲取りのように横幅が広く、腕は棍棒のようになっていて、全身が鉄の鎧に包まれている。
土煙がおさまると、緋鞠が降り立った地面にぽっかりと大きな穴が空いているのが見えた。
「あっぶな……」
少しでも判断が遅かったら、緋鞠の霊体は消えていただろう。
索敵はいつも銀狼がしていたから、やはり相棒に頼りすぎだな、と深く反省する。
ふっと息を吐き、傀儡を見据えながら、右手に『斬』の霊符を貼りつけた。
霊符の効果時間は十分だ。
速攻で終わらせる!
「さあ、かかってきなさい!!」
鬼の瞳が紅く光った。
空にはうっすらと雲がかかり、月が少しの気配も見せぬ静かな夜であった。
◇
星命学園とは正反対側に居を構える‘暁’の総司令部では、大勢の隊員たちが忙しなく動いていた。一年に一度行われる鬼狩り試験の様子を確認するためである。
司令部のモニターには、学園中に配置してある監視カメラに映像が映し出されていた。試験が滞りなく進んでいるか、結界には問題はないか、モニターや計器を確認する事務方の隊員たちの背後には、非番の隊員たちもずらりと並んでいる。
その中に、風吹唖雅沙の姿もあった。
霊符を操り、傀儡と闘う緋鞠の姿をじっと見続ける。
「風吹少佐殿は、その受験生がお気に入り?」
唖雅沙は眉をひそめながら振り返ると、癖のある髪を爆発させたままの男がいた。
男の名は
第五十四隊の隊長であり、唖雅沙の同期でもある。
近くにいた隊員たちは唖雅沙の不機嫌オーラを察知し、そっとその場を離れる。
彼女の凛とした美しい美貌は暁の中でも随一秀でていたが、機嫌が悪くなると半径五メートルは温度がマイナス十度は下がると噂されていた。
また規律を破るものには容赦なく、罰を下すことから彼岸花に例えられ、ついた別名は『彼岸の鬼』。彼女の剣呑な視線も気にせず、大雅は横に並んだ。
「貴様は今、来たのか。けしからんな」
「だって、非番だし」
「非番でも身嗜みくらい整えろ。見苦しい」
「へいへい。わかりましたよ」
「まったく……」
唖雅沙は大雅のだらけた態度に、頭痛がしてきた。
大雅は唖雅沙たち同期の中で、一早く大尉になった実力者だ。
だが現在は、サボり癖がひどい暁一の問題児になっていて、今では唖雅沙の方が上官だ。
「今年は教官に任命されたのだろう。未来の生徒のことはきちんと把握しろ」
そういうと大雅は不満そうな声をあげる。
「オレさあ、教官やりたくねえんだけど、秘書官権限でやめさせてくんない?」
「無理だ。貴様に教えられる生徒が心底気の毒だが人員不足なのだ。反面教師として学んでもらえればいいだろう」
それよりも、と唖雅沙は言葉を続けた。
「三國はおまえの差し金か?」
大雅は目を丸くして唖雅沙を見る。
「あれっ、翼クンてばなんかやらかした?」
「神野緋鞠という娘の推薦書を破り捨てていた」
それを聞くと、大雅は頭を抱えた。
「あっちゃあ~アイツ……調査の意味わかってんのかね」
神野緋鞠への調査依頼が出ていたのは唖雅沙を含め、元帥も把握していた。
理由はふたつ。
ひとつは孤児院に入所する以前の神野緋鞠の情報がまったくないこと。
もうひとつは、五代元帥のひとりから推薦があったこと。
そのため、神野緋鞠は調査の対象者であったのだ。
「なぜ、三國を任命した?」
三國翼は現在、謹慎中である。
度重なる軍規違反に命令違反。その数は今年に入って百を越える。
さらには他の隊の討伐対象である月鬼に手を出し、隊員には全治二ヶ月の大怪我まで負わせている。
「アイツが月鬼に執着するのもわからんでもないからさ。少しでも罰を減らそうと思って、調査依頼の任務を与えたんだけど、同情が仇になっちまったな……」
「そうか」
三國の上官として、気を遣ったのだろう。
これ以上は責めるべきではない。
唖雅沙は再びモニターへと視線を移す。
緋鞠は傀儡の執拗な攻撃をぎりぎりでかわしていた。手に武器はなく、強化した素手で闘っているようだった。
「動きは悪くないな」
「ああ」
大雅の言葉に唖雅沙はうなずいた。
「神野緋鞠は、実践に慣れているようだ。三國の攻撃にも上手く対応していたぞ」
「実践慣れねぇ……」
「なんだ?」
「いや、べつに」
大雅は意味ありげに呟くと、瞬きもせずに白銀の瞳をモニターへと向けた。
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