第3夜 鬼狩試験

第1話

 太陽は闇に沈み、中天に浮かぶ月が地上を銀色に照らしていた。

 まだ月鬼が出る刻ではない。


 月明かりだけが頼りの星命学園の校舎の中で、何度も深呼吸しながら緋鞠ひまりは気持ちを落ち着かせる。


 ◇


 一時間前。

 唖雅沙あがさに送ってもらった宿泊施設で、夜に行われる鬼狩り試験に備えていた。


 残っていた半紙で短冊を作り、試験用の霊符を準備する。

 霊符は自身の霊力を筆に乗せて作る。作れるのは術者の力量次第で、緋鞠が一日で作れるのはおよそ十五枚である。


 霊符の効果が持続するのは、およそ十分だ。

 どの効果をどの程度用意するべきか――。


 筆ペンを咥え悩んでいると、緑茶の良い香りが漂って来た。


「緋鞠。ほら、茶と握り飯だ」

「わあっ、気が利く! 銀、ありがとう!!」


 人型に変化した銀狼から、おにぎりの乗った皿と湯呑み茶わんを受け取る。


「美味しい! 中身は昆布だ!」


 おにぎりは唖雅沙が持たせてくれたものだった。


『所持金がないだと!? 貴様は育ち盛りなのだから、三食しっかり食べないと駄目じゃないか!!』


 まったくけしからん! と、ぷりぷり怒りながらも、手際よくおにぎり作ってくれた。なんだか唖雅沙には、一日中面倒を見てもらって申し訳ない気持ちだ。


「よっし! 頑張ろう!!」


 髪を後頭部の高い位置でひとつに結んで、緋鞠はテーブルに向かった。

 短冊一枚にすばやく丁寧に書き込む。書き損じなどしたらもったいない。


 ――強さ、早さ、鋭さ。あと必要なのは……。


 十五枚すべてを書き終え、緋鞠はほっと息を吐く。


 墨が乾くのを待っている間、試験内容が書かれた書類に目を通す。


 試験時間は二十三時から深夜一時までの約二時間。

 夢繋ぎの術を用いて霊体のみ、星命学園に転移。


 なお、その際にはベッドで睡眠状態にあること。

 武器および霊符の持ち込みは可。それらを携帯して眠ること。

 しかし、


 この文言を見てしまってから、銀狼になんとなく落ち着きがない。

 背後をうかがうと、部屋をうろうろしている。これでは緋鞠の試験中も回遊魚のようにずっと歩き続けるに違いない。


 緋鞠は立ち上がった。


「銀」


 呼びかけると、ようやく動きを止め緋鞠を見る。

 緋鞠は腕を伸ばし銀狼を抱きしめた。


「私は大丈夫だよ」

「……ああ、そうだな」

「私が眠っている間、本体を頼んだよ」

「ああ、約束する」


 緋鞠の背中に銀狼の手が回された。

 昔、私が引きとめたあのときとはまったく逆だ。


 緋鞠は小さな手を必死に伸ばし、銀狼に行かないでと懇願した。

 幼い緋鞠の願いを聞いてくれた銀狼は、成長した今もそばにいてくれる。一緒に闘ってくれる。


 銀狼相棒を試験に連れて行けないことはショックだったが、同時にほっとしている自分もいた。


 本格的に力を手に入れるということは、銀狼にも今まで以上の闘いを強いることになる。

 たいせつな相棒だからこそ、銀狼が傷つくのを見るのは嫌だ。力を手にし、銀狼を守れるくらいに強くなりたい――!


 ◇


 窓から銀色に輝く月を見上げる。


 ――大丈夫、大丈夫……私はひとりでもやれる。


 校内にチャイムが鳴り響いた。

 いよいよ鬼狩り試験開始だ。


 ぐっと拳を握りしめると、緋鞠は廊下を駆け出した。


 星命学園には東側に鬼狩科の棟、西側に妖怪科の棟があり、上空から見下ろせばアルファベットのHのように建っていた。

 ひとまず東棟と西棟の間を繋ぐ渡り廊下へと出た緋鞠は、東棟から陣と鬼石を探すことにする。


 校舎は今の時代にはめずらしい木造建築で出来ており、物珍しくてついついあちこちに目が向けてしまう。

 最初の教室が見えた。引き戸をそっと開き中に入る。


「ん~ないなあ……」


 教室内をそれこそごみ箱の中までくまなく確認したが、何も見つからない。


 次も、その次も。

 すべての教室を確認したが、陣はもちろんのこと、鬼石すら見つからない。


 時折、鋼がぶつかる音が遠くから聞こえてくる。

 他の受験者だろうか。霊符が十五枚と少ない中、他の受験者との衝突は避けたいい。


 緋鞠は気配を消して、探索に集中する。

 すると、紅い欠片が落ちていることに気が付いた。


 硝子が割れたような欠片をそっと手に取ってみると、わずかに霊力を感じる。


 ――見覚えがあるような、ないような……。


 うーん、と首をかしげながら、壁にかけられている丸時計を見上げる。


 二十三時三十分。


「ここまで誰にも会わないとは……」


 物音がする場所を意識的に避けているとはいえ、教室を探している受験者もいるはずだろう。

 あまりの静けさに、緋鞠だけが世界から取り残された気分になった。


 心細さを振り払うように、緋鞠はぶんぶんと首を振る。


「つぎは左側に行ってみよう」


 立ち止まったらなにかに捕まってしまいそうな気がして、緋鞠はひたすら走った。

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