第5話

 湿気を含んだ風が吹き抜ける。

 緋鞠は顔にかかった長い髪を手で押さえると、目の前に広がる光景に目を見張る。


 黎明湖に浮かぶ島の中心には、星命学園がそびえ立っており、その周囲には街が出来ていた。学園はいわば城、街は城下町といったところか。


「スケールおっきいねぇ……」

「遠くから見たことはあったが、近いと迫力があるものだな……」


 ふたりで星命学園を見上げていると、青い警備服に身を包んだ四十代ほどの男性が近寄って来た。


「こんにちは。学園都市に入りたいのかい?」


 手で示された方には、黎明湖と大和を繋ぐ橋が架けられている。今はその橋には遮断機が下がっている。


「はい」

「それじゃあ、許可証を見せてくれるかい?」

「許可証?」

「ああ。今日は一般人は入れない日なんだ。学生証や許可証を見せてくれれば入ることができるんだけど」

「許可証……」


 そういえば、と桜木に渡された封筒の存在を思い出す。


『緋鞠さん、これは推薦状です。私が書いたものですから、これを見せればスムーズに話を進めることができますよ』


「ちょっと待ってください」


 警備員の前で、サコッシュの中を探してみると、荷物に押されてくしゃくしゃな状態の封筒が見つかった。


 中身がわかれば問題ないだろうと、警備員に見せようと封筒をサコッシュから出せば、一陣の風が吹いた。


「えっ!?」


 封筒が風に乗り、飛んでいく。

 緋鞠が封筒を目で追うと、その先に緋鞠とおなじくらいの年頃の少年がいた。


「その封筒、捕まえて!!」


 緋鞠が叫ぶと同時に、少年が封筒をキャッチした。


「ありがとうございます!」


 駆け寄ってその容貌に驚いた。

 陽光に照らされている髪は、金糸のようにさらさらと流れ、瞳は夜空のように澄んでいた。


(び、美少年!!)


「あ、あの……それ、拾ってくれてありがとう」


 少年は碧眼の瞳を緋鞠の方へと向け、手元の封筒に視線を向けた。


 びりぃっ!


 次の瞬間、封筒を破り捨てた。


「んなっ……!?」


 驚愕する間もなく、少年の手にした白い札が目に入った。

 反射的に後方転回し、コートの袖の裏側に隠しておいた霊符を手に付着させる。


 再び緋鞠に向かってきた刃物のように鋭い札を、『斬』で強化した手で斬り払う。


「緋鞠!」


 銀狼の呼ぶ声が聞こえるが、答える余裕などない。

 少年の攻撃をかわしつつ、緋鞠も霊符を放つがまったく当たらない。


 少年から大きく距離を取り、サコッシュを探るが霊符がない。


(多めに持ってきてたはずなのに──!)


 手に丸い石が当たり、はっと思いだした。

 仁のところで霊符を使いすぎたんだ。


 コートの内ポケットを慌てて探ると、見つかったのはたったの三枚。

 スピードを上げる『速』と強化の『強』。もう一枚は白紙の札である。


 少年がなぜ初対面である緋鞠に向かって攻撃を仕掛けてくるのかわからなかったが、こちらは推薦状を破られたのだ。

 お返しに一撃くらい食らわてやりたい。


 こちらの出方をうかがうように深い碧の瞳が向けられている。

 緋鞠は足に『速』と『強』の霊符を使用して強化する。


 だんっ! 一気に踏み込むと、少年の懐に入り込む。


「もらった──!!」

「くっ!」


 握り拳を鳩尾に向かって打ち込むも、少年はバックステップで難なくかわすと、緋鞠の右腕をつかんだ。


 ガウッ!!


 横から飛んできた銀色の塊が、少年を突き飛ばす。


「銀狼!」


 反動で地面に手をついた緋鞠は、すぐに体勢を立て直そうとするも、右手が石化したように動かない。


 驚いて見下ろせば、自身の右腕に札が貼られていた。描かれていたのは呪の印と石化の図案。


 狼の姿に変化した銀狼が少年を組み伏せ、噛み砕こうと鋭い牙を見せる。


「銀狼、気をつけて! そいつ、呪術師だ!」


 少年から発せられる殺気を察知し、間一髪で逃げた。


「銀狼、行くよ!!」


 緋鞠は動かない右手をそのままに、少年に向かって駆け出す。銀狼も、自身に注意が向くよう少年へと疾走する。


 少年は緋鞠よりもすばやさのある銀狼の動きを止めようと札を放つ。

 瞬間、銀狼は霊体化する。札は姿を消した銀狼に外し、そのまま地に落ちる。


「これで終わりよ!」


 消えた銀狼に驚いている少年の背後で、白い霊符を左手に構えた緋鞠が腕を振り上げる。

 気づいた少年はとっさに身を低くし、札を放とうとする。


 突如、ふたりの間に閃光が放たれた。


「わあっ!?」

「ちっ!」


 両者ともそのまま動きを止める。

 ふたりの首に刀が向けられていたからだ。もう一歩踏み込んでいたら、首から上はなくなっていたに違いない。


「双方、ともに武器を手放せ」


 凛とした女の声。


 緋鞠は声の主を目だけで確認する。

 えんじ色の髪をした、風格のある女だった。


 緋鞠は女の指示に従い、大人しく手放そうとするが、少年は諦めてないのかまったく微動だにしない。緋鞠に向ける視線は、氷のような冷たい。


(先に手放したら、その隙に負けるかも……)


「その首、落とすぞ」


 まったく冗談に聞こえない本気の脅迫に観念して、ふたりは霊符を手放した。


 女が地面にひらりと落ちた霊符を刀で突き刺すと、霊符に刻まれた紋様は青白い光の粒となって消えた。

 女が刀を鞘に収めると、少年に向かって鋭い視線を投げつける。


「なぜここにいる、三國みくに。おまえは、今謹慎中のはずだろう?」


 三國と呼ばれた少年は大きく跳躍し、電灯の上に着地すると緋鞠を見つめた。

 緋鞠は少年に向かって、いーっ!と歯を出して威嚇する。しかし少年は、気にとめることなく、そのままどこかへと去った。


「——娘、災難だったな」


 女の切れ長の瞳が、緋鞠に向けられた。刀を向けられたときは恐ろしかったけれど、おかげで怪我はせずに済んだ。


「いいえ。助けてくれてありがとうございました」


 緋鞠が礼を言って頭を下げると、つり上がり気味の目が優しげに細められた。


「あれを助けというか。おもしろい奴だ」


 あれだけ派手な大立ち回りを演じたのだ。

 止めようとして少々手荒になるのも仕方がないし、そうしなければ関係ない人も巻き込んでしまったかも知れない。ちらりと警備員の無事な姿を確認し、緋鞠はほっと胸をなで下ろす。


 ――そもそも、なんで私も襲われるの!?


 首をかしげていると、銀狼が推薦状の残骸を咥えながら緋鞠に近づいてきた。


「銀狼、ありがとう」


 銀狼を撫でながら受け取る。


「……どうしよう。これ、大丈夫かな?」

「ん? それは?」

「推薦状です。さっきの子に、まっぷたつにされちゃいましたけど……」

「まったく、あ奴め……」


 ため息をつきながら女が、緋鞠の手元の推薦状を見つめる。


「見覚えのある字だが……」

「桜木さんて人からもらったものです」

「なにっ!? 松曜しょうようさまからだとっ!?」


 大きな声に、緋鞠も銀狼も驚いた。


「娘、名は?」

「神野緋鞠です。こちらは相棒の銀狼」

「ふむ。リストにあった名だな」


 女が警備員に近づき何やら話したあと、緋鞠を手招きした。


「話をつけて、車を借りた。どれ娘、私が送っていこう」

「えっ!? そこまでしてもらうわけには……」

「なに、どうせ戻るのだ。ついでだよ」


 女は緋鞠に向き直ると、えんじ色の髪を風になびかせながら、はっきりした声で答えた。


「月鬼討伐部隊、第十三隊隊長。風吹唖雅沙ふぶきあがさだ。桜木元帥の秘書官を務めている。これからよろしく頼む!」

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