第3話

 ミネに礼を言って家を出る。

 しばらく歩くと小さな水たまりを見つけたので覗き込んで、自身の身だしなみを整える。サコッシュから柘植の櫛を取り出し、髪にからまった木の枝やら葉を取っていると、背後から声がかけられた。


「——まったく、少しは自重を覚えろと言っているだろう」


 振り返るとまるで人形職人が手掛けたような、怜悧な美貌を持つ男性が立っていた。むすりとした表情に、どこか見覚えのあるもので――。


「銀狼……」


 緋鞠の口から馴染みの名がもれる。


 美貌の男性は、銀狼が人の姿に変化したものだった。面影は、銀色の長いストレートの髪や切れ長の金色の瞳に残っている。


「わかってるよ」


 唇を尖らせながら、緋鞠は複雑にからまった髪をちぎってやろうかと、髪のひと房をつかむと制止された。


「貸せ。俺がやってやる」


 おとなしく櫛を渡すと、丁寧に緋鞠の長い髪をとかし始めた。


 ――私が銀狼を梳いてやったときは、反抗しまくったくせに……。そのまま無言でいると、背後の銀狼が小さく息をついた。


「あの仁という少年に、自分自身を重ねたんだろう?」

「っ!」


 緋鞠の幼い頃の、嫌な記憶。


 ――まったく知らない大人たちがいきなり緋鞠のところにやって来て、淡々とまるで事実であるかのように嘘を告げた。


『どうして死んだなんていうの!? 誰も見ていないし、死体だって出てきてないのに!!』


 子供だからと馬鹿にして、幼い緋鞠の話を聞こうともしない。

 いつだって、子供は大人たちの都合に振り回される。


 ぐっと唇を引き結んで、緋鞠は立ち上がった。


「……銀狼、探そう。あの子、危険な場所にまで入ってる」


 仁の身体には、黒いもやのようなものが巻きついていた。今は、霧のように薄いが、下手をすると……。


 銀狼はもとの姿に戻ると、ふんふんと鼻を鳴らしながら、少年の匂いを辿り始めた。さっそくあとを追いかけ、道なりに進んでいくと目の前に川が見えてきた。


「いた!」


 川に向かって石を投げている少年の姿に、緋鞠はほっと息をついた。

 少年が投げた石は水面を二度ほど跳ね、水中に沈んでいく。


「水切りかぁ。私もちっちゃい頃やってたなぁ」


 少年は視線だけを緋鞠へとめぐらし、背中を向けた。再び投球モーションで石を投げるも、今度は一度しか跳ねなかった。


「これはね、コツがあるんだよ」


 緋鞠は足元にある平たい石をつかむと、姿勢を低くして投げる。石は軽やかに水面を五回ほど跳ねた。


「すげぇ!」


 驚いたようにこちらを見る仁にコツを教える。そうして少し遊んで、石を探している仁にさりげなくたずねてみた。


「——探してあげよっか」

「うーん? 自分で探せるよ」

「シロちゃんのことだよ」


 緋鞠の言葉に、仁は動きを止めた。

 いぶかしげにこちらを見つめる少年の前で、緋鞠は半紙を取り出し広げる。


 半紙の真ん中に円を描き、東西南北を書き込む。あとは犬小屋に落ちていた、シロの毛を媒体として真ん中に置いた。


「仁くんがシロちゃんの姿を強く思い浮かべてくれれば、あとは私が影を追う。そしたら居場所がわかるよ」


 仁がおろおろと、半紙と緋鞠の顔を見比べる。

 揺れる瞳の奥に迷いが見えた。


 ――信じたいけど、信じられない。頼りたいけど……。


「頼りなさい」


 力強く促せば、瞳を潤ませた仁が、緋鞠の向かい側に腰を下ろした。


「それじゃあ、真ん中の円の上に手をかざして。シロちゃんの姿を思い浮かべるの」


 目を閉じて集中しているの仁を確認すると、緋鞠も術を発動した。

 円に緋鞠自身の影が重なり、影に向かって手のひらから霊力を流す。仁の影とシロの媒体にも霊力が触れ、脳内にその姿を映し出される。


 柴犬に似た白い小型犬。スピッツという犬種のようで、仁の周りをぐるぐると走り回る元気な姿が見える。

 走り回るシロの姿を、うまく円に誘導する。


(方角は? どこへ向かったの……?)


 シロは円の中へ入ると、一度立ち止まる。

 しかし次の瞬間、円から飛び出したシロは住宅街の方へと駆けていった。


「あっ! 待ちなさい!」

「え!? 何……」


 緋鞠は驚いている仁の手を掴んで追いかける。小型犬なのに、思った以上に早い。


「銀狼! 先に追いかけて!」


 言うよりも早く、銀狼がシロのあとを追いかけた。


「お願い!」


 先を走る銀狼を見失わないよう懸命に走るが、わけのわかっていない仁は戸惑いからおもいきり走れないようでいる。

 緋鞠たちは右へ左へと道路を迷路のように走る。


 しかし、次に角を曲がったときにはもう二匹を見失っていた。


「やばっ……見失った……」


 はあはあ、と肩で息をしながら、背後の仁を見るとすっかり息が上がっていた。

 周囲を見回すと、空き地があった。


「ちょっと休憩しよう」


 空き地に置いてあった土管に腰を下ろし手招きすると、仁も緋鞠の横に腰かける。


「なんだったんだ?」

「シロちゃんの影を追ってたんだよ。今は銀狼が追ってるから、心配しないで。銀狼とは契約をしてるって教えたよね? そのおかげで、ある一定以上の距離を離れていても会話は出来るし、居場所もわかるの」

「ふーん。GPSみたいで便利だな」

「……でも、あんまり離れるのは怖いよ」


 居場所がわかるとはいっても、うっすらとだ。

 はっきりとわかっていても、この不安は消えやしないだろう。


 ――だって、この世には、絶対も、永遠も存在しないのだから……。


「——緋鞠は」

「えっ?」


 少しぼんやりしていたようだ。急に話しかけられて驚いてしまった。

 傍らを見ると、仁が地面を見つめながら疑問を口にする。


「緋鞠はどうして、そこまでしてくれるの?」

「え?」

「ばあちゃんも、母ちゃんも。皆いなくなったんだから諦めろって。出来るだけ探してみるけど、失う覚悟も必要だって言ってた」


『——こんな危険な仕事をしてるんだ。……失う覚悟だって必要だ』


 いつか誰かが、緋鞠に言った言葉。

 今ならわかる。その言葉を彼も誰かに投げかけられたのだろう。


「なのに、なんで?」


 空き地には風の音しかない。不安に満ちたこの声に、自分はなんて答えたらよいのだろう。

 ……嘘偽りのない真実を答えるしかない。


「陰陽師には、いろんな世界の住人から人々を守る使命があるっていったよね」


 仁が顔を上げ、不思議そうにうなずく。


「一般的に知られているのは、妖怪などの怪異だけど、他にも闘わなきゃならない存在がいるの」


 月が地上へと送りつけた、最悪の贈り物。


「それは月の世界の罪人——月鬼つきおにと戦うこと」

月の世界の罪人月鬼?」

「そう、紅い月が昇る夜に現れる悪い月鬼」


 紅い月を背に、緋鞠を安心させるように柔らかく微笑む彼は――。


「私の兄は月鬼を狩る鬼狩りだったの」

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