第91話 ウザ後輩の様子がおかしい⑤
同じ女の子として幸奈が感じた怒りは僕よりも遥かに大きかったのかもしれない。
ここまで誰かに怒りを露にしている幸奈を見るのは初めてで一瞬どうしたらいいのか分からなくなってしまった。
「さ、幸奈……暴力はダメなんじゃなかったのか?」
「ゆうくんは黙ってて。我慢ならないの」
幸奈を止めようとしても収まりそうにない。完全にキレている。今も獣のような目で頬を赤く腫らした蔵野のことを睨み続けている。
「いったいですね……お姫様はとんだ暴力姫だって拡散しますよ」
腫れた頬をさすりながら幸奈を挑発するように口にする蔵野。普段の冷静な幸奈なら挑発に乗るようなことはない。
だが、我を忘れかけている幸奈はまた片手を振り上げた。
その手を咄嗟に掴んで止めていた。
「離して、ゆうくん! こんなやつもっと叩かないと気が済まない!」
じたばたと暴れる幸奈だが離さない。離しちゃならない。
「幸奈の気持ち分かるよ。でも、こんな屑のために幸奈が汚れる必要ないんだよ」
「でも……」
これ以上、幸奈が手を出したら幸奈が汚れる気がして嫌だった。他人のためにここまで怒れるのは良いことだ。でも、それで幸奈に汚れてはほしくなかった。
すると、今まで黙っていた田所が口を開いた。
「……そーっす。私のために幸奈先輩がそこまでする必要ないっす」
田所はつかつかと歩いていき、蔵野の前に立った。
「いいっすか? 君が撮った写真が注目を浴びたのは幸奈先輩が写ってたから。幸奈先輩のおかげだから。だから、誰も君自体には注目してない。君の存在なんて誰もどうでもいいんすよ」
田所は蔵野に存在すらを真っ向から否定していた。
「それなのに、一人で気分を高めて時間を無駄にして馬鹿っすね。所詮、幸奈先輩が絡まないと一人じゃ注目されない。可愛いそうで仕方ないっす!」
哀れんでいるのか怒っているのか……おそらく、後者の理由で田所は言った。そして、それが事実だったのか蔵野は椅子から立ち上がって田所に殴りかかろうとした。
田所の顔に向かって伸びる拳。目を閉じる田所。だが、蔵野の拳が届くことはなかった。
「後輩に手を出すのはやめてもらおう」
「……秋葉先輩」
隣から秋葉が蔵野の腕を掴んでいた。
すんでのところで拳が止まっていて、田所は目をぱちぱちさせやや驚いている様子だった。
「くっ……」
腕を離され、椅子に座る蔵野。秋葉も静かに座り直してそれ以上、何も言わなかった。
「ゆうくん離して。もう大丈夫だから」
掴んでいた幸奈の腕を離すと蔵野の前へと歩いていく。
「次、私の写真勝手に撮ったりしたら盗撮されましたって言いつけるから。もし、ネットに載せて復讐するとか考えても無駄。私の親が警察のお偉いさんなのよ。私のためならどこまでも追いかけて必ず捕まえようとする人だから……もう言わなくても分かるわよね?」
ニコッと笑う幸奈。もちろん、楽しくて笑ってるんじゃない。脅すために笑っているのだ。
「今回だって、今すぐ盗撮されましたって言いに行けば君どうなるんだろうね? 被害者は三人いるんだし……家族に迷惑はかかるし、停学処分……もしくは最悪退学処分になるかもね」
今度はそれを想像してなのかまたもニッコリと笑みを浮かべる。
その笑みは向けられていない僕からしても怖いと感じてしまう。
しかし、幸奈の言う通りだ。盗撮され、ネット上に公開されたのだ。僕も幸奈も田所も被害者だ。先生に報告されたら蔵野はなす術なく幸奈が言った通りになるだろ。
僕だって幸奈が僕のことを本気で嫌いだったなら同じことを言われてたかもな……。
これからはむやみに誰かの写真を撮ることは絶対にしないようにしよう。そう誓いながら蔵野を見ると何についてかは知らないがガタガタ震えていた。
「もし、自分がしたことを本当に後悔しているなら二度としないように誓いなさい。さもないと……ね?」
幸奈はまるであなたの人生を生かすも殺すも私の自由よとでも言いたげである。
蔵野から見た幸奈はお姫様でも暴力姫でもなく悪魔にでも見えているのだろう。もう、既に泣きそうである。
くるっと一回りして僕の方へと優雅に向かってくる幸奈。
「ゆうくん。ハンカチ持ってる?」
ハンカチをどうするのか分からず黙ったまま手渡すと幸奈は手をごしごしと拭き始めた。
「な、何してるんだ?」
「ごめんね、ゆうくん。ハンカチは洗って返すからね。手が痒くて仕方ないの。多分、汚いの触っちゃったからだと思うんだけど」
すっかり怒っていた幸奈は消えていた。今は手を拭くことに一生懸命である。
そして、それを見てなのか蔵野はおもむろに席を立って勢いよく頭を下げた。
「ご、ごめんなさい。もう二度としません!」
そのまま教室を飛び出していった。すれ違い際、蔵野の両目がうっすらとだけ濡れているのが見えた。
きっと、存在を否定され、散々脅され、汚いもの扱いされ心が折れたんだろう。僕ならぽっきり折れてるに違いない。
でも、それだけのことをしたのだ。せいぜい、これに懲りて二度と同じ過ちはしないようにしてもらいたい。
「ありがとう、ゆうくん。ハンカチ持って帰るね」
幸奈はすっかり蔵野に興味を無くしたように振る舞う。例えるなら飽き性といったところだ。
もし、幸奈との腐れ縁が切れて、飽きられていたら、今頃、もうこんな近くにはいれなかったよな……。そう思うと背筋が走った。
「……さ、幸奈先輩。ありがとうっす」
「気にしないでいいよ。腹が立っただけだから。と言うか、実際に盗撮されてるし文句はあったの。あのせいで、ゆうくんも酷い目にあってたし、後輩ちゃんだって怖い思いしたんだから」
幸奈は腕を組んでプンスカ怒る。さっきとは違い、随分と可愛い怒り方だ。
「はは……にしても知りませんでした。幸奈先輩の親が警察のお偉いさんだなんて」
「あれ? あんなの嘘よ。そんなに世の中上手に回ってないよ」
「嘘なんすか!?」
僕は知っていた。幸奈のお父さんは普通のサラリーマンだ。とても優しいサラリーマンなのだ。
でも、あえて言わなかった。美少女の言うことはどうしてか信じる人が多いのだ。それが、怒っている美少女となると信憑性が膨れ上がる。蔵野もまんまと騙された結果、あの有り様だったのだ。
「幸奈先輩スゴいっす……」
「あんなのビビりながら生活していけばいいの。私たちの大勝利!」
幸奈はニコッと笑いながらピースサインした。邪悪な敵を倒した後の感じ。今の幸奈は魔王などではなく、天使のようだった。
だが、そんな笑顔がどこか無理をして笑っている……そんな気がしてならなかった。
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