まったく勝手ですこと

———財務局長


 ご報告があります。

 新大陸での春の徴税につきまして、総督府との交渉が難航なんこうしております。


 総督府の発行する総督特別認証なる証書により、中・上流の貴族の邸宅を財務徴税権の及ばない総督府管轄かんかつ地扱いとする悪質な癒着ゆちゃくが発生しております。移住した上流貴族たちは財務側の徴税予定額の半分ほどを総督府に支払うことでその証書を得ているようです。


 違法証書発行ではないかと法務で王国法を確認いたしましたところ、総督府の権限範囲がひどく曖昧あいまいであることがわかりました。新大陸で初めて設置された総督府は王国政府並みの権限を有しており、いわば徴税官が税を要求しているような混乱があるようです。


 まずは王国政府に権限範囲の法務的整理を



 ◇◇◇



 報告書を書くアイリの手は今日も止まった。

 カレルヴォ大佐の話を聞いてから、もう3日は経っている。


 部屋には暖かな陽気が差し込み、インクの匂いがただよっている。旧大陸で見慣れなかったクルミ材も、今となっては見慣れた日常の素材としてくすんだ印象はうけない。


 1ヶ月前、事務所はその名を変えた。コッコ測量事務所の看板は外されて、財務局新大陸支所となった。これまで現地採用の補助員で補っていた業務の多くが本国から送られてきた下級官吏によって行われるようになっている。


 つまり事務所までも、アイリ・コッコにとって偽りのミセスのための場所と化していた。前まで2階に住み込んでいたアイリだったが、この移行に伴ってやむなく自分の家を構えた。暮らしぶりはいくらか質素になり、オレンジを食べる量も減らさざるを得なくなっている。


「臨時所長、本局からの通達が届きました」


 差し出したのは自分より年上の役人ルーカスだった。いかなる事務書類にも年齢が書かれないというのを都合のいいことに、アイリは自分の年齢を部局内でも偽り続けている。


「ありがとうルーカス。2週間前の局長のご機嫌はどうだったのかしら?」


「たぶんダメでしょうね。読み上げましょうか?」


「いえ、自分で読むわ。封を開けてちょうだい」


 中には無数の数字と文字が書かれていた。そもそももって何を伝える手紙なのかも書かれていない。しかしという事実だけで、書かれているのが回収した税金の輸送計画であることがわかった。


「少し計算してきますわ。来客があったら知らせてくださって?」


 手紙の暗号を解読する方法も財務局機密に属している。地図とは異なり計算結果を書き留めることも許されず、結果として優れた記憶力と計算能力を兼ね備えた王国技術官だけがその暗号で情報をやり取りすることとなっていた。


 もとは自分の寝室だった部屋は、今は計算室に姿を変えていた。慣れ親しんだ壁に鼻歌の一つも歌いたくもなるアイリだったが、そんなことをすれば下の同僚たちに聞かれてしまう。


 実を言えば、その計算規則はそう複雑なものとも言いがたかった。まずは冒頭に掲げられた数字を隣り合わせにして乗法と加法を交互に繰り返し、鍵となる数字を算出する。次に記された文字と数字の列をその鍵数字で区切り、さらに文字を鍵数字の数だけ変え……


 その単純な計算の繰り返しを、アイリはただ紙面を見つめるだけでこなしていた。記憶する情報量はただならぬ量だったが、本を丸ごと記憶できるアイリにしてみれば、すべての解読が終わった後に元の暗号文をまるごと複写することさえできるかもしれなかった。

 次第に手紙が解読され、言葉が現れる。


「なんだ、思ったより時間あるじゃない」


 声を落としてつぶやく。


 税金は保安上の理由から5回に分けて出航する予定だった。すでに納付された税金だけでも初回の出航には耐えることができ、徴税額を受け入れている中流貴族の分まで含めれば、3回目まではやり過ごすことができる。


 つまり問題となっている総督特別認証への対処は、4回目の出航日である33日後の積み込みに間に合いさえすればよい。特別認証制度の撤回後に貴族たちをきつく締められるとすれば、撤回を勝ち取るまでの猶予ゆうよは20日程度はありそうだった。


 しかし20日といえばアイリの手紙が本土に確実に届くまでの時間でもある。つまり書簡の往復の時間を考えると、もはや何の指示も期待できない。言い換えれば、4回目の税金回収のための船が本土を出航するまでに、アイリの手紙が届くことはもはやあり得ないということでもあった。


「20日……」


 長いような、短いようなその時間にため息を漏らす。しかし考えている時間はなさそうだった。アイリは計算室を出て、廊下の吹き抜けから1階を覗き込む。


「みなさん、認証問題に対処できる期限が決まりましてよ」


 みなさんとは呼びかけてみたものの、ただの事務員である彼らには何の権限もない。しかしアイリは自分の置かれた地獄のような状況を、せめて仲間には理解しておいてもらいたかった。

 その意図を汲んでか、3人の役人は手を止めてアイリを見上げる。


「これから20日の間に、新大陸の中だけで解決しないといけません。念のため手紙は送りますけれど、とくに意味はなくってよ」


 アイリのその言葉に、1階からは内務系の事務所とは思われない言葉が返された。


「……ご武運を祈ります」



 ◇◇◇


……


 まずは王国政府に権限範囲の法務的整理を求めてください。それなしには今後の徴税のたびに、また新しい遠隔地に王国が進出するたびに、同じ問題が起こってしまいます。


 そのうえで、新大陸支所としては、徴税期限・書簡往復の日数を鑑み、この問題を独力で最大限善処する旨お伝えしておきます。もし解決できなければ、その知らせはこの手紙の到着からおよそ20日後には届くかと思われますが、それまでの間は上記法務整理に尽力のほど願います。


財務局新大陸支所 臨時所長

アイリ・コッコ

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る