第36話 「気にしなくていいから。何も気にしなくていいから」


 彩月ちゃんとの初デート。OIOIをウロウロしているだけなのに。

 実家近くの、明川駅周辺にあるOIOIなのに。新鮮で、今までとは違うように見える。

 ただ。隣に好きな人が、恋人が、彩月ちゃんがいるだけなのに。たったそれだけで、世界がここまで変わるのか。そう思えるほどに、俺の鼓動は弾んでいた。


「ごめんね。私の買い物ばかり付き合わせちゃって」

「全然気にしなくていいって」


 店内にいるのはほとんどが女性。店全体からは異臭とは程遠い、香りが漂っている。


「消耗品だし。彩月ちゃんにはずっと可愛くいて欲しいんだ」

「もぅ。海ちゃんのバカ」


 頬を少し赤らめた彩月ちゃんは、購入を決めている化粧品を持った手とは逆の手で。俺の肩を軽く小突いてくる。


「なんだよ」

「海ちゃんにもずっとかっこよくいて欲しいし」

「彩月ちゃんの為なら、俺はいつまでも頑張る」

「嬉しいっ!」


 こんな会話をしていると、流石に周囲からも色々な目を向けられる。

 俺と彩月ちゃんの年齢があまりに離れているからなのか。若いなぁ、とただのカップルを見る目に加え、奇異の目、怪奇の目といったものが含まれている。


 その目が悔しくて、辛くて。

 年齢差が何なんだよ。俺は本気で彩月ちゃんが好きで付き合ってんだよ。


 若いのに――

 なんだよ。俺が時間を無駄にしてるって言いたいのか?

 俺は彩月ちゃんと結婚したいと、思ってるんだぞ。


 若い子が好きなんだねぇ――

 違う。俺が彩月ちゃんを好きで、告白したんだ。

 彩月ちゃんが若い子を好きとか、そんなんじゃねぇーんだよ。


 聞きたくない世間の声が。ここにいれば嫌でも耳に入ってしまう。

 俺と彩月ちゃんのことを。微塵も知らないくせに。知ったような口を利いて、それが正解なんだって思わせるように。言葉を紡いでいる。


「彩月ちゃん。選べた?」

「うん.......」

「じゃあ、早く買ってここから出よう」


 俺に聞こえたというのは。周囲の声は、彩月ちゃんにも届いていたのだろう。

 端正な顔に苦渋を滲ませている。それを俺に悟らせないように、努力していることまで伝わってくる。


「レジってどっちだっけ?」


 言われるのは分かっていた。歳の差は12もあるんだ。でも、それをリアルで言われるとここまで心に来るものだとは、想像もしていなかった。いや、想定が甘かったのかもしれない。

 俯いたまま、彩月ちゃんはある方向を指さした。そちら側にレジがあるのだろう。


「行こ」


 その方向を確認してから、俺は彩月ちゃんの手を取った。

 その場にいる全員に見せつけるように。少し声を大きくした。

 奇異の目がより一層強くなり、俺たちを見てくる。


「気にしなくていいから。何にも気にしなくていいから」


 彩月ちゃんの手を握る、俺の手に。少し力を込めた。この本心が屈折することなく、彩月ちゃんの心に届くことを祈って――


「うん。心配かけちゃったね」


 少し弱さが見え隠れする笑顔を浮かべた彩月ちゃんの手は、少し震えていた。

 俺よりも、社会という場所を知っているからだろう。一度失敗を経験しているからだろうか。

 世間の目に、より一層敏感になっているのだろうか。


「気にすんなって言ったろ?」


 それだけじゃないかもしれない。でも、それ以上は今の俺では見透かすことはできないから。

 言葉を掛けてもなお、落ち込んだ様子を隠しきれていない彼女の手を強く引き。レジへと向かった。


 * * * *


 それから色々とお店を回ると、不意に俺のお腹が鳴った。


「もしかして。お腹すいた?」

「っぽい」

「ぽいって何よー」

「いや、だってさ。お腹すいたって思ってなかったけど。お腹鳴ったからさ」


 お腹の虫を、彩月ちゃんに聞かれたのが恥ずかしくて。赤らめた顔を逸らして、いじけたように言うと。彩月ちゃんは繋いでいない方の手で、俺の頬を突いた。


「そういうのをお腹すいたって言うのよ」


 もぅ。そう言わんばかりにため息をこぼし、微笑みを見せる。よかった、表情が戻ってる。

 ほんの少し前まで、化粧品売り場での出来事を引きずっている様子があったから。心配だったんだよなぁ。


「んじゃ、お腹すいた」

「何食べたい?」

「んー、すぐ食べれるところ?」


 一度お腹が空いている、ということを自覚すると。めちゃくちゃお腹が空いてきて、動くのすら辛くなるレベルになる。

 気づかなきゃまだまだ歩けただろうに。気づき、ということほど怖いものは無いぞ。


「じゃあ混んでないお店探そっか」




 そう言い、俺たちはOIOIのレストラン街を歩く。だが、時間がお昼すぎということもあり。どのお店も、お店に入るための列を生している。


「んー、これじゃあ直ぐに入れないね」

「そうだなー。まぁ、まだ2時にもなってないしな」


 腕時計で時刻を確認してから返事をする。と言っても、もうすぐ2時だ。今日はまだ平日だし、そろそろお客さんが減ってもいい頃だと思うが。


「夏休み、だもんね」

「そうか、みんな夏休みなのな」


 やけに学生やら、家族連れが多いと思ったんだ。


「とりあえず、フードコートの方も見てみようか」

「おう」


 短く返事をしてから、フードコートへと移動する。普通のお店もいっぱいだったんだ。そちらよりも比較的安い値段で、料理が提供されているこちらがいっぱいでないわけが無い。

 だが、こちらは席が多く、人の出入りが激しい。タイミングさえ合えば。


「あ、あそこ空いてる。いこ!」


 このように、空席を見つけることは可能なのだ。空席を見つけた彩月ちゃんは、俺の腕を引き、空席の所まで行く。

 その間に誰にか取られる。ということもなく、席を確保出来た。


「彩月ちゃん、何が食べたい?」


 その席に腰を下ろし、訊くと。彩月ちゃんは、ぐるりと1周を見渡してから、難しい表情を浮かべる。


「ラーメンもいいけど。うどんもいいんだよねぇ」

「その口ぶりから、麺類ってことは決めてるってことか?」

「今は麺類が食べたい気分なの」

「分からなくもない」


 朝は普通に。昼はささっと食べられるもの。夜はガッツリ。俺の中の食事のイメージがそれだから。昼からステーキとかは、考えにくい。逆に、夜にマックとかのファーストフードってのも少し違う気がするんだ。


「海ちゃんはどっちが食べたい?」

「俺はまじでどっちでも大丈夫かな。それよりも、彩月ちゃんが食べたい方でいいよ」

「えぇ。そんなこと言われると、悩んじゃうな」


 コロコロと表情を変え、ラーメンかうどんで真剣に悩んだ挙句。

 彩月ちゃんはラーメンという答えを出した。


「んじゃ、俺買ってくるよ」

「私がいくよ!」

「いいって。彩月ちゃんは休憩しててよ」


 どちらも立ってしまえば、席が取られてしまうことになるだろう。だから、購入に行くのはどちらか1人。

 それに行こうとする彩月ちゃん。でも、今日は俺が何もしてあげられてないから。運転もしてもらったし、お店選びも結局最後は彩月ちゃんだったから。

 これくらいはしてあげたくて。

 俺はラーメン屋で、醤油ラーメンと餃子を1つ注文し、完成したら知らせてくれるブザーを受け取る。

 それを片手に席に戻る。


「取りに行くのは私が行くからね」

「なんでだよ。零したら危ないのに、俺が行くよ」

「なんで私には何もさせてくれないのよー」

「大事だからだよ。彩月ちゃんが大事だから」

「大事でも、もう少し何かさせて欲しい」


 口先を尖らすように言葉を紡ぐ彩月ちゃん。いっぱいしてもらってるから。彩月ちゃんは、俺の全てだから。何もしなくても、してくれているのと同じなんだ。

 でも、これを口にしたところで彩月ちゃんは、きっと理解してくれない。


「じゃあ、帰りの運転はお願いする」

「それは私しかできないことじゃん!」

「俺はできないことが多いから。出来ることくらいさせてくれよ」


 そう言った所で。ちょうど料理の完成を知らせるブザーが鳴り響く。


「じゃあ、行ってくる」

「なんか、凄いズルい」

「ズルくて結構」


 笑いながらそう言い、俺は彩月ちゃんの頭に手をぽんっ、と置いた。

 少し恥ずかしかったけど。何だか少し彼女に触れたくて。

 それと同時に、彩月ちゃんは目を見開き、みるみるうちに顔を朱に染め上げていく。

 俺はそれを横目に見ながら、ラーメン屋にまで料理を取りに行く。



「お待たせ」

「ありがと」


 先ほどの火照りがまだ続いているのか。まだ完全に元の肌色に戻った訳では無い彩月ちゃんが、短く言う。


「餃子もあるじゃん」

「食べたいなって思って」

「食べたいけど、息くさくなっちゃうじゃん」

「2人とも食べたら、2人とも息くさくなって気にならないだろ」


 そんなふうに。俺たちは、俺たちのデートを楽しんだ。

 俺は彩月ちゃんのためなら、なんでも出来るし。浮気なんてするわけが無い。

 歳の差なんて関係ない。

 だって、彩月ちゃんといるのは、こんなにも楽しいんだから――


 食事を終えたあとも、2人で手を繋いで。OIOIの中を散策してから、外に出ると。

 雨はすっかり上がっており、夕焼け染まる空には7色の虹がかかっていた。

 それをバックに、恋人同士になってからはじめてのツーショット写真を撮り。

 彩月ちゃんの運転で家へと帰るのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る