第16話 「稜くんの机じゃ、一緒に勉強出来ないからだし!」


 期末テストまで後3日となった。夢叶先生と何か進展があったのか、と訊かれると答えはノーだ。


 ほんとに! そろそろ進展してもいいとは思うんだけど!


「俺の想い、ちゃんと伝わってないのかな」


 そんな不安が脳裏を過ぎる。しかし、それは考えても詮無いこと。

 いまは期末テストへ向けて。華の夏休みのために、頑張るしかない。


 みなが荘の俺の部屋に一角。備え付けの学習机に向かい、ため息を吐く。

 教科書とワークが広げられる程のスペースだけを確保し、その周りには使っていない教科書類が積み上げられている。

 誰がどう見ても、勉強できる状態では無い。

 だが、それを片付けるのも面倒だ。それに、テストが終わればまた学校に持っていき、置き勉をするつもり。わざわざ片付ける意味がわからない。

 だから、その僅かなスペースで勉強をする。


「あぁ、くそ! まじで意味がわからん」


 問題文としては、ほんの3行程度。だが、グラフを読み解いて解くなんて、わけがわからない。てかなんだよ、領域とか。しるわけねぇーだろ。


「そもそも、みなが荘にいる時点で成績悪いんだよな。解けるわけがない」


 成績不良者のみで構成されているみなが荘。そこで勉強しよう、ということ自体が間違えているような気がする。


「将来、何がしたいとかないけど。領域を求めるような職に就くことは無いと思うな」


 求めるものが何なのか。それすらも分からなくなり、俺は教科書を閉じた。


「分からないことは幾ら考えてもわかんねぇーな」


 赤点覚悟するしかねぇよな。あぁ、俺の夏休み.......。さらば.......。

 ため息をつき、皆目理解も出来ない教科――数学を諦めた。そして、積み上げられた教科書の中から社会科歴史の教科書を引っ張り出した。

 これは、赤点とるわけにはいかないから。夢叶先生に教えて貰ってる教科で赤点を取ることは、夢叶先生に対する冒涜だ。


「と、思うんだけど。やっぱり難しい。いつも提出物は答え見てるから。理解なんてさっぱり出来てねぇ」


 開いたワーク。テスト範囲を解こうとするが、答えがわからん。


「あぁ、これはまじで積みゲーだぞ」


 夏休みに予定がある訳でない。みなが荘から学校までは近いから、凄い苦になる訳ではない。でも、夏休みというみんなが休んでる時に、学校に行くのは嫌だ。まぁ、夢叶先生とマンツーマンレッスンだったら最高なんだけど。


 そんなことばかり考えてしまい、ワークを開いてから1問も解いていない。

 てか、夢叶先生のマンツーマンレッスンばかりを妄想してしまい、問題を解くということに思考を割けないでいた。


 そんな時だ。

 俺の部屋の扉をノックする音が耳朶を打つ。


「はい?」

「ウチだけど。ちょっといい?」


 声の主は俺もよく知っている。このみなが荘で一緒に暮らしている亜沙子だ。


「ん? あぁ、いいぞ」


 そう返事をしてから、しばらくて。遠慮がちに扉を開けていく。


「一緒に勉強したいんだけど。いいし?」

「別にいいけど」


 つい先日まで、まともに会話すらしていなかった。というより、避けられているような気がしていた。にも関わらず、今日は亜沙子からの来訪。

 女子の考えていることは、数学よりもわからない。


「って、その机で勉強できるし!?」


 俺の学習机を見た亜沙子は、目を丸くして驚嘆の声を上げた。


「入って第一声がそれかよ」

「そ、そりゃあそうだし。教科書に埋もれたように勉強してる人なんて見た事ないし」

「これのが教科書を覚えられそうだろ?」

「そんなことあるわけないし!」


 片付けるのがめんどくさい。その言い訳をしていると、亜沙子は大きくため息をついた。そして、教科書に埋もれる俺に近づき、亜沙子は手に持っていた筆記用具らを押し付けてきた。


「ちょっと待ってるし」


 そう言い残し、亜沙子は部屋から立ち去る。あまりに急な展開に、理解が追いつかない。すると、階段を駆け上がる音がした。


「忘れ物でもしたのか?」


 そう思った時だ。


「あ、無理だし」


 不意に、2階からそんな声がした。そして、そのまま大きな声が耳に届く。


「稜くん。手伝って欲しいし!」

「どういうことだよ」


 亜沙子の筆記用具を手にしたまま、返事をすると更に大きな声が返ってくる。


「いいから。ちょっと手伝って欲しいんだし!」


 何をどう手伝うんだよ。

 亜沙子が何を考えて、俺を呼んでいるのか。意図を読み解けない。ため息をつきながら、亜沙子の筆記用具らを開いたワークの上に置き、部屋を出る。

 何を手伝うか分からないまま、俺は亜沙子の待つ階段まで行く。その最上段。階段を上りきった所に、亜沙子の姿が見える。


「俺は何をすればいいんだ?」


 階段の下から呼びかける。


「上がってきて!」


 忙しいそうに、早口でそう返ってくる。この前、朝起こしに行った時は、2階に上がり怒られた。にも関わらず、今は上がってこいと言う。


「上がっていいのかよ」

「いいから、早く来るし」


 何と自分勝手なやつなんだ.......。

 短く息を吐いてから、俺はゆっくりと階段を上り始める。


「上がってるぞ?」


 また怒られるのも嫌だから、確認をとる。


「良いって言ってるし」


 あまりにしつこい確認だったのだろうか。亜沙子からの返事は面倒くさそうなものだった。



 2階に上がると、亜沙子は彼女の部屋から小さなテーブルを引っ張り出している所だった。


「な、何してるんだ?」


 へっぴり腰で謎の生き物的な動きをしている亜沙子を見て、思わず口に出る。


「見てわからないし?」

「分からんから聞いてるんだけど」


 察しの悪いやつ。そう言わんばかりに、亜沙子は俺を見てため息をつく。


「テーブルを運んでるの」

「.......なんで?」

「稜くんの机じゃ、一緒に勉強出来ないからだし!」

「そうですか」


 失礼な。それなら自分で勉強したらいいのに。

 そう思ったが、それを口にすればきっと喧嘩になる。だからそれを口にすることなく、俺は亜沙子が両手で持ち上げているピンク色の机を、彼女の後ろから支えるようにする持つ。


「え、ちょっと.......」


 俺の行動が予想外だったのだろうか。亜沙子は慌てたような声を洩らし、顔を真っ赤に染め上げる。


「何だよ?」


 そんな顔されたら、こっちまで恥ずかしいだろ。

 俺たちの視線が交錯する。言葉を交わすことなく、俺たちは視線をそらした。


「持ってほしいし――」


 消え入りそうな声。この至近距離だからこそ聞こえたのだろう。それくらいに弱々しい、亜沙子らしくない音だった。

 いつもと違う姿を見せられ、軽口でも叩いてやろうか、という気が失せる。


「あ、あぁ」


 彼女の雰囲気に飲まれたのか。俺の口から出た言葉は、想像以上に小さかった。

 亜沙子からテーブルを受け取り、ゆっくり一段ずつ丁寧に階段を降りていく。


「気をつけるし.......」

「わかってるよ」


 照れたように。俺の後ろからついてくる亜沙子は、心配の色を濃く纏わせた声で言う。

 ゆっくりと、十分過ぎるほどの時間を掛けて1階まで降り、ピンク色の机を俺の部屋へと運んだ。


「これでいいのか?」

「うん!」


 亜沙子は俺の問いに、満足気に楽しそうな表情を浮かべた。


「いまから勉強するんだぞ? 何でそんなに楽しそうなんだよ」

「べ、別に。楽しそうなんかじゃないし」


 慌てたように表情を戻した亜沙子は、早口でまくし立てる。誤魔化すような仕草に、小首を傾げていると亜沙子が急に手を叩く。

 パンっ、と乾いた音が空気を振動させて、俺の鼓膜を震わせる。


「うわっ! 急になんだよ.......」


 正直、一瞬心臓止まるかと思った。

 音に驚き、目を丸くしている俺に亜沙子は少し罰が悪そうに、謝罪を口にする。


「ごめん.......。そんなつもりはなかったし.......」

「い、いや。別にいいけど」


 真剣な謝罪に動揺を覚えていると、亜沙子は俺の学習机の上にある自分の筆記用具らを持ち、運んできたピンク色の机の上に置いた。


「とりあえず、始めるし」


 学校が終わったあと、ということもありもうすぐで夕刻。部屋に差し込むのはオレンジ色に染まった西陽。

 あとたった3日しかない。諦めたらその瞬間、夏休みが消える。

 まぁ、多分多少は削られると思うけど――

 でも、丸々無くなるのは嫌だから。


「そうだな」


 そう答え、俺はキャスター付きの椅子に腰をかけた。少しでも夏休みを謳歌するために――


「え、稜くんもこっちでやるんでしょ?」


 その思いからシャーペンを手にした瞬間。亜沙子から疑問の声が上がる。

 どうやら、俺が運んだ机で一緒に勉強しようというつもりらしい。


「え、えっと.......。なんで?」

「なんでって。そっち狭いし」


 全然大丈夫だ。むしろ、こっちの方が慣れてる。

 そう言おうと思った。だが、自分の横をぽんぽんと叩き、期待に満ちた顔で俺を見る亜沙子。

 そんな亜沙子を見てしまうと、喉元まででかかった言葉が押し戻される。


「わ、わかった」


 何か言われるままだなぁ。

 そんなことを思いながらも、キャスター付きの椅子から立ち上がる。

 社会科歴史のワークと筆記用具を手に持ち、亜沙子の対面に移動する。


「.......」


 俺が腰を下ろすと、亜沙子は視線だけを向けて何も言葉を発さない。下唇を甘く噛み、俺に向いた視線が左右に動く。

 ピンク色の机が思っていたよりも小さく、高校生である俺たちが対面で座ればかなり距離が近くなった。どうやらそれで照れているらしい。


「やらないのか?」


 シャーペンを手にし、視線はワークに向けたまま。俺は亜沙子に訊く。


「や、やるに決まってるし」


 照れか。怒りなのか。顔を赤くして声を上げる亜沙子。

 軽く見た程度では、それがどちらか分からない。しかし、亜沙子が俺の部屋から出ていく気配がないことからして、前者の可能性が高いであろう。


「にしても、やっぱり稜くんは歴史の勉強するんだね」

「悪いか?」


 眉間に皺を寄せ、【日清戦争で、勝利を収めた日本が清と結んだ条約は何?】を真剣に考えながら返事をする。


「悪くはないけど。やっぱり南先生なんだし」

「夢叶先生の教科くらい、ちゃんと点取りたいんだよ」

「稜くんは先生思いなんだし.......」


 切なく、ぎこちない笑みを浮かべた亜沙子。


「どうして亜沙子がそんな表情かおするんだよ」

「べ、別に! 稜くんには関係ないし! てか、それよりもちゃんと集中するし!」


 勢い任せに言葉を紡ぎ、亜沙子は顔をワークに向けた。広がっているのは、数学のワーク。俺が諦めた教科だ。


「そうだな」


 そう呟く俺の言葉に返事はない。それを気にすることなく、俺は歴史の超難問に挑んでいく。





 それからしばらく、俺たちは真面目にそれぞれの問題を解いていた。

 そんな時だ。

 不意に、みなが荘にお客さんが来たことを知らせる、インターフォンが鳴り響いた。


「誰だ?」

「分かるわけないし」


 顔を上げ、眼前の亜沙子に訊ねるも、亜沙子は興味無さそうに答えた。

 俺も別段興味がある訳では無い。だが、テスト期間の、それも問題児集団のみなが荘に来る人などいるのか?

 と考えると、少し気になった。


「はい」


 しかし、幾ら考えても答えを見るまではわからない。ワークと同じだ。

 だが、どうせ。宗教や新聞の勧誘とか、何かしらの営業だろう。


「..............」


 インターフォン越しに、綾人さんが長々と話している。

 ほら、やっぱり勧誘か営業だったんだ。

 そう結論づけ、問題に向き直ろうとした時だ。


「今開けまスイカ」


 綾人さんが玄関に向かって行く音がした。そして、玄関が開くと同時に。


「稜くんはいるかな?」


 俺の胸を大きく弾ませる声が聞こえてきたのだった。

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