第2話 「ちゃんとした大人になればいい」


 どうしてあんなこと、言っちゃったんだろ。


 夢叶先生の眼中に俺が無いことは分かってたし、教師が一生徒に特別な感情を抱くなんてことはあってはいけないこと。それは理解しているつもりだった。

 でも、目の前で繰り広げられた夢叶先生との会話に、俺は居ても立っても居られなかった。

 そして、その悔しさのあまり、俺は言ってしまったんだ。少しでも気を引きたくて。少しでも、夢叶先生の細胞の1つでも。俺は先生に気にかけて欲しかった。


「あーぁ、やっちまった」


 頭を抑え、ベッドに寝転がる。

 少しシミの着いた天井をぼーっと眺めていると、入口から不意に声が聞こえた。


「もう少し静かにしてクレヨン」

「あ、ごめんなさい」

「分かればよろシイタケ」


 栗色の髪を短く切り揃えた、同性の俺から見てもカッコいいと思える顔立ちをしている男性が、残念な物言いで優しげな表情を浮かべた。

 その男性は、そのまま立ち去るのかと思いきや俺の部屋に入ってくる。


「それで、今日何かあったのカイ?」


 男性はそう言いながら、俺が寝転がるベッドに腰をかけた。


綾人あやとさん」


 語尾に名詞を付けたがる男性、熊森綾人は俺より年上、三年生だ。

 さすがに寝転がったまま話すのはヤバいか。

 体を起こし、俺は綾人さんの隣に座る。


「俺、言っちゃったんすよ」

「あぁ、僕のやつぱくっちゃっタヌキ?」

「あ、いえ。綾人さんのはパクる気も起きないです」


 ひどっ。そう言わんばかりに、目を見開く綾人さん。この人、素でこれを面白いと思ってるから困るんだよな。

 せっかく綺麗な顔立ちしてるのに、中々モテないのはこれが大いに関係していると思う。


「そうじゃなくて、この前言ってたやつですよ」

「あぁ、南夢叶先生のやつだネコ」

「そうです。何か、先生と話してて。俺、男として見られてないような気がして」

「そりゃあ先生と生徒だからネコ」

「それは分かってますよ。でも……」

「分かった。でも、これは僕の領分じゃなイカ」


 そう言うと、綾人さんはベッドから腰を上げた。


「この"みなが荘"に海斗が帰ってきたら相談するといいゾウキン」

「はい。そうします」


 俺の返事を聞くと、綾人さんは部屋から出ていった。

 そこで改めて部屋を見渡す。

 ベッドと学習机しかない、殺風景な部屋。

 ここは学校より徒歩三分の場所にある学生寮。本当は学校に隣接している寮もあるのだが、そこはある一定以上の成績か高額の寮費が必要となる。


 要するに、賢いやつは安い、馬鹿なやつは高い金を払えということだ。

 何ていやらしいシステムなんだよ。


 そして、俺が住むのは、学校に隣接していないボロアパートのような印象を受ける見た目の建物、"みなが荘"だ。

 寮監として1週間交代で、教師たちが滞在することが規則となっている。

 まぁ、形骸化して今では様子を確認すると教師達は自宅へ帰っているが……。


 そんなみなが荘には、食堂もなければ備え付けの家具もベッドと机しかない。居室として寮生皆でシェアする場所にある台所で料理しなければならないし、各部屋に備え付けのシャワールームもない。

 その上、部屋は狭いし、歩けばミシミシいう。

 

 正直、自分で借りるなら絶対借りない部屋だ。


「ただいま」


 そんな時だ。玄関の扉が開く音がし、低く重たい印象を受ける声音が耳朶を打った。

 ゆっくりと立ち上がり、玄関に向かう。


「おかえリンゴ」


 玄関に着くと、俺より先に出迎えてたらしい綾人さんが赤髪の男性に声をかけていた。

 真っ赤に染められた髪は、正直知らない人なら絶対

関わりたくないな、と思うだろう。


「よぉ。稜が出迎えなんて珍しいこともあるもんだな」


 切れ長のキリッとした目は、男らしくスっと通った鼻筋もより一層、彼を男前にみせる。


「ちょっと、海斗かいと先輩に相談がありまして」

「俺に相談?」

「はい」

「女、だな」


 海斗先輩の鋭い言葉に、俺は「ま、まぁ」と答える。すると、海斗先輩は踵を返し、再度玄関を開ける。


「みさと、悪い。今日は無理だわ。また明日ヤろうぜ」


 海斗先輩は玄関から顔だけ出して、そう言う。すると、玄関の向こう側から何やら抗議をしているような声がした。だが、海斗先輩はそんな声を聞く様子もなくピシャッと玄関をしめる。


「え、えっと。頼んだ俺が言うのもあれなんですけど、大丈夫なんですか?」

「問題ないだろ。どうせ、明日謝ったらまた来てくれるし」


 ドタキャンとか、そう言ったレベルでない断りだというのに、海斗先輩には悪びれた様子がない。

 それでも海斗先輩はすごくモテる。顔立ちが良く、男前なのは認めるが、どうにも女性の扱いがなってないような気がする。

 その人に相談する俺も俺なんだけど。


「まぁ、これが海斗でショウガ」


 俺の表情から何かを読み取ったのか、綾人さんは微妙な笑みを浮かべながらそう言うのだった。


 * * * *


 何も無い俺の部屋とは違う。

 テレビもあるし、ビデオデッキもある。さらに、ベッドも備え付けのものとは違っている。

 大きさがシングルからセミダブルになっているのだ。

 厳つい見た目にも関わらず、部屋は綺麗に掃除されており、備え付けの学習机の上に教科書が山積みになっている、ということもない。

 ゴミ箱の中にもゴミひとつない、海斗先輩の部屋で、俺は夢叶先生と今日あったことを話した。


 先生の手伝いをして、その勢いで想いをぶちまけてしまったこと。

 その事に恥ずかしくなり、その場を逃げ出してしまったこと。

 俺は、包み隠さずに全部話した。


「そうか、そんなことが」

「はい」

「てか、本気だったんだな。俺、冗談だと思ってたわ」


 大きく口を開けて笑いながら言う海斗先輩に、俺は少しムッとした表情で言ってやる。


「冗談なわけないでしょ。あんなに綺麗な人いませんよ?」

「綺麗なのは認めるけど、年増だぜ?」

「そんなことないですよ!」

「いやいや、何言っちゃってんの? どこからどう見ても年は食ってるだろ」


 そりゃあ、周りの学生と比べれば年は取ってるかもしれない。でも、俺は本気なんだ。本気で先生のことが……。


「まぁ、俺がお前の趣味をとやかく言うことないんだけど」

「散々言いましたよね!?」

「それは置いといて、だ。現実的な話、俺は厳しいと思うぞ」


 先程までの表情とは打って変わって、海斗先輩は真剣な顔でそう言った。


「だって考えてもみろ。俺たち学生と恋をする大人のリスクがあまりにも大きすぎる。そのくせメリットがない」


 学校での立場も無くなるだろう。それに、大人と未成年というだけでも夢叶先生は社会的にアウトだ。

 俺の好きを押し付けることは、それだけ夢叶先生にデメリットを押し付けることになる。

 それに対して、メリットが少なすぎる。

 晩酌に付き合うことも出来なければ、大人の苦労を分かち合うことできない。

 俺は貰うことはあっても、あげることはできないのだ。


「恋愛をメリット、デメリットで考えるのは違ってるかもしれない。でも、好き同士だけではどうにもならないことだってある。それが世の中なんだよ」


 海斗先輩はいつもはあまり見せない、嘲るような笑顔を見せた。そして、俺の肩に手を置いた。


「諦めろって言うことはしない。俺の人生じゃないしな。ただ、青春は今だけなんだ。稜がしたいように、思うようにやればいい」


 そこで一度言葉をきり、柔和に微笑む。


「間違えたっていいんだ。俺も、稜も、いっぱい間違えて、そんでちゃんとした大人になればいいんじゃないのか?」


 俺だけじゃなく、海斗先輩自身にも言い聞かすような。

 そんな口ぶりでそう言い終えると、海斗先輩は曖昧な表情で俺の肩に手を置いた。


「さぁ、話は終わりだろ? 戻った戻った」


 海斗先輩は俺の肩をグイグイと押し、部屋の外まで押し出す。

 いや、まぁ。出ていくんだけど。急にどうしたんだろ?

 先輩の態度の変化には気づいたが、その原因までは分からない。

 小首を傾げながら、俺はされるがままに部屋を出た。

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