初めての四国

19

 

 目が覚めると既に四国だった。徳島行の深夜バス。明石海峡大橋や大鳴門橋を見てみたかったのだが、見逃した。初めての四国上陸はなんとも実感の湧かないものであった。


 平成三十年九月。諸用で島根へ行くことになった。十日の十一時に出雲大社で人と待ち合わせすることとなっているが、そこまでのルートは自由である。その予定自体は六月には決まっていたので、早速経路を検討し始めた。

 東京から島根に行くとなると、定番は以下の三ルートだろう。一つ目は新幹線と特急「やくも」乗り継ぎ、二つ目は寝台特急「サンライズ出雲」、そして三つ目は飛行機で米子空港か出雲空港へ直接飛ぶというものである。しかし、一つ目と二つ目は逆方向ではあるものの既に実行済であり、三つ目は面白みに欠ける。

 そこで目についたのが四国経由だった。それまで都合がつかず未踏となっていた四国の地を踏むのは魅力的だ。四国から島根へ北上する。これを骨子に据えることにした。

 とはいえ、その肉付けも色々考えられる。当初考えていた経路は、東九フェリーで徳島に上陸、高徳線、予讃線、本四備讃線、宇野線経由で岡山に出、そこから山陽本線、福塩線、芸備線、木次線、山陰本線で出雲市に至るというものだった。未踏の四国に加え、陰陽連絡線の未乗区間も乗りつぶせる。なかなか夢の溢れるルートだと、組んだときにはほくそ笑んだ。

 しかし、夢は儚いものだ。脆くも崩れ去る。平成三十年七月豪雨だ。山陽本線が寸断されて流通への大きな影響があったのは記憶に新しいが、その他にも伯備線や福塩線、芸備線など陰陽連絡線に大きな被害を与えた。特に福塩線や芸備線に関しては復旧までに半年以上かかるものとなった。当然、計画は練り直しである。それに加え、島根行きの前後のスケジュールも埋まりはじめ、大旅行をする余裕自体が無くなってしまった。

 最終的に出来上がった計画は以下の通りである。初日は横浜から夜行バスで徳島に上陸。そこから高徳線、予讃線、本四備讃線、宇野線で岡山に出て一泊。翌日は津山線、因美線、芸備線、木次線を経由し、木次線の途中駅である出雲八代で下車し、一泊。三日目に木次線と山陰本線で出雲市に出て、バスなり一畑電車なりで出雲大社へ向かう、というものだ。出雲八代の宿は「宿泊できるミュージアム」として売り出している奥出雲多根自然博物館を予約した。映画「ナイトミュージアム」みたいで楽しみである。


 九月八日。徳島は雨だった。折しも前線が近づいているだかで九日まで雨の予報である。なのに私は傘も持ってきていない。どこかで調達しなければならないと思う。

バスは六時半頃に徳島駅前に着いた。ぱらつく雨の中を駅ビルまで走る。駅前は未だ夜の静けさが抜けておらず、人はまばらである。百貨店が見えるので昼間も常にそうだとは思えない。

 乗る列車は7時31分発の鳴門行なので、一時間近く余裕がある。平日であれば6時37分発の高松行に接続する鳴門線の列車があるのだが、今日は土曜日である。この待ち時間の間に朝食を済ませたい。朝っぱらから徳島らしいものを食べられるわけでもなし、お手軽に駅ナカのコンビニか地下階のバーガーキングにするかで逡巡したが、後者にした。

 朝食後、ホームに向かう。改札を抜けた先は懐かしさを覚えるレトロな雰囲気である。特に跨線橋とホームの屋根が要因に思えた。牟岐線方面に行く国鉄時代からのディーゼルカーにはマッチしている。

 7時29分、鳴門行普通列車が入線してきた。牟岐線からの直通列車である。こちらはJR化後に製造された車両だった。県庁所在地にふさわしく、乗っていた客の大半が降りたようだった。ボックスシートの一角を確保。

 7時31分、徳島発車。駅を出るとすぐに高架へ上る。そのまま次の佐古に着いた。佐古は吉野川沿いに阿波池田へ抜ける徳島線との分岐駅である。対向列車と交換したが、そちらは学生で一杯だった。

 四国三郎、もとい吉野川を渡り十分強、池谷に着いた。ここで高徳線と分岐し、鳴門線に入る。線路自体は駅の手前で分岐するので、ホームが「人」の字みたいな配置になっている。

 吉野川の作る平野をディーゼルカーは軽快に走る。車窓には田畑と人家が広がるのみで典型的な郊外路線といった雰囲気である。いよいよ強くなってきた雨の中、二十分弱で終点の鳴門に着いた。

 折り返し徳島行が出るまで五分しかない。鳴門線内の切符を持っていなかったので池谷と鳴門の間の往復分を駅舎で精算して戻るとすぐに発車した車内はキャリーケースを持った観光客風の乗客が一部いる他は閑散としている。

 鳴門線はもともと阿波電気軌道という会社が大正五年に開業させた路線である。電気軌道と名乗っているものの、買電を予定していた電力会社の発電能力が不足していたことから一度も電化されることなく国に買収されてしまった。以来、電化されるどころか廃線されかけるところまで行ったが、なんとか現在まで残存している。

池谷に再び着いたのは8時31分だった。列車は鳴門行と交換する一方、私は雨から荷物を庇いながら跨線橋を渡り高徳線のホームへ向かう。すぐに特急「うずしお6号」が入線してきた。高松を経由し、岡山まで向かう列車だが、特急料金をケチりたい私が乗るのは次の9時01分発の高松行普通列車である。

 今から思えば駅舎で待っていても良かったと思うが、その時は何故かホームでずっと待っていた。讃岐山地が間近に迫り、雨に煙っている。「人」の字の股に当たる部分には「古墳群のあるマホロバの町 大麻町池谷」と書かれたポールが立っている。古墳がどこにあるのかよくわからないが、歴史の長い阿波の国のことだ。どこかにあるのだろう。

 9時。高松行が入線してきた。二両編成だったが、片方は回送扱いで締め切られていた。車内は空いているとは言えないが、座席は確保出来た。定刻通り発車。

讃岐山地に突き当たった線路は西へと方向転換する。次の板東は四国八十八ヶ所巡りの起点となる第一番札所、霊山寺の最寄り駅だ。お遍路もしてみたい気がするが、それは当分未来のことになりそうだ。

 板野を過ぎると再び北へ進路を変え、讃岐山地越えを始める。山えとはいっても激しいものではないが、左右に山が迫り景色は変わる。分水嶺と県境のトンネルを抜けると坂を下り始め、瀬戸内海側に出た。9時33分、引田に着いた。香川県内だけを走る列車はここで折り返している。

 かなり海に近いところを走っているようだが、山側の席に座っているため見えた記憶が無い。乗客は次第に増えてきている。みな高松へ行くのだろうか。

 香川の辺りは瀬戸内式気候で降水量が少ないはずなのだが、初めて香川を訪れた日が雨とはなんたる因果か。車窓に見える讃岐山地はてっぺんを雲に隠している。もっとも、いくら雨が少ないといえども九月は比較的降水量があるが。

 10時23分、オレンジタウン着。高松のベッドタウンとして開発された地域に付随している駅だが、開発地域が線路よりも一段高いので車窓からはその雰囲気を読み取れない。緑の木々ばかりで、これが本当に特急の停車する駅なのだろうかと思う。

 次の志度からは、ことでん志度線が並走するのだが、これまた右側なので見えた記憶がない。今から思えば座る側を失敗した。

 讃岐平野に広がる市街地を西走し、高架になったと思ったら栗林に着く。更に乗客は増え、通路に立つほどになった。峰山を掠め市街地を半周すると左から予讃線が合流し、終点高松着。10時57分、定刻であった。

 高松駅は線路に対して櫛形にホームが並ぶ端頭式をしている。かつて宇高連絡船と接続していた名残である。瀬戸大橋が開業し、駅ビルに建て替えられても四国の玄関口としての威厳を保っているように思える。九番線まであるホームには特急「うずしお」や「いしづち」、快速「マリンライナー」が停まっており、改札側から見ると圧巻の眺めだ。

 大きな荷物を駅のコインロッカーに預け、コンビニで折りたたみ傘を購入した。少し早いが昼食を取ることにする。やはり、香川といえば讃岐うどんだろう。調べた駅前のうどん屋に入り、温玉うどんを食す。コシがあって美味い。うどんはコシがなければダメだなぁと思う。ちょっと物足りないがこれでお終いにして、琴平電鉄の高松築港駅に向かった。

 今日の行程は岡山まで辿り着ければ良い。このまま直行すると高松発11時10分の快速マリンライナー26号で正午過ぎには岡山に着いてしまう。それでは流石に初めての四国があっけなさすぎるので、本州へ向かう前に金刀比羅宮へ行くことにした。

金刀比羅宮の鳥居前町、琴平へはJRと私鉄のことでん琴平線が伸びている。かつてはこれに加えて琴平急行電鉄、琴平参宮電鉄と更に二本の私鉄があったというから驚きだ。JRでもことでんでも所要時間は変わらないし次の列車の時刻も同じようなものだったので、せっかくだから後者に乗ることにした。

 ことでんの出る高松築港はJRの高松駅から数百メートル離れたところに位置する。高松城の掘だった場所だ。入線してきた電車は京急のお古で、かつて横浜で乗ったのを思い出した。11時30分発車。

 高徳線が半周迂回してきた市街地を、ことでんはまっすぐ突っ切る。二駅目の瓦町で長尾線、志度線と分かれると、高徳線の高架とほぼ直角に交差し南下を続ける。路盤は複線に対応した幅が取られているが、線路は単線分しかない。建物の密度が下がり、農地が広がるようになると車庫のある仏生山に着いた。留置されている車両は様々な私鉄の払い下げ品で、それらが顔を並べているのはなかなか面白い光景ではある。

 仏生山を出ると直角のカーブで西へ進路を取る。時間の関係もあろうが、車内は閑散としている。車窓に広がる畑の中にため池が現れ、讃岐平野らしさを感じる。列車はそれなりの速度で飛ばしているが、それに伴って左右方向の振動が酷い。京急時代にはここまで揺れていなかった。車両の保守が足りていないのか、路盤の整備が行き届いていないのか……。そんなことを揺られながら考えているうちに土讃線の高架をくぐり、終点の琴電琴平に着いた。

 駅から十分ほど歩くと参道に入る。両脇には土産物屋やうどん屋が建ち並んでいるが、それらには目もくれず階段を登る。あいにくの天気にもかかわらず、観光客は多い。急な石段なので滑り落ちぬよう足下に気をつつ、神馬を横目に進み丁字路を右に曲がると書院がある。書院には円山応挙の絵があるというので拝観料を払って入ってみた。日本画には疎いので、円山応挙といえばテレビ番組で名前をよく聞くものの偽物ばかり出てくる画家というイメージである。

 円山応挙の絵は「虎の間」にある。ふすまに描かれた遊虎図がそれである。墨で何頭もの虎が描かれており、躍動感があると言われればある気がする。審美眼がないのでよくわからない。

 書院から更に石段を登ること合計785段。本宮に着いた。参拝してから下界を見下ろせる展望台へ足を向ける。田んぼ中に建物が散らばっている。坂出方面にある山は雲に霞み、それこそ水墨画の雰囲気がある。

 展望台から本宮を挟んだ反対側には絵馬堂がある。絵馬以外にも船の写真が奉納されている。中には海上保安庁の巡視船や海上自衛隊の護衛艦の写真もある。金毘羅宮は海上交通の守り神を祀っている。

 帰り道。濡れた石段ですっころんだ。手に持っているスマホの保護フィルムに穴があいた。今回フェリーを断念したことがこんぴらさんにバレたか。

 荷物を高松に置いてきたので帰らねばならない。往路はことでんだったので復路はJRで戻ることにした。琴電琴平を通り過ぎた先に土讃線の琴平駅がある。登録有形文化財の駅舎は鳥居前町の玄関口にもかかわらず洋風建築である。出雲大社の最寄り駅だった旧大社駅の駅舎が和風建築であったのと対照的だ。

 14時32分発、琴平発車。善通寺、金蔵寺と寺の付く駅が続き、終点多度津に着いた。予讃線との接続駅である。側線にはJR四国の車両ばかりか、瀬戸大橋を渡ってきた西日本の車両も停まっていた。特急「南風16号」が入線してくる。これは岡山行だ。乗ってしまえば早いが、そうもいかない。

 15時02分発の快速「サンポート南風リレー」号に乗車。前方の車両に乗ろうとしたら多度津で切り離される回送だった。

 多度津から二駅、宇多津に着く。瀬戸大橋方面への分岐駅となっている。駅を出て本州方面への高架線と分かれたと思ったら高松方面に伸びる連絡線が合流する。その先の坂出に停まるとその先は快速らしく高松まで一駅しか停まらなかった。15時34分高松着。

 ロッカーから荷物を取り出していると15時40分発の岡山行は出てしまった。次の列車は快速「マリンライナー46号」、16時10分発である。しばらく時間が出来たので駅構内を見ていると、駅舎の一角にうどん屋を見つけた。店名は「連絡船うどん」。宇高連絡船があった時代、その船内で営業していたうどん屋の末裔だ。見ていたらまた食べたくなったので、柑橘類の入った期間限定のうどんを食べた。確か、すだちだったと思う。うまい。

 マリンライナー46号は定刻に発車した。今来た道を折り返すが、今度は坂出まで無停車である。16時24分坂出発車。宇多津の手前で予讃線から分岐し、進路を北に取る。多度津方面からの線路と合流すると工業地帯を高架で抜ける。もう四国を離れる。初めての四国は一日すらも滞在しなかった。

 四国を離れ、南北の備讃瀬戸大橋を渡る。おそらく多くの人が「瀬戸大橋」と聞いて思い浮かべる橋はこれだろう。瀬戸大橋というのは十の橋の集合体なのだが。二段構造で鉄道は下部であり、支える鉄骨が視界の邪魔をするが、それ以上に景色が良い。電車に乗りながら航行する船を直下に見下ろすなどということは、日本ではここでしか出来ない。しかし、風速規制で運転を見合わせることがあるので、この悪天候でそうならずに済んだのは幸いであった。

 四国から十五分足らずで本州に戻ってきた。鷲羽山を掠めて最初に停まる駅は児島である。1991年までは児島から鷲羽山方面に下津井電鉄という鉄道会社が路線を伸ばしていたのだが、762ミリという狭い軌間が祟ってモータリゼーションの波に沈んだ。経営的には正しい選択でも、趣味的には残念に思える。

 児島から十分足らずで茶屋町に着いた。本四備讃線はここで宇野線に合流する。岡山へ向かう前に茶屋町と宇野の間を乗りつぶしたいので下車した。宇野行は毎時二本あるが、前の列車が16時40分発であり、17時12分まで待たねばならない。当然といえば当然だが、四国からよりも岡山からの接続が重視されている。

 宇野行の電車は二両編成だった。夕方であるし、岡山方面からの客が乗り換えているので混んでいる。とはいえ座れないほどのことではなかった。

 定刻に茶屋町を出ると、しばらく瀬戸大橋へ繋がる高架を走る。そしておもむろに分岐し、地上へ下った。本四備讃線が貫いている山に沿って東へ向かう。停車する駅ごとの学生が降りていく。この時間帯の日常の光景は日本のどこでも繰り返されているのだ。17時35分、宇野着。

 宇野駅は今でこそ一面二線しかないが、これは連絡船廃止後に移転されたものである。かつては更に海側に寝台特急の終着としてふさわしい規模の駅が広がっていた。しかし、折り返し列車までわずか七分しかないので、感傷に浸る暇もない。17時42分、宇野発車。

 岡山に着く頃にはとっくに日が暮れていた。適当に宿を取ったので駅から更に路面電車に乗り、宿の近くの適当な居酒屋で呑んで寝た。


 翌九日。昨日にもまして雨が強い。列車の運行情報を確認すると、特急「やくも」の大幅な運休が決定していたが、今日乗る経路には関係のない話である。今日の行程は津山線からスタート。

 7時ちょうどの津山行は空いている。山陽本線と分岐すると、旭川に沿って北上する。玉柏を越えると市街地が尽き、いよいよ谷間に入ってきた。ところどころにある平地ごとに駅が設けられている。

 しかし、かなり奥に入ってなお岡山市から抜け出さない。相模原市なんかが典型であるが、近年の合併によって成立した政令市はとにかく市域が広く、こんな山奥までそうなのかと驚かされる。ようやく市境を越えたのは岡山駅から約一時間後、神目という駅の手前のことであった。

 亀甲という駅に停まる。名前にあやかって駅舎をカメの形にしていることで知られている駅だ。以前テレビでも取り上げられていた。カメの頭を拝もうと思ったが、外側に向いているため車内からはあまりよく見えなかった。

 左から姫新線が合流し、右手に扇形車庫を眺めつつ終点津山に着いた。

 次に乗る列車は10時05分発の姫新線新見行である。一時間半ほど時間が出来るので、先ほど車内から見た扇形車庫を見に行こうかと改札を出た。すると、改札の脇に小さなホワイトボードが立てられている。なになに、内容は……と思いながら読むと、姫新線の運休情報が書かれているではないか!私の乗る予定である10時05分発は勿論運休である。これは参った。

 とりあえず、望み薄とは思いながらも駅員氏に代行輸送が出ないか訊いてみた。七年前の冬に津山から因美線で北上しようとした際に大雪で運休になり、代行タクシーが出たことがあったのを覚えている。しかし、「出ないですね」との返答。

 次に検討したのは高速バスである。津山には中国自動車道が通っているので、新見行の高速バスで移動出来ないかと考えたのだ。しかし、阪急バスの大阪~新見・三次路線は大阪発の場合、津山は下車専用だった。これ以外に新見へ向かう高速バスは見つからないので、おそらく無いのだろう。津山から乗せてくれたっていいじゃないかと思いつつ、第三の方策としてタクシーで新見へ向かう手段を検討した。物理的には可能だが、これは運賃を払えそうにないので却下した。

 姫新線に沿って新見へ向かうことが不可能であるとすると、今日の宿のある出雲八代へたどり着く手段は二つに絞られた。すなわち、一つ目は岡山へ引き返し、倉敷から伯備線経由で新見へ出るもの、二つ目は因美線経由で鳥取へ出て、山陰本線経由で宍道から木次線を南下するものである。双方とも一長一短ある。前者は木次線全線を乗りつぶせるが、新見まで既に乗ったことのある路線に乗らねばならない。後者は比較的未乗区間が多いが木次線は完乗出来ない。

 どうしようかと悩んでいるうちに乗ってきた津山線の列車が折り返してしまったので、後者を主軸に検討することにした。しかし、そうは問屋が卸さない。程なくして11時35分発の智頭行の運休も決まった。流石に姫新線と智頭急行で迂回してまで鳥取へ向かう気は起きなかったので、必然的に岡山へ戻ることになる。

 前回は大雪、今回は大雨。私は津山と相性が悪いのだろうか、と思いながらベンチで一時間ほど待っていた。扇形車庫を見に行けるような降り方ではなかった。

 9時44分発の快速「ことぶき」で来たばかりの58.7キロを引き返す。岡山着時刻が10時53分。11時15分発の伯備線があるので、それに乗ると新見には12時46分着。一日三本しかない備後落合行の芸備線が新見を出るのは13時01分。時刻表上では繋がるが果たして……。

 結論から言うと、この計画は破綻した。岡山駅に着いた段階で伯備線が二十時過ぎまで運休することが決定していたのである。岡山から新見へ向かうバスは無いので、芸備線の列車に乗れる可能性は潰えた。こうなると出雲八代に公共交通でたどり着くのは不可能である。津山でそこまで使用した切符を打ち切って払い戻しを受けとけば、と思ったが、後の祭りである。宿を諦めてキャンセルの電話を入れた。天候と交通機関のためであることを伝えると、キャンセル料は免除していただけた。是非ともリベンジすることを心に誓う。

 さて、私は翌日の十一時に出雲大社にいなければならない。そのためにはなるたけ出雲へ近づいておく必要がある。この段階では最終の特急「やくも29号」は走る予定であった。これに乗ると出雲市着は0時37分だが、やむを得ない。また、これが運休する可能性も十分ある、というかそっちの方が高いと思っていたので、次善策として翌朝一番の岡山発出雲市行の高速バスのチケットも取っておいた。やくも29号が動いたら車内でキャンセルすればよい。本日分のバスを購入出来れば良かったのだが、既に満席だった。

 予定外に午後が暇になってしまったので、倉敷へ観光に行った。昼食は駅近くの商店街で人が並んでいたとんかつ屋。行列が出来るだけあって美味だった。それから美観地区を歩き、大原美術館を見学。もはやただの観光旅行であるが、これもまた一興。

 大原美術館を出ると、伯備線の終日運休の情報が入ってきた。諦めて岡山駅前の東横INの一室を取った。

 翌、十日。雨は上がっていた。満席のバスで出雲市へ向かうが、雨の影響で通行止めだとかで遅延する見込との放送が入る。確かに大雨の影響で通行止めになっていた岡山自動車道を通らず、津山線沿いに津山まで一般道で出て、そこから高速道路に入った。これによって三十分ほど遅れたが、北上出来るだけ有り難い。特急やくもは朝の二本が運休となっていた。

 松江で大方の客が降り、出雲市まで乗車したのは私の他数名だった。出雲市駅前からは一畑電車で出雲大社前へ向かう。

 結局集合時刻には少し遅刻した。

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