第4話 目玉焼きに掛けるもの

 ナツメ球のオレンジ色の灯りの下、章太郎はベッドの中から、床に鎮座する円盤へ目を向ける。

 サンビームは、宇宙人だった。

 もちろん、本人がそう称しているだけで、明白な証拠があるわけではない。しかし、彼女自身が指摘したように、人間とスムーズに会話を交わしたり、安定した二足歩行能力や、複雑な変形機構を有するロボットを造るテクノロジーなど、章太郎が知る限り、地球に存在しないことも事実だ。

 彼女は、なぜ地球へやって来たのだろう。

 詳しい事情は聞きそびれてしまったが、もし観光の類だとすれば、男子高校生の部屋を掃除させるなど、気の毒なことをしてしまった。お礼も兼ねて、次の土日でどこかへ連れて行ってあげるのも悪くない。

 汽車に三十分ほど乗れば、それなりの観光スポットにいけるし、ペナントや木刀や、ドラゴンが巻き付いた剣型キーホルダーやらを売っている土産物屋もある。

 明日、さっそく誘ってみよう。サンビームは喜んでくれるだろうか。ちょっと楽しみだ。


「章太郎、起きろ。朝だ」

 人型に変形したサンビームの顔が、目の前にあった。昨晩は、考え事をしている間に、寝入ってしまったらしい。

「おはよう」

「うむ、おはよう。朝食を用意したぞ」

 枕元のスマホを見ると、六時二八分。

 いつもは六時にアラームが鳴り、スヌーズにスヌーズを重ねて、出発の五分前に寝床を抜け出していたから、今朝は三〇分ほど早起きだ。

 においにつられて、部屋の真ん中に目をやると、折り畳みテーブルの上に、ご飯と味噌汁、目玉焼きが並んでいる。さらには香の物と緑茶まであるが、残念ながら調味料は、塩コショウではなく醤油が置いてあった。章太郎は塩コショウ派なのだ。とは言え、せっかく用意してくれたものに文句をつけるほど、彼は狭量ではない。

 ひとまずトイレと洗顔を済ませ、食卓につく。サンビームはテレビを点けてから、洗濯を始める。

 はて。恩返しに頼んだのは、掃除だけだったはずだが?

 まあ、いいか。と、疑問を追いやり、朝食を片付けてから支度を調え、部屋を出る。

 天気は快晴だが、朝の空気は少しばかり、冷んやりとしていた。なんだかんだで、もう秋か――と、束の間の感慨に浸っていると、サンビームも後からついて来る。

「どこか行くの?」

 たずねると、ロボットは一つ頷いた。

「君の住居でやることは、あらかた片付いてしまったからな」

 それが意味するところに思い至り、章太郎は、一抹の寂しさを覚えた。出会って半日程度ではあるが、どうやら宇宙人を自称するこのロボットに、すっかり情が移ってしまったらしい。

 いっそ、引き止めようかと考え、思いとどまる。たかだか二〇〇〇ミリアンペア時の電気をくれた程度で、彼女を束縛する権利など、章太郎にはないのだ。

「何か手伝えることはないか、大家殿にたずねてみようと思うのだ」

 サンビームは言った。

 ただの働き者だった。

 しんみりした気持ちを返して欲しいと思いつつも、手伝いなら菜園への水やりはどうかと提案しながら、章太郎はサンビームと並んで階段を降りる。

 図ったように大家の部屋の扉が開く。

 飛び出してきたのは笑顔の桃子で、右手には可愛らしい巾着袋があった。

「お兄ちゃん、おは……ぶぁっ!」

 桃子は美少女らしからぬ奇声を上げ、引きつった顔で凍りついた。

「どうした。システムエラーか?」と、サンビーム。

「いや」章太郎は首を振る。「あれは、多分……」

 近寄って見ると、桃子の顔には、きらきら光る細い繊維が張り付いていた。

「桃子ちゃん、クモ苦手だから」

 顔やら髪やらにくっついた糸を、丁寧にはぎ取ると、桃子は涙目で何度も「ありがとう」を繰り返した。鼻水も出ていた。

 学生鞄をサンビームに預けてから、ポケットティッシュを取り出すと、桃子は目を閉じて顔を上に向けた。端から見れば、キスをせがまれているように見えなくもないが、実際にやってることは育児である。

「まあ、どうしたの?」

 桃子の鼻を拭いていると、じょうろを持った翠子が出て来る。

「クモに捕まったの」桃子は鼻をすすって言う。「お兄ちゃんに助けてもらった」

「それじゃあ、また恩返ししなきゃいけないわね」

 桃子は「あっ」と声を上げ、手に持っていた巾着袋を章太郎に差し出した。

「お弁当」

「ありがとう」

 章太郎は礼を言って、女子中学生の手作り弁当を受け取る。ついつい、口元が緩んでしまうのは、男子ゆえ。ロボ娘が好きだからと言って、人間の女の子が嫌いなわけではないのだ。が、あまりにやにやしてキモいと思われるのも避けたいので、懸命に真面目な顔を作る。

「大事に食べるよ」

「えっと……うん、お手柔らかにお願いします」

 桃子は、つと目をそらして言った。

 手遅れだったか?

「章太郎」と、サンビーム。「今日の夕食の予定はあるか」

「カレーのつもりだけど?」

 材料は昨日の売り出し日に買いそろえてある。

「了解した。用意しておく」

 ありがたい。帰ってから料理をするのは、いささか億劫なのだ。

「カレーって聞くと、つい食べたくなるのよねえ」

 翠子がつぶやく。

「お兄ちゃん!」桃子が目を輝かせて言う。「うちで一緒に食べよう?」

「え」

 章太郎は、桃子の提案に面食いながら翠子に目を向ける。

「そうね。カレーはたくさん作る方が美味しいし、章太郎君がよかったら?」

「あ、はい。じゃあ、そうします」

 桃子が小さくガッツポーズをした。

 そんなにカレーが食べたかったのか。

「では、私は大家殿の、カレー作りを手伝うとしよう」と、サンビーム。

「あら、ありがとう。助かるわ」

 翠子は笑顔で言って、サンビームを不思議そうに眺めてから続ける。

「どなた?」

 サンビームはトンボを切って円盤に変形した。

「あらまあ」

 翠子は驚きの声をあげ、桃子は目をぱちくりさせた。

「最近のロボット掃除機って、色んな機能があるのね」

 翠子は感心した様子で言った。

「なぜ誰も彼も、私をロボット掃除機と言うのだ」

 人型に戻ったサンビームが、小さく首を振ってぼやく。

 もちろん、見た目が似ているからだ。しかし、キューティQに詳しかったり、家事にも通じているのに、あの有名なロボット掃除機の存在を知らないとは、サンビームの地球に対する知識には、どこか偏りがある。

「まあ、いい」と、サンビーム。「大家殿、他に手伝って欲しいことはあるか。なんでも言い付けてくれ」

「なんでも?」翠子は、首を傾げて考える。「それじゃあ、お野菜の水やりをお願いしようかしら」

「了解した」

「その後、お洗濯ものを干して」

「まかせろ」

「お部屋と、アパート周りのお掃除をして」

「お安い御用だ」

「それから、夕方になったら、お買い物も手伝ってもらえる?」

「荷物持ちだな。いいだろう」

 打てば響くように応じるサンビーム。だが、いささか働きすぎではないか。

「お母さん、いろいろ頼みすぎ」

 桃子があきれた様子で言う。

「だって、ホントに忙しいんだもの」

 翠子は、じょうろと拳をぶんぶん振って言った。

「僕も手伝います。荷物持ち」

 章太郎は申し出た。サンビームばかりに、あれこれやらせるのは、ちょっと申し訳ない気もする。どれだけ働いても、彼女は翠子が作ってくれるカレーを、食べられないのだ。

「私も手伝う!」

 桃子が挙手する。

「あら、めずらしい」翠子はくすりと笑う。「普段は、お買い物なんて付き合ってくれないのに」

「そ、そんなことは、ないと思うけどなあ」

 桃子は目を泳がせた。

 もちろん章太郎は、彼女の目的など、お見通しである。

「それじゃあ」と、章太郎。「今日のお菓子は、桃子ちゃんが選んでいいよ」

「いいの?」

「うん。せっかく、一緒に買い物するんだし」

「やったー!」

 嬉しそうに、ぴょんぴょん飛び跳ねる桃子は、やはり可愛らしい。

 ふと章太郎は、翠子が自分を見て、何やら苦笑いを浮かべていることに気付いた。何か、呆れられるようなことでもしてしまったのだろうか。心当たりもなく、あれこれ聞くのもはばかられるので、章太郎は気付かないふりをした。

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