中編 其の二十 ―嘉手名貴代子―
二十
嘉手名貴代子は、幼少から自分自身が好きではなかった。
正しくは、自身の"姿"が、と言った所か。
自身の表情の変化や態度の視られ方、いやそもそも鏡に映る自分でさえ直視したくない程に、自分が嫌いだった。
それは、"醜いから"という理由からではない。
自分に自信が無かったからである。
何をするにも、自信が無かった。
全ての行為で評価を気にし、評価だけが、自分を自分たらしめていた。
それは、家族からの"基準"のせいだった。
嘉手名家の基準は、社会的常識だったのである。
典型的な中流階級でありながらも、父や母は子である貴代子に不便はさせなかった。
60年代後半、一族総中流階級という時代、嘉手名家は日野の団地暮らしを開始した。
両親にとって一人娘である貴代子は大変可愛く映り、しっかり育てなければという使命感を二人に植え付けた。
娘に不便をさせない為にも、社会常識を学ばせなければ、社会の枠組みを、基礎と成る知識を教えなければと、父と母は必死になった。
必死に大人に育て上げようとした。
父も母もそこに生き甲斐を見出していた。
何時しか、貴代子を育てるのが両親二人の生き様に成る程に。
しかし、これが良くなかった。
貴代子には合わなかったのである。
父と母の愛情は、貴代子には重すぎた。
この行為は、想像力と理解力の高い貴代子に疑問を抱かせることを止めさせた。
いつも与えられる決まった答えは息苦しく、同じ問題は苦痛でしかなかった。
気付かないところで、何時も抱いていた疑問は黙殺され続け、抑圧された欲求は日に日に溜まっていった。
しかし、その"貴代子にはよく解らない不安"は解消されること無く、彼女は成長していった。
唯一の特技の料理は、歳に似合わず堅実だった。
里芋の煮っ転がし、金平、肉じゃが、味噌汁―
母親も舌を巻く程の腕前だった。
料理は好きだ。
没頭出来る。
それだけが、貴代子の心の孤独を埋め合わせていた。
だが、在る時、問題が起きた。
14歳の時、初めて異性に告白されたのだ。
その時の貴代子は真面目で地味であったが、その直向(ひたむ)きさと料理に没頭しているのが良い、好きだと言われた。
それを言われた時、全身に衝撃が走った感覚が在った。
貴代子は初めて不安を解消出来た気がした。
自分が好きな物事を褒められる、必要とされる事の、なんと気分が良いことか。
父も母も当たり前の事として褒めて貰えずにいたことを褒められる事の、なんと嬉しい事か。
父母関係無く自分が認められる…なんと満たされることか。
貴代子は知らず、涙を流していた。
そこから貴代子の人生は一変する。
今までは父と母から得た社会常識を父と母のやり方で認められていた。
だが、今は違う。
他者に必要とされ、身形を気にして、自らの能力をひけらかし、より沢山の他人に認められるという事…
貴代子は承認して欲しくて堪らなくなった。
これより、貴代子は他人との関係を持ち始める。
勿論、色々な意味で。
様々な場所へ足を運び、得意だった料理も使い、繋がりを付け、外見に対しても魅せる方法を学び、化粧も覚えた。
告白された男も自分に見合わないという理由で別れた。
それにも罪悪感は全く湧かなかった。
充実を知った彼女は大学へと進学する。
バブル期のディスコで派手に自分を曝し、充足した毎日を送った。
―しかし、ある程度経つと、貴代子の欲求は、また満たされなくなっていく。
その承認欲求は、底無しに増えていった…
両親はそんな貴代子の発散振りを知らず、大学の卒業を間近に迎えた。
88年、彼女は大学卒業と共に、芸能界へと入る。
両親は突然の申し出に困惑していたが、娘が芸能界に入るということに、余り肯定的では無かった。
社会福祉の方が良いやら将来を考えろやら芸能界なぞ低俗だ等…
しかし、貴代子は両親に対して自分の何が求められて、意味が在るのかを説明した。
芸名の松田リカは、松田聖子とリカちゃん人形から。
こうして、貴代子は芸能界にデビューをした。
そうは言っても、最初はレースクイーン等の露出系からだった。
そしてそこから関係を迫ったり繋がりを付け、モデル系事務所を紹介してもらい、そこに入った後はバラエティ、司会などを経験した後、モデル中心のマルチタレントとしてブレイクしていった。
しかし、歌やドラマといった方向には向いておらず、数回端役やら捩じ込みで出演したが、直ぐ離れてしまう。
しかし、この時が、貴代子が一番満たされていた時だった。
この間、僅か二年だった。
学がありながらも機転が利くコメントの切り返しと、近寄り難いながらもふとした時に出る無知さからの天然返答、そして料理が得意だというのは、業界にも一般にも、大いに受けが良かった。
貴代子の名声は、これからの三年間が正に絶頂だった。
もっと顕示欲と承認欲求を満たしたい…! その思いが更に膨れていったのだ。
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