人 前編 其の十



―夜11時16分―


―港区芝、私立御厨中高等学校一階階段―



黒い男「…ッくっ…! っがッ…!!」


足取りは非常に重く、右手で手摺(てすり)を掴みながら、左手で顔を覆っている。


頭の中で色々な感情が綯い交ぜとなってぶり返し、声が響く。


―滅せ―


―邪妖を―


―魔を―


―全てを―


―滅せ―


その重い言葉と記憶があの時のことを思い出させる。


黒い男「違っ…!う…! オレは…!」


―オレの敵は魔だ―


―魔は全て滅せ―


―ヒトは護らなきゃ―


―ヒトが罪を犯す―


―もう二度とあんな事を起こさない為に―


―根源を絶て―


―オレが救う―


―何だってやってやる―


―その時の決意が蘇る。


それが、頭の中に渦巻く過去の迷いを振り払う。


黒い男「っ…! そうだ…! オレがやるんだ…!」


そう言って頭を振るい、前を向いた。



―夜11時19分―


―港区芝、私立御厨中高等学校四階廊下―



四階までの階段を登り切り、廊下を左右見渡す。


四階一番端のクラスから風の音が聞こえる。


カーテンがバタバタと音を立てており、それは3―5からだった。


この学校は高台に建造されており、必然的に上階は風が強い。


この時間に窓が全開な事自体が有り得ないことであり、警戒心を上げさせた。


コート腰裏に隠してある銃を一丁ずつ引き抜き、弾の残存数を確認すると、両手に持つ。


そして足音も無くゆっくりと教室のドアに近付き張り付くと、一息吐いてから、銃を構え勢い良く教室の中に入る。


其処に居たのは、月明かりに照らされ、全開で風が入り込む窓の傍に立つ屋本の姿だった。


その前には、誰かが俯(うつむ)き様に立ち竦(すく)む。


屋本「やあ…差し詰め"黒い男"さんとでも言っておこうか? 遅かったね…君のお陰でも大分減ってしまった…以外はね…」


黒い男「!…何?」


その言葉に引っかかり、眼を凝らすと、その前に立ち竦んでいるのは、ふくよかなコだった。


変わらず半裸で微動だにせず、ポニーテールが窓からの風で靡(なび)いている。


一目でまともでは無い事は解った。


屋本「これで僕等の目的はなっt…」


その言葉が終わる前に、右手の銃からは弾丸が発射され、屋本の左頭部に命中した。


黒い男「…そのコに何をした?」


冷たく威圧的に述べると、屋本は衝撃で仰け反った頭を元に戻す。


屋本「…せっかかかか…ちだ…だだぁなぁ…ヒ…ヒ人の話は…き…き聴いた方が…良…いいい」


その前を向いた頭の傷からは百足がはみ出し蠢いている。


黒い男「質問に答えろ」


それでも無視して続ける。


屋本「や…やれ…やややれ…こ…これで僕等の目的は…なな成った…"生膚断(いきはだたち)"、"昆虫(はうむし)の災"、"畜犯ちくおかせる罪"で…この地…をけがし、き気脈…を乱せた…これで…で幸徳様の目的…は果たせ…せる」


そう言うと、眼前の沙耶が痙攣を始め、腹部がボコボコと音を立て膨らむ。


そして、沙耶の目や口から血が溢れ、思い切り膨らんだ腹は勢い良く避け、壊れた人形の様に沙耶は床に倒れ込む。


そして、裂けた腹部の中からは、大量の百足が這い出してきた。


その光景を視た途端、心臓がどくんと三度(みたび)大きく跳ね上がった。


助けられなかった記憶が再び苛(さいな)む。


―山羊頭は**を抱き、上空に飛び立つ。


黒い男「!待てよッ…!」


無駄だと解りながらも、その後を追う。


黒い男「彼女を離せよッ!」


届かないと解っていても、必死に地を蹴り、前へ前へと足を動かす。


息が上がりながら、右手で地面を叩き付ける。


悔しさで―


無力さで―


怒りで―


―あの、手が届かなかった―


―助けられなかった記憶が―


そう感じた途端、銃を仕舞い刀を抜き、屋本に斬り掛かっていた。


その余りの速さで生まれる衝撃によって、周囲の机が吹き飛ぶ。


瞬速で左肩から右下の脇まで、袈裟斬りで真っ二つに屋本を斬り裂いた。


ゆっくりと重力に従い斜め下にズリ落ち…なかった。


屋本「いいいやァ~速ァ~…! スススごいネぇエ~…!」


斜めにズレた後、下体と分かれた上体が浮き、屋本はケタケタと気楽に感想を述べた。


その切り口からは複数の百足が蠢き肉体を繋ぎ止め、その中心を巨大な百足が身体を上下に貫いている。


刃を持つ手を捻り、真下から脳天へと縦に斬り裂く。


縦真っ二つの切り口からは百足が蠢いて飛び出し、切り口を繋ぎ止める。


四つに裂かれた身体は蠢く百足によって紡がれている。


屋本「おッ…! ほォオぉぉ~! ほントにスごイ! コの力…! どコカら…!? そノか…ナ?!」


…紅?


言葉が煩わしく、ジグザグに刃を斬り降ろす。


屋本「えガッ…?!! そそそレは…! キキっ…くねぇェ~!!」


上から斬られた頭部、右頭部の脳の部分から、巨大な百足の頭部が現れる。


黒い男「ふッ…!」


一呼吸置くと、丹田に力を込めて、流れる様に右後ろ回し蹴りを思い切り屋本の腹部へと食らわし、吹き飛ばす。


その衝撃で背部の窓硝子を勢い良く突き破った。


そして、蹴り飛ばした体勢から少し屈んで足に力を込めて、吹き飛ばした屋本を跳躍して追う。


月明かりの元に飛び出し、屋本に追い付くと、縦一回転して右の踵を、百足が飛び出た頭部に叩き付ける。


屋本「げぉッ…!」


その衝撃で右目が飛び出し、上からの衝撃で下顎の歯が割れ、中空に飛ぶ。


続けて真下へと急直下し、屋本はグラウンド中央の地面に叩き付けられた。


衝撃でグラウンドのコンクリが放射状にヒビ割れる。


屋本「アがっ…! そエあッ…ラえあぁッ…」


手足が衝撃で、壊れたマリオネットの様な歪み方をしていた。


これではもうまともに立つどころか動けないし、そもそも生命活動も行えないほどに身体が損壊している。


屋本「げホァっ…!」


肺に折れたアバラが刺さったのか、苦しそうに泡を吹くんだ血を吐き出す。


その真上から思い切り全体重を掛けた"閻魔"を胸部に突き立てた。


屋本「ぅごォォォあァァァァ!!?」


その衝撃で、更に屋本の下のアスファルトが凹む。


そして思い切り屋本の身体を、逆手で突き立てた刃で、滅茶苦茶に抉(えぐ)る。


屋本「をッ…!ヲッ…! ヲをっっ…?!!!」


屋本が全身をビクビクと痙攣させながら声に成らない嗚咽(おえつ)を漏らす。


それを無視して一頻り抉りたおすと、右手で思い切り上部に斬り裂きながら無言で"閻魔"を引き抜いた。


その時振り回した刃から、扇状に血が飛び散った。


そのまま"閻魔"を背中の鞘に仕舞う。


痙攣し、死を待つだけの屋本の肉体に眼を遣る。


黒い男「…」


その屋本の身体を見下ろす眼は冷たく、息も絶え絶え、正に死に向かう姿を、まるで害虫でも視る様な眼で見下ろす。


そしてゆっくりと屋本の身体は生命活動を中止していった。

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