地 其の九 ―回顧―

―正午―


―薄木・粟辺地区"阿古高濃度地区"七島展望台"教会"―



その異様な状況は、常人であれば気の狂いそうな状況であった。


山を登るには苦労しなかった。


山道が通れたから。


お陰で労せずして着く事が出来た。


…でも、非常に狂気的な道だった。


道筋は内蔵の様な謎の器官と血管で覆われていたから。


それに到着しても、その異様な光景は更に悪化した。


巨大な脈動する肉塊の中で斜めに立つ"教会"は筋繊維の様な膜で覆われ、巨大な眼球がギョロギョロと周りを見回している。


しかも自分が近付くと一斉に此方に視線を集め、じっと見詰めてくる。


普通であれば、耐えられる状況ではない。


気が狂いそうな状態だった。


背筋に想像も寄らないモノを視た事による最悪な未来が想像出来、悪寒が走った。


だが、彼女を助ける為にと、踏ん張った。


重い鉄製の扉を開き、中に入ると意外と広く、紫と赤が混じった薄着の彼女愛己と山羊頭(バホメット)が、半壊した"教会"内に大小幾つもの眼球が埋まっている内臓の様な中に、のが眼に入った。


飛羽惰 愛己彼女は此方を見向きもせず、眼前に浮く金の杯を見詰め、微動だにしなかった。


それでも自分は傍に飛んでいる山羊頭に、マスクを取ってこう言い放った。


黒い男「彼女を返せ!山羊頭!」


だが、その啖呵に山羊頭は意にも介さずこう述べた。


山羊頭(バホメット)『此処まで来るとはニンゲン…何用だ? もう既に"ニガヨモギ"は墜ちた 此処さえ残っていれば、子羊により封印はゆっくり解かれていく』


…と。


意味の解らない返答に業を煮やした自分は、あの眼前に浮いている"杯"が原因かと思い、腰から銃を引き抜き、そこに銃弾を撃ち込んだ。


だが、目前で見えない何かに弾かれる。


両手で構えて照門と照星を合わせてちゃんと狙ったのに。


黒い男「! クソッ!」


もう一度構え、更に連続して十数発撃った。


だが、全て弾かれた。


山羊頭(バホメット)『ニンゲンよ…無駄な事は止せ 何故邪魔をするか』


その聞こえる声がそもそも不快だった。


黒い男「! ならッ…!」


そう言って、アルテミスの弾丸が入ったマガジンに交換すると、再び"杯"に狙いを定めて、トリガーを引く。


先程より強い衝撃で銃弾が放たれると、その"杯"の目前で何かしらの反発があったのか、弾丸が弾ける様に消滅した。


だが、"杯"を揺らす事が出来た。


黒い男「! よし!」


いけなくはない。


そう思い、再び狙いを杯に定めようとした時、


山羊頭(バホメット)『調子に乗るな! ニンゲン!』


そう言って、山羊頭が上から踏み付ける様に自分に襲いかかってきた。


黒い男「ぅおッ!」


と、避けはしたが、相手は羽の生えた3m以上の化物…自分には決定的な対抗手段が無い。


黒い男「…"閻魔"が使えたら…ッ」


…期待したが、無理な願いだった。


これ閻魔は只の刀だ。


その認識は変わっていなかったから。


この刀でコイツ山羊頭の首を狩ってやろうかとは考えていたが、眼前にしてみれば難しい。


そんな此方の思惑など無視し、山羊頭は述べた。


山羊頭(バホメット)『ニンゲン…何なのだ? 貴様は…? 何故わざわざ追ってきてまで邪魔をする?』


その言葉に苛立ち、反論する。


黒い男「オマエが連れ去ったからだろうがッ! 彼女をッ!」


彼女を指さしつつ、精一杯の思った言葉を感情に乗せて口にした。


自分はこんなに感情が出るものかと内心思った程だ。


山羊頭(バホメット)『無駄だ…この娘にはもう届いていない 貴様もこの絶望を享受しろ』


その山羊頭の怪物は開いた翼で再び飛翔しつつ、耳障りで不快な、そして、見下す様に、当たり前の様に述べた。


うるっさいッ…!


心の中で山羊頭を罵る。


再び銃を向けると、此方を見ずに愛己が腕を振るった。


すると、崩れた天井を突き破り、全身赤い七つの頭を持つ、全長4mほどの巨大な"獣"が目前に降り立った。


黒い男「な…!」


驚きで声が漏れる。


それは豹に似た体躯と斑点、足は熊、口が獅子の様に鋭い牙で、頭にはそれぞれ不均等に全部で十本の角が生え、十本の王冠を被り、頭部には何か文字らしきものが刻まれているが、何の文字か解らず全く読めなかった。


予想外だった。


こんな化物に太刀打ち出来る道具は持っていなかったから。


―死ぬ―


その意識が絶望となって自分を挫く。


だが、負ける訳にはいかない。


その意思で立ち向かった。


―だが、無理だった。


そう、結果的には"無駄"だったのだ。


持ち合わせていた"アルテミスの弾丸"も、全部撃ち切った。


ダメージは与えられたが、それだけ。


致命傷にはならなかった。


寧ろ、凶暴になって自分に襲いかかるのを必死に避けるか守るかしか出来なかった。


お陰で壁や天井に叩き付けられた。


閻魔で斬り掛かってみたものの、力及ばず擦り傷程度しか与えられず、これまたこのよく解らない獣の怒りを買うだけだった。


数度の叩き付け等で弱ったところを、咥えて壁に放り投げられた。


閻魔は床をカラカラと乾いた音と共に回転しながら大分離れた壁にぶつかる。


背中から壁に叩き付けられ、ズルズルと床に落ち、項垂れる。


衣服に貼り付けた被甲護身の法や延命菩薩の法、孔雀明王の真言を記した咒符も破け、身体強化をしていた加持道場の咒符も破けた。


もう打つ手なんて無かったから。


竜尾鬼に助けて欲しいって、


Sさんに来て欲しいって、


漫画の様な、


映画の様な、


希望的な夢想をしたが、直ぐ霧散する。


現実は非情だ。


そんな弱音が吹き出し、悔しさで心が満たされる。


それはとても辛い事実だったから。


その事実を受け入れてしまっている自分が居たから。


"無力"だと―


自身が弱いせいだと。


だからこの事態に陥(おちい)ったのだと。


これは自分のせいだ。


自分がもっと強ければこんな事態に陥ってはいなかったのだと。


彼女を助け、立ち直れる様に話をし、色々と気遣った。


彼女との交流は、自分をも変えてくれた。


彼女を救いたい。


助けたい…!


それだけで動いていた。


それが、今まで起きた事。


壁に項垂れて、こうやって今までの事に思考を巡らしているのが、今の自分。


そうこう数十秒も思考しない内に、ふと、ある疑問が頭を過(よぎ)る。


黒い男「オイ…山羊頭…何で彼女なんだ…? そもそも…ッ !いってぇ…! 何でこんな極東で…ヨハネの黙示録なんだッ…」


ゆっくり壁に体重を預けながら起き上がる。


身体の節々が軋み、痛い。


山羊頭(バホメット)『?本当に貴様の言うことが解らんぞニンゲン…だが、解る事は教えてやろう この現象は貴様等のせいよ』


黒い男「オレ達…?!」


ワケの分からない答えに困惑し、聞き返した。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る