01-2



 ◆◇◆◇◆◇



「多少頭を使いたまえ。突然配偶者が顔無しになったのだ。普通ならば狂乱するか、早くどうにかするよう私たちを必死にせき立てるはずだ。しかし、私の観察では、夫人はひどく落ち着いている。我々を信用しているからではない。何しろ、夫人と私たちとは初対面だ」


 エルロイドは得々と説明を続ける。機嫌がいいのか、実に饒舌だ。


「けれども、同時に夫人は明らかに心そこにあらずといった様子だ。夫のことも、今すぐ治して欲しいと懇願する様子もない。昨日モーリヘンが見せた必死さとは裏腹にね。以上のことから、私の優秀な頭脳は、何とも形容しがたい違和感をひしひしと感じているのだよ」


 やや針小棒大な感は否めないが、これがエルロイドの違和感の正体らしい。


「教授、普段は他人が何をしていようとお構いなしですが、今日はずいぶんとカンが冴え渡っていますね」


 とりあえず、マーシャは自身の雇い主を誉める。実際、このエルロイドは他者に対する配慮というものが完全に欠落している。自身の研究さえできればそれで満足であり、普段は他人など路傍の石と同然に見ているのを隠そうともしないのだ。


「ふん、君は自分の雇い主に対して敬意と遠慮の二つが欠けているな。もっとも、私はカンなどという非合理的なものには頼らない」

「では何に頼られますか?」

「推理だ。事実を整合し正しい順序で配列すれば、真実は自ずから明らかとなる」


 鼻高々と自説を披露し、エルロイドはオレザの方を見る。


「夫人、私の予想は当たっているかね?」


 ややあってから、オレザは首肯した。


「おっしゃる通りです、エルロイド教授。見事な観察眼、心服いたしました」

「そうだろうそうだろう。当然の反応だな」


 ますます得意満面となるエルロイドをよそに、オレザはぽつりとこう呟いたのだった。


「実は……私には、あれが夫なのかどうか、分からないのです」

「どういうことかね?」


 エルロイドが首を傾げた。


「そのままの意味です。あれは、本当に私の夫なのでしょうか?」

「私に聞かれても困る。なにぶん、私は顔を失う前のドッドラーニー君を知らないのだ」


 至極もっともな意見に、オレザはうろたえた様子を見せる。


「え、ええ。そうですよね。おかしなことを聞きました」


 二人の会話にマーシャが加わった。


「どうしてそう思うんですか。何か違和感があるのでしょうか?」

「そういったことは特別ありません。ただ、ご覧になった通り、主人の顔は完全に失われています。それだけです」

「ふむ。それにしても、あなたはずいぶんと落ち着いている。まるで、夫の顔がなくなっても不便ではないかのようだ」


 ぶしつけな教授の物言いに、再びマーシャが眉をひそめた。


「教授、少し言い過ぎでは……」


 しかし、オレザはマーシャの言葉を遮り、首を縦に振る。


「いえ、おっしゃる通りです」


 口を閉じたマーシャは、エルロイドと共にオレザの方を見つめた。彼女はしばらく言葉を選んでいる様子だったが、やがて堰を切ったようにしゃべり出した。


「夫はいつも商社の仕事で忙しく、国中を飛び回って商談をまとめ、売り買いに精を出していました。家に帰ることもあまりなく、最近は事務所で寝泊まりしていることもしょっちゅうです。結婚して数年経ちますが、夫婦として顔を合わせ、ゆっくりと話すことなどほとんどありませんでした」


 オレザの独白は続く。


「そんな折、夫は妖精によって顔を奪われました。そうして初めて分かったんです。『私は、この人の顔をまじまじと見たことなんて、もしかすると一度もなかったかもしれない』と。ですから、私には顔のないあの人が、実は夫とすり替わった妖精だと言われても、反論することができません。それほど、夫のことを見ていないんです」

「仕草やくせなどでは見分けられないだろうか?」


 エルロイドは、彼女の独白の内容の是非にはまったく触れず、実際的な解決策を提示した。


「無理です。夫だと言われればそう思えますし、夫ではないと言われれば信じてしまいそうです」

「ふむ……。少々事態は厄介だな」


 あごに手を当て、エルロイドはしばらく思案する。


「だが、構わん。私たちのやることは同じだ。いずれにせよ、人の顔を奪うなどという不届きなことをする妖精は、帝国に存在してよいはずがない。まずは、その妖精がどこに隠れているかを探すとしよう」


 そう言うと、改めて彼は隣にいる自らの助手の方を見る。


「マーシャ、頼んだぞ」

「はい、教授。かしこまりました」



 ◆◇◆◇◆◇



「ふむ、鏡が元凶か」

「はい。ここに妖精の存在を感じます」


 しばらくして、エルロイドたちはマーシャを先頭にして、自室に移動していた。壁に掛かっている鏡の前で、マーシャは歩みを止めると振り返る。彼女の左目は、まるで宝石のように自ら光を放っていた。この左目こそ、現世の裏側にいる妖精たちを暴く、妖精女王の目である。


「ただ、妖精そのものは、もうここにはいないようですね。気配の残り香のようなものが、かすかに目に見えるだけです」


 マーシャは鏡に近づき目を凝らす。彼女の左目は、通常人間には見えない妖精を視認するだけでなく、ある程度の権威を有している。まさに妖精女王の力を人の身で有しているに等しいマーシャだが、肝心の妖精はいないようだ。


「ふむ。昨今同様のケースをよく目にするな。妖精の影響によって現実に異変が起こるのだが、肝心の妖精は消失している。その力の残滓だけが、現実を歪めているというケースだ。妖精郷に何らかの変化があったのだろうか?」


 マーシャの発言を、エルロイドは興味深そうに聞き入る。彼にとって、妖精が見えるマーシャの発言は貴重な資料なのだろう。


「まあいい。推測は後だ。外見はただの鏡だな。触れても大丈夫だろうか?」

「いえ、まずは私が……」


 ずかずかと近づくエルロイドを止めようとしたその時だ。鏡の表面が突然曇った。その中から無数の煙のような手が伸びると、マーシャとエルロイドを捕らえる。


「えっ?」


 マーシャの目には、突然鏡が大学の正門ほどに大きくなったように見えた。



 ◆◇◆◇◆◇



「どういうつもりですか!?」

「そのままの意味だよ、ドッドラーニー」


 ロスバガート貿易商社。ロンディーグの中心地にあるその事務所に、顔のない青年ことモーリヘンがいた。彼は相当激した様子で、机に向かっている初老の男性に食ってかかっている。


「陰謀ですねこれは! 僕を出世街道から追い落とすつもりなんですね!?」

「そんなつもりはない」


 身振り手振りを交えて大げさに語るモーリヘンに対し、彼の上司とおぼしき初老の男性は言葉少なに彼をあしらう。


「騙されませんよ! 優れた人材に嫉妬して、足を引っ張るしか能のない連中は本当に害悪ですよ! 我が社の癌だ!」


 軽く扱われたのが気に食わなかったのか、ついにモーリヘンは机を拳で叩いて大声を上げた。


「その失礼極まりない発言には反論したいが、今の君の状況を見れば同情の余地もある。君は少し錯乱しているんだよ」


 机の上の書類から目を上げ、上司の男性はモーリヘンをたしなめる。実際、モーリヘンの方が異常である。彼は顔を失っているため、既に会社から休職するよう正式に指示を受けている。それなのに、こうして彼は出社していた。


 彼の務めているロスバガート貿易商社はロンディーグ一のやり手商社だが、社員を馬車馬のようにこき使う危険な企業ではない。それなのに、モーリヘンが自分の復職を上司に直談判しているのは、愛社精神ではなく単なる出世欲である。元より彼は家庭を顧みず仕事にまい進していた人間だ。仕事無しでは、自分の存在理由を失ってしまう。


「いいえ! 僕は錯乱なんかしていません。さっさとその何の役にも立たない口を閉じて、僕を仕事に復帰させて下さい。一刻を争う商談が山積みです。僕なしでまとめられるとでも思っているんですか!?」


 埒があかない、とばかりにモーリヘンは大声を上げる。明らかに上司を上司と思わぬひどい態度に、ここで思わぬ横槍が入った。


「思っているとも」


 事務所の奥から出てきた、片眼鏡に禿頭の老紳士を見て、モーリヘンは急にしゃちほこ張る。


「……しゃ、社長!?」


 モーリヘンの言葉の通り、この老紳士こそ、ロスバガート貿易商社の社長である、ラジウォル・ロスバガートである。だが、モーリヘンがたじろいだのは一瞬で、すぐに彼は渡りに船とばかりに社長にすがり付く。


「ちょうどよかった。社長ならば、少しは話が通じますね。即刻僕を復帰させて下さい。今頃僕がいなくて困っているでしょう? すぐに取りかかりますから」


 へつらわんばかりの彼の言葉に、ラジウォル社長はたった一言で応じた。


「その必要はない」


 モーリヘンがその言葉の意味を理解するのに、たっぷり十秒はかかった。


「……………………は?」


「率直に言って、その高慢な態度は、君の優秀さに免じて今までみんな我慢していた。何より、君はまだ若いからな。だが、君の体調を心配する上役にまで噛み付くようでは、私としても君を放っておく気はない」


 ぽかんとした顔のモーリヘンを一瞥し、変わってラジウォルは上司をねぎらうような目で見る。それに対し、上司は感謝の眼差しで応じた。


 ラジウォルの言う通りである。このモーリヘンという青年は、仕事はできるものの、協調性がほぼ皆無だった。自分の優秀さを鼻にかけ、今まで社内で傍若無人に振る舞ってきた。モーリヘンとしては、誰も自分をたしなめないのは自らの優秀さ故だと勘違いしていたが、単に若い故の猶予が与えられていた、つまり周りが我慢していただけだったのだ。



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