Dreamers of Dreams
日曜日の長い練習を終えて帰ると、祐司は部屋の机の上に野球のスコアを広げた。
望からピッチャーの和人の調子が悪いと聞いたのだが、実際に投げているのを見ても原因がイマイチわからない。実際、普段の練習ではそこまで悪い訳ではなく、試合中に時々、突然打たれ始めるとのことだった。
彼は、自分がケガをしてからの全ての試合のスコアをマネージャーから受け取り、慣れない作業に目をしばたかせながら、投球内容にじっくりと目を通していく。
他の誰にも気付かない、長年ピッチャーをやってきた自分にしか見つけられない何かがあるはずだ、と信じて。
夜の十時を回った頃、家のインターホンが鳴った。母親が玄関を開ける音がして、しばらく後に彼女は二階の祐司に呼びかけた。
「祐司、春貴君が来たよ」
部屋を出ると、春貴と母親が親しげに話しているのが聞こえた。久し振りに会うからか、春貴が身の上話をしているようだ。
階段のところで彼と挨拶を交わし、部屋に招き入れた。
「うわ、なんだこれ」
「スコアだよ。ざっと九か月分くらい」
春貴は開いているページにざっと目を通して、さっぱりわかんねえな、と笑った。
「祐司。約束通り、これ持ってきてやったぜ」
春貴は椅子に座って、鞄から英語のノートを取り出した。
祐司は先日の授業の内容を聞き逃していて、日本語訳がわからない上に宿題を出されていたと後から知り、困っていたのだ。「サンキュ」と言って受け取り、内容を確認していると春貴が言う。
「色々と手を出すのはいいけどさ、授業を寝るのは本末転倒じゃないのか?」
「そんな格好の奴に言われるのも変な話だけどな」
久々に見た春貴の私服姿は、首からネックレスを下げ、パンツをダボッとさせたストリート系の格好だった。彼は自分の姿を見ながら、そうだな、と言って笑った。
祐司は春貴を椅子から追い払ってノートを写し始める。春貴はベッドに腰を下ろした。チラッとその様子を窺うと、彼は部屋を見渡しながらどこか遠い目をしている。
最後に彼が来たのはもう何年前だろうか。昔大事に飾っていたプロ野球選手のポスターも剥がした。本棚の中身も子供向けのマンガから、野球雑誌と高校生に人気のマンガに変わった。
春貴は、ふと立ち上がって部屋の隅に向かう。
「懐かしいな、これ。確か見に行った記憶がある」
彼が棚から手に取ったのは、小学五年生のとき、祐司がエースとして初めて大会で優勝した時のトロフィーだった。
祐司の雄姿を見届けようと、決勝戦の日には春貴や美咲や当時の友達が大勢応援に駆け付けていた。トロフィーをそっと置いて、再びベッドに腰掛けると、春貴はぽつっと呟く。
「昔は、お前のことがほんとに羨ましかったよ」
その真面目な口調に、祐司は手を止める。
「リーダーとしてぐいぐい引っ張れる能力があってさ。野球でも下級生の頃から上級生より活躍して。俺はアイドルになれてやっと別の一番を目指せる、って思ってたらその地位すらも失って、その間にもお前はどんどん前に進み続けていた。
運も実力もある程度のお金も、全部揃ってたお前が、正直妬ましく思ったこともあった」
二人の間を沈黙が包む。祐司はシャーペンの背で机をコツッ、コツッと叩いていたが、ふと自分も喋りたくなった。
「俺だって、お前が羨ましかったさ。一緒にバカやってるように見せかけて大丈夫なラインをちゃんとわかっててさ。頭が良くて何度も勉強を教えてもらって、ちょっとだけ屈辱でさ。
スポーツもダンスも上手いから運動会では俺より活躍してたし、お前だってMISTIAの中で年下の方のクセに結構人気あったじゃねえか。女の子にモテモテでずるいって何度も思ったさ」
一瞬だけ沈黙が流れ、二人で大きな声で笑い始めた。
春貴はベッドに倒れ込み、天井を眺めながら言う。
「改めてよくわかったよ。だから俺達上手くいってるんだよな」
「バランスがいいってか。それとも結局お互いただのバカだからかな」
再び二人で笑い声を上げる。後で隣のめぐみにうるさかったと怒られるかもしれないが、そんなことは構わない。
俺達はいつだって、バカみたいにいさかい合って、バカみたいに笑い合ってきた。それはこれからも変わらない、美咲達も含めた俺達の世界の不変の真理だ。
笑い疲れると眠気が出てきたが、なんとか耐えながら必死にノートを写していく。
肘の負担にならないよう小休止を挟みつつ、ようやくあと少しというところまできて、ふと手を止めた。
テキストをパラパラとめくっていくのを見て、煙草の箱をいじっていた春貴が言う。
「祐司、どうしたんだ?」
「いや、こんな文章、教科書にあったっけ」
ノートの該当箇所を指し示すと、春貴が立ち上がって確認し、ああ、と納得した。
「これはテストに出ないから安心しな。時々岡野が授業の終わりに英語の文章を紹介することあるだろ? いつもはスルーしてるけど、今回の詩はちょっと面白いと思ってな」
ふうん、と鼻を鳴らして、祐司はその文章を読み上げてみた。
We are the Music Makers,
And we are the dreamers of dreams,
Wandering by lone sea-breakers,
And sitting by desolate streams;
「イギリスのアーサー・オショーネシーっていう人の詩の一節らしい。1874年の作品で、この後には大英帝国の栄華を賛美してるって感じの内容が続くそうだ」
春貴の解説を聞きながら、この詩の意味を辿っていく。
我々はみな自らの音を奏で、
夢を追い続けている
波が弾ける、寂しい波打ち際をさまよい、
干上がった川辺で腰を下ろす
「……いい詩だな」
「だろ?」
固く決心した夢を追い続けること。それは泥臭くて、道は長くて、信じられないくらい大変で。
だけど乗り越えた先にあるのは、きっと希望だ。最後に掴み取るものは、栄冠でなくてはならないのだ。
祐司がその詩をさっとメモすると、春貴は自分のノートを取り上げて帰り支度を始めた。その背に向けて、祐司は何気ない風を装って話しかける。
「そういやお前、今日はコンビニでバイトって言ってたけど、あれウソだろ?」
彼は片付けの手を止め、参ったな、と呟きながら祐司を見た。
「それ、どこで知ったんだ」
「悟が、こないだ偶然お前が建物に入るのを見かけたってさ。前田さんには言わないように口止めしておいたけど」
「あはは、沙織ちゃんにバレたらあっという間に広まるからな。サンキュ」
鞄を肩にかけ、今日くらいは早く寝ろよ、と言い残して春貴は部屋を出ていった。
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