第20話 ジョブ:お人好し

「さぁ、ゲームを始めようか」


 額に汗を浮かべながら立ち尽くす体育館中央。

 ラスボス相手に勝算の無い戦いを挑む。


「この前も言ったが、俺はバスケはど素人だ」


「知ってるよー」


「なら、これ以上やる意味が有るか?」


「そう言いながら付き合ってくれるところ、お人好しだよねー」


「帰っていいか?」


 ボールが投げられる。

 答えはNO。

 今日も一戦交えないと終われない。


「はあ……」


 ボールを投げ返してゲームスタート。

 不規則に響くドリブルの

 右手、左手、右手。

 大きく息を吸い込み、西島は動き出す。


「行くよ!」


 縦横無尽に動くボールは目で追いきれない。

 見るのは相手の身体の動き。

 少なくてもボールよりは遅いし、パスという選択肢が無いのは大きい。


 ―――正直付いて行くのだけで厳しいが。


 右手から放たれたボールが股下を通り、左手へ。

 視界は常に俺を捉えている。

 ボールなど見るそぶりもしない。


「フェイク」


 呟かれた言葉に身体が一瞬硬直する。

 ボールは西島の背後を通り、斜め前へ放り出された。

 思わず手を伸ばす。

 あと少しで指先が届く。


「フェイクって、言ったよね?」


 待ってましたと言わんばかりに西島の右手がボールを掻っ攫っていた。

 反応出来ない。

 相手の動きはスローモーションのように流れるのに、自分の身体はそれ以上に遅く、止まっているかのように思われる。

 フェイク。

 言葉の意味が理解出来ない訳ではない。


「折角フェイクって教えてあげたのに」


 ボールはそのままリングを通り抜ける。

 動けない身体は未だに固まったまま。

 眼球だけが彼女の動きに合わせて動く。

 思考も止まらない。

 いや、止まらないからこそ、現実と理想のズレに心が揺れる。

 ボールが見えない訳では無い。西島だって視界に捉えている。

 なのに、どうして身体は言う事を聞いてくれないのだろうか。


「さぁ、次は春樹君の番だよ!」


 突如発生した昼休みのバスケ対決イベント。

 昼寝か読書に費やしていたゴールデンタイムは一人の女子生徒によってかき消された。

 正直断る事は出来た。

 帰宅部であり、特別バスケが上手い訳でも無い自分と試合を行う価値がどこにあるのかと。

 運動部は運動部同士、仲良くやってくれと。

 幾らでも理由は述べる事が出来た筈だ。


「少しは、手加減してくれよ」


「本気でやらなきゃ楽しくないでしょ?」


「本気でやっても楽しくねぇよ」


「負けてばっかりだからね、春樹君」


「主にお前のせいだけどな」


「ふっ、造作もないことよ」


「張っ倒すぞ」


 試合に負け、ボールとリングの後片付け。

 一度も点数を入れたことの無い一条はいつもリングを天井付近まで上げる係だ。

 古びた鎖の匂いが手の平に染み込む。


「ねぇ、春樹君」


「なんだ」


「今日もだけど、いつも私の圧勝だよね?」


「なんだよ自慢話かよ。なら手を洗いに行きたいんだが?」


「あ、違う違う! 自慢話とかじゃなくてさ!」


 休み時間も残り僅か。

 自慢話を聞いている暇は無い。

 手を洗い、次の授業の準備を済ませなくては。


「春樹君、私に一度も勝ったこと無いよね?」


「無いな」


「点数だって、一点も入れたこと無いよね?」


「お前のディフェンスとブロックのお陰様で」


「なのに……どうして付き合ってくれるの?」


「はあ? お前が教室までわざわざ呼びに来るからだろ」


「い、いや、そう意味じゃな――」


 予鈴が西島の声を遮る。

 次の授業は化学。

 場所は三階の実験室。

 走って教室まで行って、ロッカーから教材を引っ張り出してまた走る。ついでに手に着いた赤茶色の錆びを石鹸で落とす。

 一脳裏で緻密な作戦が立てられた。


「わりぃが話なら後にしてくれ。授業に遅れる」


「あ、うん……分かった」



 人通りが少ない最短ルートを彼は走り抜ける。

 その背中をぼんやりと眺めながら、彼女もまた次の授業へと向かった。

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