第5話 ジョブ:奴隷

「クククッ……アハハハッ!」


 艶のある黒髪が左右に揺れる。

 体全体で笑っている。


「俺の時間、ねぇ。中々大きく出たね一条くん」


 望んでおいて良く言うぜ。

 最初からこうなる事が分かっていたくせに。


「そうね、勿論こちらとしてもオッケーだよ。一生というのは可哀想だから……よし、体育祭までという条件付きにしてあげましょう。私は優しいからね」


「い、一週間くらいじゃないのか?」


「一条春樹ネットサーフィン議事録をクラス配布しても良いんだけど?」


「体育祭までな! 了解した!」


「うんうん、これから宜しくね」


 これで晴れて俺は高砂の奴隷だ。

 これからはパシリや万引きの手伝いをさせられるのだろう。

 犯罪には手を出したく無かったなぁ。


「では最初の命令。明日、女子の掃除当番が私なんだけど……」


 読めた、私と掃除当番を代われってやつか。

 うちのクラスは男女一人ずつが交代で掃除当番だからな。

 男子の方の当番は誰か知らないが、面倒だから私の代わりにやっておいてってところだろ。

 最初は軽い命令から始まって、徐々に命令の難易度を上げていく作戦か。

 命令される事に慣れ始めた頃にドンッと大きな仕事をやらせるために。


「あぁ、分かった。高砂の代わりに――」


「だから、男子の当番を一条くんが代わってね」


「えぇぇぇ゛ー!?」


「な、嫌なの!? 私と一緒に掃除するのが嫌なの!?」


「い、いや、そういう意味じゃなくて……てっきり、私と当番代われって的な事かと」


「代わりに掃除当番なんてさせたら私が悪者扱いされるじゃない」


 悪魔みたいな笑顔で人のパソコン弄り回すのは悪者じゃないのか。

 基準が良く分からない。


「はあ……まあ、それくらいなら全然構わないが」


「それでは次の命令。ゆずちゃんと別れて」


「白川さんと別れ……は?」


「だから、白川さんと別れて。破局。破談。失恋」


「……理由を聞いても?」


「主人である私に相手がいないのに、奴隷の一条くんに恋人がいるのはおかしいから」


 瞳の奥に潜む闇は消えそうに無い。

 恐らく本気で言っている。


「嫌なの? 別れるの、嫌なの?」


「嫌も何も、俺にそんな権利があると思うか?」


「少なくても今私に逆らう権利は無いよね?」


「……方法は?」


「教室の中心で別れを叫ぶ」


「世界の中心で愛を叫ぶ的なノリで出来るか! クラスで干されるわ!」


「嫌だなぁー、とっくに干されてるよ?」


 他人の口から聞かされた衝撃の事実。

 一条春樹はクラスで干されていたとさ。


「でも、ゆずちゃんの連絡先とか知らないでしょ?」


「知る訳ないだろ。名前だって今日初めて知ったんだから」


「はあ、クラスメイトの名前くらい覚えておいてよ」


「人の名前を覚えるのは苦手なんだ。呼ぶことが無いし」


「もっと浮世に興味を持て」


 言の葉を紡ぎ過ぎた舌や喉に潤いを。

 お互いに一段落着くため、コップに注がれた麦茶を飲み干す。

 お盆には既に水滴によって水溜まりが出来ていた。


「まあ、麦茶が美味しかったからクラスの中心で叫ぶのは勘弁してあげる」


 飲み物一つで俺の運命が左右されるのかよ。

 しかもお徳用パックの作り置き麦茶だぞ。


「代わりに体育館裏でひっそりと別れを告げる権利を授けよう」


「権利、ねぇ……」


「そして私も同席します」


「……マジで?」


「だってゆずちゃんが途中で泣いたらヘタレるでしょ、一条くん」


「ぐっ」


「なので私も同席します。一条くんがヘタレないように応援してあげます」


「圧をかけます、の間違いだろ」


「質問はありますか?」


 無視ですかそうですか。

 虫けらの言葉は人間様の耳には入りませんか。


「質問は無いが意見ならある。同席についてだが、俺は別に構わない。だが、白川さんが困るだろ。クラスメイトとは言え、見られたくないはずだ」


「ほぉ、奴隷になっても彼女の心配ですか。殊勝な心掛けですね……リア充は塵となれ!」


 人の部屋で変な事を叫ばないで欲しい。

 この家は防音性がザルだから、自宅前の通行人がびっくりしてしまうだろ。


「じゃあ、同席はやめる。物陰からそっと覗くことにする」


「奴隷のプライバシーを守る気は?」


「逆に聞くけど有ると思う?」


「有ったら良いな」


「希望的観測だよ、一条くん」


「うっせぇーよ」


 焼け石に水。

 どう足掻いても破局を見届ける気だ。

 告白されるなんて確かに思っていなかったが、まさかその次の日に別れろと言われるなんて想定外過ぎる。


「それにしてもあれだね。あまり抵抗しないね」


「抵抗したら何か変わるのか?」


「さぁ? 未来は誰にも分からないよ」


「未来と言っても、お前の気持ちだろ」


「……ねぇ、本当に付き合う感じなの?」


「どういう意味だ?」


「だから……本当にゆずちゃんと付き合う気かって聞いているの」


「それは答える意味があるのか? どう答えようと別れて――」


「真面目に答えて」


 声のトーンが一オクターブ下がる。

 先ほどまでの雰囲気とは明らかに違う。

 なんだかんだ言って、最低限の常識は持つ奴だ。

 幾ら弱みを握ったからって、人の恋路を邪魔するのは気が引けるのだろう。

 理由が理由だけに。


「教えて」


「……はあ、ねぇよ」


「無い? 付き合う気は無いって事?」


「そうだ。というか、なぜ告白されたのかさえ、分からない」


「名前を知ったのは今日って言ってたよね? もしかして会話したこと無かったの?」


「今日が初めてだ。高砂だって、俺が白川さんと会話しているところなんて見た事ないだろ?」


「だって分からないじゃん。放課後とか密会してるかもだし」


「密会って……誰に隠れる必要があるんだよ」


 同級生に会うのに密会ってなんだよ。

 白川さんはアイドルか何か。


「……なんで告白オーケーしたの?」


「今世紀最大の謎だ。俺にも分からん」


「は?」


「仕方ないだろ。今日初めて会話した奴にまさか告白されるなんて思ってなかったんだから。反省文のせいで帰る時間が遅くなったし、早く帰りたいから適当に回答したら」


「あんな感じになったと」


「そういう事。いやはや、人の話は最後までちゃんと聞くべきだな」


「当たり前の事をしたり顔で言われてもねぇ……で?」


「で? 何か?」


「別れを告げる言葉は決めた?」


「グーグル先生に聞く」


「うわこいつ最悪だ」


「……経験値がねぇんだよ」


「どんまい!」


 うわこいつ腹立つなぁ……憎たらしい笑顔しやがって。


「まあ、刺されないように頑張ってね」


「不吉な事言ってんじゃねぇーよ」


 孤高ボッチの日常に生じた小さなほころび。

 巡り合わせが生む新たな人間関係。

 紡ぎ紡がれる出会いは、一条春樹ボッチを変えていく。

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