吸血鬼の少女は狼の獣人と出会う(1)

 

 今思えば、奇跡だったのかもしれない。


 これまで無事に生きてこられたこと、夜中に誰にも見つかることなく一人で抜け出せたこと、危ない時はあったけどギリギリで逃げ続けることができたこと、森に入っても危険な動物に出会わなかったこと、食べ物や飲み物が必要最低限は確保できていたこと。


 外では必ず隠れられる場所を探して休んでいたし、病気が発症した時も誰にも浚われることも見つかることもなかった。また、女の子が一人旅で疲れているのだと休ませてくれた宿屋のおばさん、絵を描きながら屋敷で静かに過ごしていた老夫婦は近くを歩いていた小汚ない娘の事情を聞かずに身を綺麗にしてくれて久しぶりにお腹いっぱいのご馳走をくれた。この3人への恩は決して忘れない。


 逃げなければいけない。


 追っ手と出くわしたことはないけれど、この森を抜けるまでは安心できない。


 伯爵家の次女を嫁がせるかわりに多額のお金を受け取っているし、嫁がせた後でもう半分も受け取ることができるのだと有頂天になって喜んでいた義両親はきっと容赦しない。喉から手を出るほどに欲しいお金を、たかだか義娘一人で手に入るこの好機を両親が逃すはずがない。血の繋がりがない娘のうえに病気のことを知っている義両親は、必ず捜索させているはずだ。


 捕まったら最後、私の人生は終わったも同然だ。


 義両親はきっと驚いているはずだ。


 数えていたのは2ヶ月までだけれど、2ヶ月以上もそれまでおとなしく言うことを聞いていた義娘が逃げ出せていることに。すぐに見つけ出せると思っていたに違いない。男ならまだしも、女で弱くて何せあんな病気を持っている人間が━━━。


 今までが奇跡だった。

 でも、この奇跡ももう終わりかもしれない。


 ここ最近満足に眠れていないうえに食べ物を調達できておらず、何も食べることができていない。体力が少ないこの身で森の凹凸のある道や斜面を歩くことはとても厳しい。使えるはずの力も使えない。もう足を少し動かすことも呼吸一つすることも酷く億劫だ。


 身体が重たい。喉が乾く。視界が揺れる。お腹が減った。眠たい。動きたくない。でも駄目だ。早く逃げないと追いつかれる。


 最期に見たいものがあった。それは幼い頃から憧れていたもので、一生見ることができないのだと諦めていた。


 どうせ死ぬなら、最期にその場所で死のう。

 だから、ローデンリニアでは忌避される北の森へと逃げた。


 体力の底がついて近くの大木に崩れ落ちるように寄りかかる。ビリビリと服が破れる音がしたが、そんなことを気にする余裕が無い。喉が渇いて頭が痛い。


 道なき道を進んでいたために老夫婦にもらった靴は底が破れて中に色々入ってくるので歩きづらいうえにペラペラだ。目立たないようにともらった古着も何日も着続けてヨレヨレになって森に入ってからはあちこちに生えているとげで穴が空いている。かろうじてマントを羽織ってはいるがこれもぼろぼろで、先程破けてしまい役割を果たしているとは言い難い。


 テタルトまでの北の森が、こんなにも厳しい道のりだとは思わなかった。


 ローデンリニアとテタルトの関係を知らなかったわけではないし、森がどんなところなのかもきちんと知っていた。けれど距離を明らかに見誤っていたのは、大きな・・・最大の過ちだ。


 思わず苦い笑みが浮かぶ。けれど口から零れたのは乾いた咳だった。身体が重くて目眩がする。・・・喉が渇いた。


 もう眠ってしまいたいと半分閉じかけた瞼を慌てて開こうとするけれど、身体は正直者で力が抜けていくのがわかる。既に意識が遠くにいきかけている。


 駄目だ・・・何か、近付いてきているのに。


 敵意とは言い切れない、けれど警戒心剥き出しの何かがこちらに慎重に近付いてきている。


 恐怖が沸いて泣きそうになるのに、逃げなければいけないとわかっているのに身体を動かそうとしているのに、どんどん意識が暗くなって沈んでいく。


 ガサッと茂みからのっそりと現れた大きな黒い影に光が見えて、もはや気力のみで保っていた意識をルーシーはついに手放した。





 ローデンリニアという国は、四方を4つの国に囲まれていて国土はやたら広い。けれど、その広大な国土に反して国力は低く、他国に干渉されながら生き残っているというのが現状だ。


 それは、海と面する国であるテタルトが最大の理由にあった。

 どの国もローデンリニアより発展しており、武力で押し切られてしまえばあっさりと制圧されてしまうほどの低い国力である。過去の長い歴史の中で、ローデンリニアは他国の侵略を受けては滅亡の危機にさらされた。しかし、現在では多少の圧力はあるものの他国がローデンリニアに侵攻することはない。


 ローデンリニアの北の森を越して存在する国のテタルトは、他の三つの国と同じ国土を持ち、海に面しているので他国との貿易で栄える港町がある。また、その鉱山でしか採掘できない貴重な鉱石も原産国で、取り扱いが難しいため加工も国内で行われている。また良い土壌を持っているのでテタルトの農作物は美味しいと評判だ。


 テタルトの国力は高く、他国からの侵略を一切受け付けない。

 そんな国を、他の三つの国は手に入れようと何度も侵攻した。一時は三か国同盟を作ってまで侵攻した。当然のようにローデンリニアを巻き込んで。


 しかし、テタルトはそのたびに侵略を退けてきた。その内にテタルトの国力に他国の兵は恐れを隠せなくなり、兵の士気は下がり続け、戦場に行っても逃げる者もでてきた。このままで自国の首を締めるばかりで損しかないと判断したのだ。


 そして、暗黙の了解のようにテタルト及びローデンリニアへの侵攻を止めて、テタルトとは互いに不可侵の条約を結んだ。そもそもテタルトは一度として望んで戦を始めたわけではないのだが。

 ローデンリニアもこれに並びたがったが小国からの懇願など聞き入られるはずもなく、ローデンリニアは不平等な条約が結ぶことになってしまった。


 三つの国がローデンリニアに求めるものはテタルトという国との緩衝材のようなもので、もしテタルトが侵攻してきたとしても自国の防衛を高めるための時間稼ぎという道具でしかない。その為にローデンリニアという小国は、他国によって生かされていると言っても過言ではない。


 そんなローデンリニアは、テタルトという国と面しているからこそ滅亡していないという捉え方もできる。しかし、ローデンリニアはテタルトとは必要最低限の交易しか許されておらず、過去の戦争からは他国とテタルト両国からの損害を被ってきた。


 ローデンリニアの国民からしてみればテタルトも敵であり、忌避すれど仲良く手を取り合える相手ではなかった。


 よって、テタルトに繋がる北の森はローデンリニアの国民にとっては絶対に立ち入ってはいけない場所になった。また、過去に立ち入った者は行方不明になったり、大怪我を負って2度と体を動かせなくなったり、見る無惨な姿で息絶え絶えに森から出て来て亡くなったなどと不穏な噂が付き纏う森である。現地の村人さえ滅多に近寄らないという。


 そもそも、何故こんなにも国力に差があるのか。


 それはテタルトが勿論鉱山や農作地に恵まれていることや海に面して貿易を行っていることもそうではあるが、テタルトに住まう存在が、ローデンリニア然りこの大陸のほとんどの種である人間とは異なる種族だからである。


 テタルト━━━それは、獣人が治める国の名前だ。




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