第16話 真美の不調【中編】



 そんなわけで、騎士たちの食事があらかた終わったあと、食堂で後片付けを終えたメイリアに聞いてみる事にした。

 死にそうな表情の大人三人から事情を聞いたメイリアは、なんともまあいつも通りの微笑みで「あらあらまあまあ」と仕方なさそうに頰に手を当てる。


「そうねぇ、平民の子は分からないけれど……わたくしがそのくらいの歳の頃はお茶会を開いたり、招かれたりしていたわねぇ。あとはロマンス小説を読んだり……ええ、あとは淑女としての勉強をしたり……そうだわ、乗馬も嗜んだわね。同じくらいの歳の子と集まって軽食会もしたわ」

「…………。な、なんというか……セレブなんですね」

「? せれぶ? よく分からないけれど、わたくしも一応貴族でしたからね。……陛下の婚約者候補でもありましたし」

「え! へ、陛下って王様ですか!? メイリアさんが!?」


 うふふ、と上品に微笑むメイリア。

 頭を抱えるリュカに、ハッと口を覆ってしまう。

 忘れがちだが、メイリアはリュカの母親。

 母親の若い頃の、それも恋愛話なんて聞きたくないに決まっている。


「そうよぉ。でも、わたくしはリュカの父親に嫁いだわ。政略結婚って嫌だったし、彼の方が強かったんですもの」

「…………」

「そ、そう、ですか〜……」

「うふふ、それで今は使用人のような生活をしてるけど……わたくし後悔はしてないわ。今でも男を見る目はあったと思っているのよ。旦那様は最高の騎士だった。リュカ、貴方もあの人のように人の為に生きられる騎士になるのですよ」

「……い、言われずとも分かっております……」


 拗ねたような顔をしながらも、頰を染めるリュカ。

 その姿が少しだけ可愛らしくてクスリと笑ってしまう。

 しかし、ハーレンの表情は相変わらず暗い。


「……ですが、それですとお茶会を開く事になりますね? ……今そんな資金を持っているのは……『革新派』の令嬢ぐらいなものです」

「っ!」

「そうね。けれど彼らには彼らの言い分もあります。今の時代に贅沢は確かに不釣り合い。けれど、一流階級の者がみんな贅沢を忘れてしまえば国はどんどん価値あるものを後世に残す事が出来なくなるわ。……彼らの言い分も分からないでもないのよ、わたくし」

「メイリア……」

「特に、今の殿下はこれからそういうものを学ばなければならない。王族の者が物の価値の判別も出来ないようでは、戦争に勝っても国の価値そのものが下がっていくわ。そうね、聖女様にもある程度、一流のものに触れて頂く機会は必要でしょう」

「し、しかし! メイリア様! 聖女様を彼らの巣穴に放り込むような——!」

「お座りなさい、ハーレン」

「…………はい、申し訳ございません」


 笑顔で窘められて、ハーレンはおとなしく座る。

 興奮して立ち上がったりするから怒られるのだ、と歩美とリュカの表情が物語っていた。

 そう、メイリアには逆らってはいけない。

 彼女は歴戦の猛者……ではなく淑女なのだから。


「貴方の言いたい事ももちろん分かるわよ〜? 今の『革新派』を名乗る者たちは、自分たちの生活の事しか頭にないでしょう。所詮は商人上がりの成り上がりたちだものぉ」

「…………」

「でも、彼らのご子息ご令嬢は、教育をきちんと受けている。矜持だけの、わたくしたちのような貧乏貴族よりもよほどよい教育をね」

「メイリアさん……」

「わたくしは、聖女様に足りないのは同性のお友達だと思うわ。なんでも話せるお友達。そうね、親友と呼べるような心の支えになれる人。単純なお立場ではないから、難しいとは思うけれど……この世界で生きていかなければならないのだから、人脈は多い方がいいと思うわよ」


 のほほん、とした笑顔でそう言われては、みんな黙り込むしかない。

 彼女の言っている事は正しいからだ。

 真美の将来の事を思えば一流の物に触れ、きちんとした教育を受けた友人に出会うのはきっと必要な事だろう。

 聖霊たちばかりと話しているようだし、確かに最近真美が話している『人間』は歩美とメイドたちとここの騎士たちだけのような気がする。


「お茶会、ですか。でも、真美はマナーとかさっぱりで……」

「ああ、そうだったわね。アユミちゃんたちの世界とこの世界では、色々と文化の違いが多いんだったわね……。では、まずはここの食堂で練習してみてはいかがかしら〜? とりあえず、わたくしやコールやアユミちゃんでお茶会、開いてみましょう」

「わ、私もですか!?」

「ええ。あ、そうだ。陛下や聖殿長も招きましょう」

「「「は、はい?」」」

「聖女の一大事だもの、協力してくださるわよ〜。陛下や聖殿長のようなマナーが完璧な方と一緒の方が身につくのも早いと思うわ。はい、決まりね〜」

「え、あの、え?」


 待ってくれ、とリュカがか細い声で手を伸ばす。

 もちろん聞いちゃいない。

 むしろ決まってしまっている。


「……あとは、そうねぇ……アユミちゃん、よかったら聖女様をルクルスの丘に連れて行ってあげて」

「……ルクルスの丘……? どこですか?」

「!」


 リュカとハーレンの表情が、強張った。

 それが気になりもしたが、メイリアは気にせずに続ける。

 その場所は——、


「歴代の聖女が結婚式を挙げる場所よ。……そして、歴代の聖女が眠る場所でもある。聖女様にとっては意味ある地だと思うわ。ピクニックがてら行ってみたらどうかしら?」

「……ピ……」


 言い方が、軽い。

 メイリアの提案を受け、最初こそ困惑気味だった三人。

 だが、他に良い案が浮かぶかと言われれば一様に口を噤む。

 観念して、ハーレンが国王に許可を取りに行き、歩美は真美にメイリアの提案……ピクニックに行くかどうかを聞いてみる事にした。

 真美は聖殿。

 翌朝、朝食を持って城の一部である聖殿へと入っていく。

 相変わらず空気が他の場所とは違い、とても澄んでいる。

 歩きながら少しだけ多めに空気を吸い込み、吐き出すと、肺の奥から悪いものが出て行くようだった。


「こちらです」


 聖殿に仕える人を仕官と呼ぶそうで、その仕官さんが聖霊の像の脇ある扉へ促す。

 真美が泊まっている部屋は、聖殿奥にある仕官たちの宿舎の一室なのだそうだ。

 深くフードを被り、長いローブで全身を覆い隠す仕官は召喚された日に見た人たちの姿と同じだった。

 少し怪しい姿にも恐らく意味があるのだろうが、警戒心が先立ってしまうのは仕方がない。

 あんなに深くフードを被って、前が見えるのだろうか。

 そんな事をつい考えてしまうが、余計なお世話だと思うので口には出さない。

 案内された扉の奥は真っ直ぐに廊下が伸び、一定間隔で扉がある。

 全体的に青白い石造り。

 国の紋章が描かれた旗が、扉の間の壁に飾られている。

 城の中ですらここまで国旗がしつこく飾られていないのだが、なにか意味でもあるのか。

 とはいえ、それほど興味もないのですぐに前を歩く仕官に視線を戻す。

 かつ、かつ、と歩き続け、中ほどまで来ると右の部屋の扉を指さされる。

 正直同じ扉ばかりでよく覚えられるものだと感心してしまう。


「こちらです」

「ありがとうございます」


 扉をノックする。

 そして「お母さんだよ。真美、起きてる?」と声を掛けると、なにやらパタパタと音がして勢いよく扉が開いた。


「お母さん!」

「おはよう。朝ご飯持ってきたよ」


 その顔を見て「ああ、そうか」と納得した。

 一番不安なのは真美だったのだ。

 この子にも突然聖女の力が使えなくなった理由が、分からないのだろう、と。

 だから安心させるように、いつも通り微笑んで声を掛ける。

 そうすると、真美の顔がぐしゃりと歪む。

 部屋に入り、トレイをテーブルに置いて真美のところに戻り、しゃがんで娘を抱き締めた。

 頭を撫でる。

 肩が震えて、小声で「お母さん」と呼ばれた。


「大丈夫だよ。きっと一時的なものだよ」

「でも、でも……」

「気晴らしにピクニック行こう? お母さん、最近料理の腕も上がってきたと思うのよ! あのね、メイリアさんが素敵な場所だから行ってみてって教えてくれたところがあるの。行ってみよう?」

「けど……けど、早く町を浄化しないといけないのに……」

「真美……」


 思わぬ答えに、目を見開く。

 胸がすぅ、と不思議な感覚で冷めていった。

 真美は——……この子にはもう、聖女としての自覚が芽生えつつあったのだ。


(……信じられない。聖女は嫌じゃなかったの? ……ああ、子どもの成長って本当に早いんだなぁ……)


 そして、どんどん胸が熱くなった。

 きっとあの時に、真美の中でなにかを乗り越えたのだろう。

 娘は確実に成長している。

 それを一つの実感として感じた。

 喜びと寂しさ。

 恐らく、この胸に広がる苦く甘い感覚はそういう感情なのだろう。

 それ以外にも色々混ざっている気はするが、涙が出そうな気持ちの大部分は喜びだと思った。

 娘の成長が嬉しい。

 責任感を抱き、他者をこんなにも思いやれる。

 とても、とても優しい子。


「焦っちゃダメ」

「でも!」

「焦ってもいい事ないよ。いっぱい走ってご飯を食べたあとは、眠くなるでしょう? 心も一緒。真美はたくさん頑張ってる。だから、心が少しお休みしたいよって言ってるんだよ。だから一日だけでいい。心をお休みさせてあげよう?」

「……心に、お休み?」

「うん。真美のその優しい気持ちはとても大切だと思う。町の人たちが困ってるのも、お母さんは直接まだ見てないけど、きっと本当に……困ってるんだと思うけど……それなら尚更、真美は一度休まなきゃダメ。気晴らしってね、心をお休みさせる事なんだよ」

「……そう、なの? …………」


 考え込む真美に、歩美は微笑み掛ける。

 そして、立ち上がって背中を押した。





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