第15話 真美の不調【前編】



「ふう……大量大量! 今晩はコリッブローのグラータですね」

「ええ、コリ煮も作りましょうか。それと、アンデロ……フガーシュも良いわねぇ」

「…………」


 早く料理名を覚えよう。

 まだまだ歩美には知らない料理がたくさんあるようだ。

 収穫した大量のコリッブローやガジャボという緑色のカボチャ風野菜。

 これだけあっても二日分にもならない。

 今日蒔いた種も、収穫出来るのは来月から再来月。

 それを思うと、畑の拡張は確かに急務と言える。

 とはいえ、一つの小隊が一日に倒せる木は数本が限度。

 一番大変なのは、倒した木を倉庫へと運ぶ事。

 一本百キロを超える木を、十数人の騎士が往復して運ぶのだから時間も掛かる。

 明日は倒した木の根を取り除く作業。

 それでも、思ったほどの拡張は見込めない。

 これ以上の人数は城や貴族の護衛の人数を割り裂く事になるので認められないらしく、それもまた悩ましいところだった。


「でも、今日聖女様が町を浄化に行ってくださった。もうすぐ町でまた買い物が出来るようになるわ。ああ、ありがたいわね……」


 ほくほくと、本当に嬉しそうな笑顔。

 その笑顔が嬉しい反面とても悲しくもある。


「……そう、ですね」

「本当に感謝しているのよ、アユミちゃん。貴女の大切な娘さんには……。それだけは本当に本当よ」

「……はい、疑ってません」


 この世界の人たちにとって、真美は『希望』。

 そんな事は分かっている。

 ただ普通の女の子として、平和な世界で……生きて欲しいと願うのはおかしい事だろうか。

 あんなに恐ろしい魔物や厄気と対峙し、人々の期待を一身に背負わされて……。

 それを乗り越えていけるほど、あの子は強いのだろうか。

 歩美はそれがとても心配だ。

 いつか真美が、嫌だ、もう嫌だと泣いて嫌がった時に歩美はなにをしてやれるのだろう。

 決めた事なのだからやり遂げろ、と背中を無理やり押すのだろうか?

 それとも、やめてもいい、一緒に逃げよう、と言ってやれるのだろうか。

 そして、そのどちらが真美にとっての幸福につながるのだろう?


(…………リュカ)


 真美がその選択をする時に、歩美を悩ませるもう一つの要因となるのは間違いなく彼だ。

 愛する娘か、心を揺さぶり始めた男か。


「…………」


 娘を選ぶべきなのは分かりきっている。

 娘を選ぶ。

 それでも、頭にちらつくのだ。


(ダメだ。この気持ちはダメ。今は真美を守るんだから……)


 想いを深くしまい込もう。

 そうして、出来る事ならばこれ以上この想いが育つ事はないように。

 願いながら、祈りながら厨房に戻って夕飯の準備を始めた。

 メイリアにグラータ……元の世界で言うところの『グラタン』に近い食べ物の作り方を教わりながら、人数分を拵えていく。

 同時にアンデロという……元の世界で言うところの野菜バージョンの『パエリア』らしき料理も教わった。

 とはいえ米などないので、米に似た豆、ロックを敷き詰めて色とりどりの野菜と魚を巨大なフライパンで蒸し上げて味付けする料理だ。

 歩美はこのロックを和食に使えないかと、それでおにぎりを握ってみたが所詮は豆。

 米のように粘着力があるわけもなく、塊になる事はなかった。

 それはとても残念ではあったものの、また一からお米を探せばいい。

 あるいは、お米に代わる穀物が今後見付かるかもしれない……そう、思う事にした。


「ふう、やっぱり百人近い人数分を作るのは大変ね。アユミちゃんがいてくれて本当に助かるわ〜」

「野菜の調理って大変ですものね……、……あれ?」


 ちらほらと着替えた騎士が食堂に入ってくる。

 それを目にして、笑顔で「お帰りなさい」と声を掛けた。

 だが、数人の騎士は笑顔がぎこちない。

 もしや、真美がまたなにか彼らに言ったのだろうか。

 彼らも仕事だし、色々と大変なのだから少し気を遣うように言わなければ……そう、思った時だ。

 今にも死にそうな表情のリュカとハーレンが入ってくる。

 二人は一直線にカウンターに近付いてきて、こう言った。


「アユミ、君の力を貸してくれ……緊急事態だ……!」

「……っえ……!?」


 真剣な眼差しのリュカとハーレン。

 顔色はやはり悪い。

 突然の言葉に戸惑いながらもメイリアをつい伺い見る。

 頷かれたので、厨房を出て二人の方に行く。

 緊張の面持ちで「部屋へ」と促される。

 歩美は不安な気持ちを押し殺し、二人について応接室へと向かった。

 応接室は玄関から左手奥。

 二階に騎士たちの寮部屋に続く階段がある。

 その横の扉から入り、大きなダークブラウンのソファーへと促された。

 掃除ではよく入るが、こんな緊張状態で入った事はない。

 嫌な予感が膨らんでいく。

 二人の、この顔色と態度、そして空気。

 真美に…………なにかあったのだ。

 直感で理解した。


「真美に、なにかあったのね?」


 座るやいなや確認の意味も込めて問う。

 手前に座ったリュカが神妙な面持ちで頷く。

 その後ろに控えたハーレンが、グッと唇を噛む。


「……まさか……」


 怪我?

 死んだ、というのは考えづらい。

 真美には聖霊王が付いているのだ。

 では、魔女に居場所がバレたのだろうか?

 それでも、それでもやはり聖霊王の存在は大きい。

 コールも『聖霊王様は最強なのですわ』と胸を張っていた。

 気が付けばそのコールが右肩の上に現れ、歩美の頰を撫でる。

 心配そうな表情を横目で見てから、意を決して顔を上げた。


「ま、真美に、なにがあったの……」


 心配で、心配で、胸が張り裂けそうだ。

 今日も元気に帰ってきてくれると思っていた。

 まして、今日は町の浄化。

 危険は少ないと思っていたのに——。


「実は……聖女様が『浄化』の力を使えなかったのです」

「……、……え? ど、どういう事? 力が使えなかった、って……でもあの子、もう厄気を浄化した事あるんですよね?」

「はい。城の周りの森や、聖殿にまとわりつく厄気、それに、魔獣の浄化も成功しております。ですが……今日はなぜか……」


 首を振るハーレン。

 その険しい表情に、歩美は胸がドクンドクンと鳴り響くのを感じた。

 聖女の力が……使えない。

 使えなくなった。

 それは……それでは、まさか。


「…………真美は、せ、聖女じゃ、なくなっちゃったんです、か?」

「わ、分かりません。それを調べる為にも……今日は聖殿長が聖女様のお世話をされるそうです。寝食もそちらで……」

「…………、……そ、そう、ですか……」


 聖殿は聖霊や聖女にもっとも詳しい場所だ。

 そこならば突然真美が聖女の力を使えなくなった理由も分かるだろう。

 いや、分かってもらわなければ困る。

 もしも聖女の力を失ったのであれば、真美はどうなるのか分からない。

 この国の状況を考えても、新たな聖女を召喚する、という考えに至るのは必然。

 新たな聖女を召喚するには、古い聖女には……死んでもらわなければならない。

 いや、だが、もしも真美が聖女の資格のようなものを失くしただけなら?

 聖女の力がなくなり、聖女ではなくただの一人の子どもに戻ったとしたら……。

 そうなったら、この世界で、この世界の住人として自由に生きられるのではないか?


「っ……も、もし、もしも真美に聖女の力がなくなったのだとしたら……その時はどうするんですか? 真美が聖女じゃなくなったら……そ、それでも真美は殺されてしまうんでしょうか!?」

「お、落ち着いてください、アユミ様。……恐らくですが、精神的な不安定さからくるものではないか、とリツシィ聖殿長は申していました」

「……精神的な不安定さ、ですか?」

「はい。……聖女様は、まだ歳若い。特に召喚されてから目まぐるしく環境も変わっておられる。……そろそろ生活も落ち着いてはきておりますが、だからこそ、緩みのようなものから一気に不安定になってしまったのではないか、との事です」

「………………」


 思い当たる節はある。

 これまでのおとなしい態度。

 あれは、我慢に我慢を重ねていたからだった。

 言いたい事を飲み込み、怖いのを我慢して、期待に応えようと必死に背伸びをしていた真美。

 耐え切れずに逃げ出した真美は、歩美に泣きついて全てをさらけ出した。

 けれど、だからこそ箍が外れてしまったのだろう。

 真美の心はまだ、かなり不安定なままなのだ。

 最近騎士たちにきつい態度を取るのは恐らく甘え。

 彼らに、そんな自分でも許してくれるかどうかを試している。

 けれど、聖女という存在を叱れる者はこの国にはいないだろう。

 歩美がやはり、あの時叱らなければならなかったのだ。


「……アユミ、これは俺からの提案なのだが……マミ様に、お休みを与えてはどうだろう」

「や、休み?」

「ああ。彼女ぐらいの歳なら、やはり遊びに行ったりしたいのではないだろうか。……俺はよく、分からないんだが……女の子の遊びというのは、その……」

「わ、私だって分かりませんよ!?」


 リュカが困った顔でハーレンを見上げる。

 だが、ハーレンも盛大に首を横に振った。

 まあ、そうだろう。

 彼も男なのだから。


「……遊び……」


 しかし、だから母親の歩美になら……というのは些か安直な考えだ、と言い返したくなる。

 歩美は娘と遊んだ記憶がほとんどない。

 真美の相手は基本旦那……ではなく、元旦那。

 出産して休んで、元旦那と一緒に育児はしたものの……比較的すぐに仕事に復帰した。

 しかしそれでも収入は苦しく、結局親から支援してもらいながら、元旦那の雀の涙のような稼ぎをたまーに足しにして十年、頑張ってきたのだ。

 それも限界になり、離婚。

 歩美の顔にはだらだらと冷や汗が流れる。

 遊びに行く?

 娘と?

 どこへ?

 なにをして遊べばいい?

 いや、そもそも十歳の娘……女の子はどんな遊びが好きなのだろう?

 少なくとも歩美の時代とは、まったく違うはず。

 更に言うとここは異世界。

 元の世界のような遊びがあるとは到底思えない。

 なにしろ見るからにゲームセンターはないだろう。

 公園?

 公園ならあるのだろうか?

 公園でなにをする?

 遊具があるとは正直思えないし、遊具ではしゃぐ歳でもないだろう。


「ふ、ふ、ふ……普通の、この世界の十歳の女の子って、どんな事して遊ぶんですか……」

「「え……」」

「わ、私の世界とは、だって、その、違いますよね? い、色々……」

「「………………」」


 絶句された。

 そう、ここにも隔たりがあった。

『異世界』という隔たりが。

 歩美の顔もまた二人のように死にそうな顔になっていく。

 三人寄れば文殊の知恵、などとはよく言ったものである。


「メ…………メイリアに、助言を求めよう」

「「…………」」


 リュカの言葉に歩美とハーレンは無言で必死に頷いた。



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