第五十二話



 フォームランドの首都レーゲンスファル。

 王であるサブノックはただただ困惑していた。

 暗殺を命じた死神と呼ばれる冒険者リーグが王宮に戻って来たのだ。

 そんな彼が手にしていたのは一つの手紙。

 彼はただそれを読めばわかるとサブノックに渡し控える。


 「一体何だというのだ……」


 サブノックは手紙を開き目を通す。

 そこにはこう記されていた。


 『面倒な前置きは無しにしよう。 今回は素敵な雑魚をけしかけてくれてありがとう。 楽しくもない無駄な時間ではあったが、これでそちらの国を潰しに行く気になれた。 火月の十日にそちらを滅ぼしに行く事にした。 こちらは戦う者が二人と幾らかの見物人を連れていくのでそちらの全戦力を用意して待っていてくれ。 追記:拒否は認めない。 しっかりと準備して待っておけ。 優しい優しい使い魔より、愛を込めて』


  

 最後まで目を通したサブノックは怒りと恐怖によりわなわなと体を震わせ、手紙を破り棄てる。


 「どういう事だこれは!? 貴様にはこやつらの始末を命じたのだぞ! 何をどう間違えれば敵の手紙を運ぶ事になるのだ!?」


 サブノックの怒りはリーグへと向けられる。

 本来なら相手を暗殺せずに戻る事自体もおかしいのだ。

 ましてやリーグはフォームランド内においても最強とまで目された人物。

 そんな男がなぜこんな手紙を持って戻ってくるのか。


 「もしや貴様、そ奴等に懐柔されたのではあるまいな!?」


 「……一応失礼を承知で言わせてもらうぜ、王よ。 悪い事は言わん。 アレは戦っていい相手じゃない。 ……本当にこの国を想うなら降伏する事を進める。 あ、懐柔はされてないぞ。 あんなのに関わりたくはない」


 「き……さま! 打ち首にされたいか!?」


 「……あいつらに歯向かって戦うくらないならそれもありかもな。 ……まぁここの連中にやられる程俺は弱くはないぞ」


 自暴自棄にも見えるが挑発的にも見えるその言動は、サブノックにとってはどうやら挑発に見えてしまったらしい。

 その心を読んだリーグは溜息をつき、サブノックが命令を出す前に一気に駆け出し王宮の外へ向かう。

 それを止めようと兵士達が動き、謁見の間にはサブノックと御付きの秘書官と護衛が残される。

 秘書官は破り棄てられた手紙を合わせ、その内容に目を通す。

 そんな秘書官を無視してサブノックはどかっと玉座に座り込む。


 「ぐぬぅぅぅ! 使えん男だ!」


 「……陛下。 もしこれが本当であるのなら、その使い魔が攻めてくるという事でしょうから迎え撃つ用意をしませんと」


 「たった二人で来るという奴か? そんなもの嘘に決まっておろう。だが、それなりの数は揃えてくるはずだ。 ……いいだろう。 今用意出来る全ての戦力で叩き潰してくれる! そのままあの国も滅ぼしてくれるわ!」


 「了解しました。 では伝令を各地に走らせるとして……リクシアとレーゲンスファルの距離を考えますとグリント大平原で迎え撃つのが好ましいかもしれません。 敵の手札が見えない以上開けた場所で戦うのが得策です。 後方にレーゲンスファルがあるので、補給もしやすいでしょう。 間にはこの国で最も堅牢なアイグリッツ砦もあります。 ここを起点にすればどんな大軍が来ようと守り切れるでしょう」


 秘書官ではあるが参謀としても優秀な彼の進言は最もだった。

 早速作戦立案を任せた王は手紙を思い出し、苛立つ。

 

 「……使い魔風情が生意気な……っええい! 腹立たしい! イグニス! 余の護衛は任せるぞ!」


 「……御意」


 イグニスと呼ばれた護衛の男はサブノックの言葉に頭を下げる。

 寡黙な男だが、その実力は高く王自身が護衛として認める程でリクシアの双璧と呼ばれるエレインやチサトにも並ぶ猛者とも言われている。

 赤い髪を揺らし、イグニスは忠誠を誓う王に頭を垂れる。


 そんな彼の姿に少しばかり留飲を下げたサブノックは今後の予定を考えるために謁見の間を後にする。







 「実際のところどうだ?」


 「この手紙の事ですか? 戦うのが二人というのは間違いなく嘘、と断じたい所ですが件の使い魔の情報を聞くと実際にやりそうではあるんですよね。 襲撃に来るのは間違いないでしょう。 こんな手紙を寄越すくらいですし。 ただこの封蝋を見ると、リクシアの王印なのが気になります」


 イグニスと秘書官であるフォーリスは王が退室した後に会議室にて頭を悩ませていた。

 敵国であるリクシアの使い魔が寄越した手紙。

 それは完全に宣戦布告の内容だった。

 元々フォームランドはリクシアに対して幾つもの妨害行為などを行ってきていたが、少なくとも表立って戦争を意図するような事は避けていた。

 

 それが今回リクシアからのこの手紙。

 使い魔の悪戯かと思えるそれだが、手紙の封蝋は王印でなされている。

 つまりリクシアの王が公認しているという事だ。


 「……まずは小手調べとしてその使い魔を送り込む……という事か?」

 

 「十中八九ただの挑発だとは思うのですが……何とも言えない所ですね。 まずはこちらの戦力を整えるのが急務ですね。 幸い相手は日付の指定までしてくれているのです。 それまでにアイグリッツに兵を配置しましょう。 各領地の守備が手薄にならない程度でいいとは思います」


 「分かった。 ……俺は王の護衛として働かなければならないが、必要ならば呼んでくれ。 軍の指揮系統を組むのはカール将軍に任せておく。 作戦立案は任せた」


 「ええ。 まぁ今のフォームランドの国力であればそうそう負ける事はないと思いますけどね」


 「ああ。 俺もそう信じている」


 寡黙なイグニスは少しだけ頬を緩めて笑った後、会議室を後にする。

 そんなイグニスを見送った後、フォーリスは小さく溜息をつき今回の件について一人頭を働かせる。


 (虎の尾を踏む……というのはまさにこういう事なのだろうか。 噂では火竜を一人で倒したとも言われている相手だ。 だがこちらにも相応の使い手はいる。 暴風と獄炎、閃光の三人もそろっている上にイグニスもいる。 負ける要素はそうそうないが……この不安感はなんだろうな)


 今手配できる実力者の名前を挙げ、それだけの戦力に一体なんの不安を抱く必要があるのかとフォーリスは思う。


 暴風とは風の魔法を得意とし、風翼竜シルフィードを従える魔法使いで広範囲殲滅から一対一までこなす風魔法のスペシャリスト。

 

 獄炎は周囲を火の海に変える程の火力を持つ炎魔法の使い手でイグニスに次ぐこの国の実力者だ。


 更には閃光と呼ばれる元冒険者でその実力を買われ国に帰属した男で、その剣技はまさに一条の閃光のようで視認した時には死んでいると言われるほどの腕前だ。


 そんな彼等を上回る強さのイグニス。

 

 死神はその能力のおかげで彼等とも対等以上に戦えるが、単純な戦闘能力という意味でなら十分に比肩する者達だ。

 本当に二人だけが戦うというのであれば過剰戦力……どころか無駄な出費で頭を痛めなければならなくなる。

 戦争というのはメリットもあるがいつも出費に頭を悩まされるものでもあるのだ。


 「……準備をするにこしたことはない……か。 念のため首都の防衛にも力を割いておくとしよう」


 フォーリスは間違った選択はしていなかった。

 敵の戦力を予想し、的確な指示と作戦を出しており誰もがその才覚に改めて舌を巻く程だ。


 ただリーグを除き、フォームランドに住む誰もが一つだけしっかりと把握していない事があった。


 英雄が従える使い魔がどれほどの強さなのか……ということを。

 

 たらればの話しではあるが、もし魔物の大群がレムナントを襲ったときの情報がフォームランドに伝えられていれば、フォーリスもまた違った策を練る事が出来ていたのかもしれない。

 全面降伏という道もきっと手段の中にあっただろう。












 火月の十日。

 アイグリッツ砦には多くの魔法兵が詰め、グリント大平原には約八万人近い歩兵や重歩兵、騎兵に魔道部隊が美しさすら感じる編隊を見せ威圧感を放っていた。

 穏やかな気候に爽やかな風が吹く大平原もこの状態では異様な場所と化している。


 更には首都にも上級兵と呼ばれる鍛えられた精鋭の兵士達が守備として入っており、恐ろしいまでに完全な布陣を敷いている。


 この状態のレーゲンスファルを陥落させるには相当な準備に兵力、さらには時間を要するだろう。

 それでも落としきれるかは微妙な所もあるだろう。



 そんな光景をリクシアの王ゴードと次期女王であるフィオナ、そして各国の重鎮たちが見て感嘆の息を漏らす。

 軍務に多少でも携わっている者ならば軍をまとめあげ、ここまでの編隊技術と練度を高めるためにどれほどの時間を要するだろうかと眩暈すら感じるだろう。


 「……ゴード陛下、失礼な物言いになりますがまさか敵国の勢力をわざわざ見せるために我らを招致されたのですかな?」


 「確かに見事な軍の統制だ。 これは一見の価値はあるが、我らがここでこれを見せられる意味をそろそろ知りたいですな」


 口々にここへ連れてこられた意図が理解できないと愚痴る周辺国の貴族達。

 中にはベルトラントと呼ばれる魔法大国の王族も来ていた。

 彼らはリクシアの王ゴードに手紙で呼び出され集められていた。


 細かい事は省いて要約するとこうだ。


 世界でおそらく一度切りになるであろう余興をやるので是非見に来て欲しい。

 特に国の趨勢を担う者達には、自国の身の振り方を決める重要な余興だ。


 含みのある書き方に興味をもった各国の王族、重鎮達は近年勢いを盛り返しているリクシアのこの誘いに乗り、来てみたらこの状態なのだ。


 意味が分からなくて当然だろう。


 「ふふふふ。 まずはここまでお越しいただき感謝する。 まさかベルトラントに関してはライノルト王子殿下までお越しいただけるとは思っていなかった」


 「……他の国であれば無視する所でしたが、貴国には興味がありますので。 なんでも噂ではそこな英雄殿は強力な使い魔を三匹も従えていると。 いったいどうして魂の契約が為されているのか興味がつきない。 ……が、この状況に関してはやはり説明が欲しいですな」


 

 ライノルトが使い魔を三匹と言った瞬間に一瞬リリアの表情がピクリと動くが、それ以上反応はしなかった。

 しかし杖を握る力が強まり、何かを我慢しているのは容易に見て取れる。

 それに気付いたゴードは話を進めるために口を開く。


 「……今回集まっていただいたのは手紙に書いてあった通り、余興だ。 ただ今回の余興に関しては本気で取り組ませていただくだが、まぁ余が話したい事は全てが終わった後に理解できるであろう。 ではリリア殿、始めてくれ」



 「分かりました。 ゼクト、アカネ、ミソラ!」


 リリアが三人の名前を呼び、同時に三人の使い魔が姿を現す。

 

 ゼクトは普段の燕尾服ではなく灰色の和装に身を包み、腰には異様な威圧感を放つ黒い刀がその存在を主張している。さらには手首に銀のリングを装着しており、身体の周囲に蜃気楼のような揺らめきが見られる。


 アカネは普段通りの赤を基調とした和装で腰に炎を思わせる赤い双剣が禍々しい輝きを放っている。

 何処か妖艶なその姿に息を呑む者の多い。


 ミソラは薄く淡い蒼が特徴的な和装でこちらは体形もあり、膝よりしたがむき出しのものを着用している。

 既に魔族形態になっての登場で周囲にざわめきもあるが、使い魔として召喚したという事でそれほど大きなどよめきは無い。

 その手には金色の錫杖が握られており黒いオーラを放っている。


 各国の使者達はこういった場所に派遣されるだけあり彼等が異様な存在だというのはすぐに理解できる程度の感性は持っていた。

 

 リリアは一呼吸おき、命令を下す。 


 「ゼクト、アカネに命じます。 ……目の前の敵を排除して、首都レーゲンスファルを陥落させなさい。 圧倒的な力で希望の欠片も残さずに叩き潰すのです。 ミソラはここで皆さんの守護を」


 『御意。 全ては我が主の望むままに』


 英雄の命令により最凶の使い魔が、蹂躙の為に動き出した。






 


 

 フォーリスはアイグリッツとグリント大平原の間に設置された簡易の作戦本部で敵の軍の到着を待っていた。

 しかし、偵察の部隊から思いもよらぬ報告が上がった事に困惑する事になった。


 曰く、敵らしき集団が現れたが極少数でその中にはリクシアの王とベルトラントの王子の姿もあると。


 「まさか本当に二人だけで攻める……つもりなのか? ……いやいい。 敵が二人であろうと向かってくるなら全力で叩き潰せばいい。 その後に王族を捕らえ、話を聞くとしよう」


 そう結論づけたフォーリスは通信石と拡音石を取り出す。

 前線にもたせてある通信石と同調させ開戦の意思を確認するために。


 『ゴード陛下! どういった意図かは分からぬが、そちらが宣戦布告を行った以上、こちらも相応の準備をさせてもらった! 覚悟はよろしいか!?」


 ここまで話を進めている以上、冗談でしたではすまない。

 フォーリスはふざけた返答をするようならばサブノックには事故が起きたとでも伝えて、ゴードを斬り殺すつもりですらいた。


 『先にそちらが色々と手を出しているのだがな。 まぁそれはいい! こちらはそこの二人を戦線に出させてもらう! ……開戦だ!』



 ゴードの開戦という言葉に反応し、黒い髪の男と角の生えた女の姿が掻き消えた。


 「消えた……? なっ!?」


 フォーリスのいる位置は少し小高い位置にあり、グリント大平原の全体が見えやすい。

 元々遠い場所ではあるため近づいてきていた二人の姿もとても小さいものだったが確かに見えていた。


 遠い距離からの観察であればどんなに高速で動こうと視界の中で捉える事は容易だ。

 いや、正確には容易な筈なのだ。


 しかしフォーリスの視界から消えた途端、軍の両翼から大規模な爆発が起きた。

 

 右翼に展開された兵士達は黒々とした炎に焼かれ悲鳴を上げる間もなく消し炭へと変えられていた。

 

 更に左翼でも信じられない光景が平がっていた。

 巨大な炎が渦を巻き、その超々高温のためか大地が赤々と溶け出し溶岩のように変わっていき、それは恐ろしい程の速度で拡大していた。


 両翼からの攻撃に対し、中央の兵達はそれぞれ左右に分かれそれぞれ対応しようとしていた。

 だが、そもそもこの軍勢で相手にするのがたったの二人では、陣形を整えようとしてもそうそう成り立たない。

 大軍戦闘であれば陣形も重要であるが、こういった事を想定していない状況では各個戦力による撃破が望ましい。


 そう判断したフォーリスはすぐさま通信石と拡音石を使用して、各部隊長へ連絡を飛ばす。


 「まとまっていてはいい的になるだけだ! 多面攻撃が難しい場合は実力のある者で足止めしろ!」


 指示を飛ばし、その反応を確認するフォーリス。

 指示を理解してくれていれば、対処は可能な筈だとフォーリスは考える。

 しかし返ってくる返事はどれも悲痛なものばかりだった。


 『こちら第三部隊! 敵の姿が見えっうわぁぁぁぁぁぁ』


 『こちら第二十部隊! なんだこの化物は! 速すぎ』


 『……第六部隊……壊滅! ひ、や、やめてく』


 次々と返ってくる返事はしかし、次々と途切れていく。

 顔を上げ、再び戦況を確認するフォーリスの目には千々に引き裂かれていく自慢の軍隊があった。

 長年の訓練と実績を積み上げてきた美しいとすら感じるその陣形は、見るも無残に焼き尽くされ、あるいは細切れにされ形を失っていく。


 「暴風は!? 獄炎は!? 閃光は何をしている!?」


 待機していた筈の場所に目を向ける。

 閃光はまだ中央の位置から左翼の方に向けて動いている最中だった。


 暴風がいた場所には風翼竜シルフィードらしき黒焦げの死体が視認でき、その近辺には煤けたような灰が吹雪のように舞っていた。


 獄炎がいた左翼側は凄まじい熱波が広がり続け、次々と兵士を焼いていた。

 よくよく見ると兵士達が次々と首から血を吹き出しているようにも見える。


 「……あり……えない……。 なんだこれは……なんだこれは!? いや、違うそうじゃない! 全軍撤退! アイグリッツまで退避だ!」


 近くにいる兵士にフォーリスは指示を出す。

 両翼が一気に炎に蹂躙されているが、少なくともまだ中央は無事なのだ。


 (中央戦力を退かせてアイグリッツで迎え撃つ! 周辺への配慮など気にせず魔法の掃射で一気に倒すしかない。 ……撤退が間に合わなかった者達には申し訳ないが……こればかりは仕方がない……)


 撤退の指示を出しながら、自身も後退しアイグリッツ砦を目指す。

 ここからアイグリッツまではそう遠くなく、人の足でも二十分も走れば到着するような距離だ。

 あの炎から逃れ、アイグリッツまで辿りつけばまだ策はあるとフォーリスは信じている。


 「フォーリス殿!」


 「おぉ! 閃光の! あれはいったいなんだ!? 何が起きているんだ!?」


 「分からん……。 わしも長年戦場に身を置いているが、これは異常じゃ。 わしは確かに敵の二人を見据えていたが、敵の開戦の合図と同時に消えた。 本当に一瞬で視界から消えたのじゃ。 そして次の瞬間には両翼で爆発が起きておった。 本当に意味が分からぬ」


 閃光と呼ばれたフルプレートに身を包む男性。

 壮年と呼ぶにはまだ若々しく、覇気に満ちた彼はしかしその正体不明の攻撃に顔をしかめている。

 次の瞬間、背後で世界を染めるような白光が輝いた。

 巨大と呼ぶ事さえ生ぬるい程の雷が撤退中の味方の中心に突き刺さったのだ。

 衝撃波と轟音が周囲の全てをなぎ倒し、フォーリスと閃光も前方に大きく吹き飛ばされる。


 「ぐぅぅぅ……一体なに…………が」


 「…………我々は一体何を相手にしておるのだ」


 吹き飛ばされた二人が、衝撃が抜けきらないなかふらつく体を叱咤して立ち上がり見たのは巨大な穴だった。

 雷が落ちた場所には確かに人がいたはずだというのに、何も残っておらず硝子状にまで焼かれて赤熱化した大地と、その衝撃によって周囲にあったはずの木々や草花が地面と共にめくれ上がり、地面の深い部分まで掘り起こされている。

 人知を超えたその所業は敵対する者達にとっては絶望そのものだった。



 「いくぞフォーリス殿! とにかく体勢を立て直すのじゃ!」


 「……あ、あぁ……」


 閃光は放心しかけているフォーリスを無理矢理動かし走らせる。

 

 (むぅ。 心折れるか……。 無理もない。 わしとてこんな状況に一体どう策を練るのか見当もつかんわい。 しかしそれでもフォーリス殿には立ってもらわねば)


 「しっかりしろフォーリス殿! まずはアイグリッツまで戻って立て直すのじゃ!」


 閃光は人一人を抱えながらもそれを感じさせない程の速度で一気に駆け抜けた。

 抱えてもなお、一般兵などよりは遥かに速く十分もせずにアイグリッツまで到着していた。

 

 「はぁ……ふぅ……なんとか……辿り着いたか……」


 肩で息をしながらも、何とか走り切った事に深い安堵を覚える閃光。

 ただ建物についただけだというのに人がいるからか、はたまた敵の視界から隠れるからかフォーリスも閃光も先程よりも心は落ち着きを取り戻し始めていた。


 だからこそフォーリスは思い出す。


 (……閃光殿に守られながら移動していたが……後方の音が少しずつ消えていっていたのが恐ろしい。 遠ざかっているからではなく……徐々に徐々に人が減り、声が、轟音が、誰かが上げる断末魔が減っていく様があんなにも恐ろしいとは……)


 フォーリスは全身に走る怖気をなんとか振り払い、アイグリッツに詰める魔法兵全てをかき集め砦の法撃位置へと配備する。

 魔法兵達は鬼気迫るともいうべき様子のフォーリスに戸惑いながらも位置につく。

 

 彼らの視界にはまだ各所で魔法による轟音や煙が見られ、前線で戦っている者達がいるのだと分かる。


 「全魔法兵に告げる! 私が合図を出したならば、魔力尽きるまでとにかく撃ち続けろ! 例えそこに味方がいたとしてもだ! アレは……ここで必ず殺さなければならない化物だ!」


 フォーリスが出した指令に魔法兵の誰もが眉を顰める。

 元々は温和な性格の彼がこれほどまでに追い詰められ、仲間を巻き込むような指示を出していることが信じられなかった。

 

 「……魔法兵諸君。 ……普段のわしなら今回の指示は咎めるじゃろう。 しかし今回ばかりはフォーリス殿の指示は正しい……。 どんな犠牲を出してでもアレは滅ぼさねばならん……。 全ての責任はフォーリス殿とわしが取る。 だから、どうか心を鬼にして……撃ってくれ」


 冒険者上がりながら信頼のある閃光のその重々しい言葉に事の重大さを感じ、誰もが覚悟を決めた。


 黒煙が上がる中、加速度的に静かになっていく前方の戦場の様子に誰もが息を呑み、警戒を続ける。

 この時点でまだ戦端が開かれてから一時間も経っていないという事が、フォーリスの心を激しく揺さぶる。


 「……閃光の……。 私の作戦は間違っていたのだろうか……。 一体誰がこんな事を予測出来る……」


 「フォーリス殿は間違ってはおらん。 ……ただ……そう、これは相手を間違えたというべきなのじゃろうな」


 「相手を間違えた……か。 そうだな。 いくら我々が努力などしようがあんな化物に勝てるはずがない。 最初から降伏すべきだった……」


 「たらればの話をするなど心が弱っている証拠じゃ。 ……それを吹き飛ばす意味でもここで奴らを全力で屠るのじゃ」


 「ああ。 ……済まない。 どうやら私は相当参っているらしいな」


 力なく笑うフォーリス。そこには普段の穏やかな笑みはなく、諦めにもにた感情が浮かんでいた。

 それを見て閃光も笑う。自分達の情けなさに。


 「敵影視認! 数は二人! ゆっくりとこちらに向かって……き……」


 「どうした!? 報告をしろ!」


 途中で報告をやめた観測兵に怒声を飛ばし、自分も見張り台へ上がり、そして同様に絶句する。

 フォーリスの視界にはただただ絶望が広がっていた。


 無人の野を行くがごとくゆっくりと歩いている二人の使い魔。


 その後方にはどこまでも屍が続いていた。

 このアイグリッツに戻ってこれた正確な人数は分からない。

 だがフォーリスが確認する限りそれほど多くはなかった。

 つまりそのほかの全て、とまでは言わないまでも数万に及ぶ兵士達を殺害してのけ、あまつさえここまでのんびりと歩いてきている。



 使い魔の一人である男がフォーリスに気付き、笑顔を浮かべた。

 それはどこまでも純粋な笑みで、多くの人間の命を奪った後とは思えない程に無邪気だった。

 

 心臓を鷲掴みにされたような恐怖がフォーリスを襲い、彼はその恐怖のあまり指示をだす。

 目の前の悪夢がどうか消え去ってくれるようにと祈りながら。


 「全魔法部隊! 敵を殺せ! なんとしても殺せぇぇぇぇぇぇぇ!」


 半ば狂乱状態になりながらもフォーリスは命令を下す。

 

 合図に合わせ容赦のない魔法が雨霰と使い魔達に降り注ぎ、周囲一帯は地獄と化していった。

 低位の魔法で足止めをしながら上級魔法兵がこの国特有の連携魔法を次々と完成させ発動していく。

 高温の炎が一帯を焼き尽くし、激しい暴風が炎を巻き上げながら大災害となる。

 その暴風を叩き潰すように巨大な岩塊が上空から叩きつけられる。

 更にそれを全て押し流すように巨大な濁流が放たれる。

 魔法を使った連携で、軍が上位の竜種などを屠る時に使う方法だ。

 対人、ましてや個人に使うには費用対効果が悪すぎる為まず使う事はない方法だが、今回はそれがベストだと判断された。


 上位竜すらも屠るその魔法の連携は……しかし、彼等を止めるには至らなかった。

 岩塊は突如として砕かれ、濁流はどういう方法なのか真っ二つに切り裂かれ炎や暴風は一瞬のそよ風のように消え去っていった。

 魔法がまるで瀑布のように押し寄せもてなお、彼らには傷一つなく笑顔で立っていた。

 

 誰もが絶望に染まる中、恐怖のため目を逸らすことが出来なかったフォーリスは確かに見た。

 彼が何かを呟いた後に何かが砦全体を覆うように飛んでいくのを。


 そして彼は聞いた。

 腕を掲げた悪魔の言葉と嗤い声を。



 『天堕・獄炎墜星符てんだ・ごくえんついせいふ


 



 天から堕ちた禍星は自らを獄炎で燃やしながら命を焼き、砦を破壊し、周辺の大地を焦土と変えた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る