シモーヌの場合は、あまりにもおばかさん。----ヴェイユ素描----〈4〉
それぞれの場所や環境、あるいは人間関係によって、直面するその現実が「地獄と極楽ほどにちがってしまう」(※1)ような運・不運、もしくは偶然に労働者たちの日常のつらさや苦しさは左右されているのだ、ということ。しかし一方で、それを彼ら自身は「選べない」のだ、ということ。彼らに選択が許されているのは、「それを受け入れるか否かだけ」であり、もし受け入れないことを選択すれば、「もっとつらいこと」が待っている。つまり、「失業という地獄」が待っている。その地獄の中で労働者は、「労働者であることにおいて自分自身である」という、その自分自身そのものを失ってしまうのだ。
そのような地獄に堕ちてしまわないために、労働者が個人としてできるのは、たとえどんなに苦しかろうがつらかろうが、むしろその苦しくつらい日々が一日でも長く続くことを願いかつ信じ、その維持のために細心の注意を払い、他の何にも誰にも気を取られずに自分自身の生活と立場の保全に集中していることだ。たとえ労働者と呼ばれる集団が自分一人だけになったとしても、その自分自身さえこの集団の一員であり続けさえすれば、自分自身だけはこの日常を奪い取られることにはきっとならないはずだろう。
エゴイズム。それが労働者の心情の中心にあったとして、それに何の不思議もないし、それを責めても仕方がない。自分の暮らしのためにこそ、誰もが働いているのだから。皆、我が身こそがかわいいのだ。しかし、やはりその中からは、何らの連帯の言葉も思想も生まれてはこないだろう。そして労働者たちは、今日もバラバラに集団の中に呑み込まれていく。
ヴェイユ自身が「労働者だった」のは、合計してもわずか一年にも満たない非常に短い期間だった。それはたしかに体験や経験ではあったのだろうし、その限りで現実でもあったのだろうが、しかし「日常ではなかった」のだと言わざるをえない。彼女は「選んで」自らその環境に身を置いた。それは、彼女にとっては「非常なこと」であり、その意味でも特別な日々だった。
人間の不幸とは、あたかも孤島であるように、人間をその中に閉じ込めてしまう、とヴェイユは言う。(※2)誰かが外からその孤島を訪れ、その島の中での日常を見聞きして、いずれ他の誰かに語って聞かせることができたとしても、それは実際にその孤島の中に暮らしている人の言葉として聞かれうるようなものとはならない。そして、その島を外から訪れることができるような人は、結局いずれその島から出て行くことになる。「出て行くことができる」のだ、自分自身で選んで。彼女は、ヴェイユ自身はまさにその、孤島に外からやって来て、時が経ってそこを立ち去った人であった。彼女は「工場」という孤島の、今風の用語で言えば「観光客」だったのである。
工員体験を終えたヴェイユは、しばらくの休養を経た後、結局は再び教職に戻っていった。彼女の経験は、その著述にフィードバックされた。工場での日々を綿密に日記にしたため、後にその経験をベースにした論文をいくつか書き記している。それはたしかに、そのような経験をしたことのない者たちにとって貴重な証言であった。しかしそれはやはり外から来た人の、外からの目線での、外での言葉によってつづられたものではないのか。むしろ、外から来て外に出て行った者だからこそ書けた言葉ではなかったか。もし仮に、その孤島の住人として彼女が何か言葉を発することができたとしても、それはその孤島の他の住人たち=労働者たちと同様、降りかかる苦しみやつらさの中で自分自身を喪失した者としての「絶句」としてではなかっただろうか。
(つづく)
◎引用・参照
(※1)吉本隆明『甦えるヴェイユ』
(※2)ヴェイユ「工場生活の経験」(『シモーヌ・ヴェイユ アンソロジー』所収)
◎参考書籍
シモーヌ・ヴェイユ
『抑圧と自由』(石川湧訳 東京創元社)
『労働と人生についての省察』(黒木義典・田辺保訳 勁草書房)
『神を待ちのぞむ』(田辺保・杉山毅訳 勁草書房)
『重力と恩寵』(田辺保訳 ちくま学芸文庫)
『シモーヌ・ヴェイユ アンソロジー』(今村純子編訳 河出文庫)
吉本隆明
『甦るヴェイユ』(JICC出版局)
冨原真弓
『人と思想 ヴェーユ』(清水書院)
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