53 動機

 私はただ悲しかった。私は、ただ本当のお父さんに会いたかっただけ……はじめは本当にそれだけだったのです。

 病弱ながら、一人で私を育ててきた母を見てきた私にとって、その母を弄んだ父の存在は、ある時は禍々しい存在で、裏切りの象徴でもありました。だけれど、母の元に振り込まれる教育費のようなものがあることも知っていました。そして、それを振り込んでいるのが、父だということも私は知っていたのです。

 それでも、私はそのような教育費を、父の愛情だと思って受け取ることは到底できませんでした。それはあくまでも金銭なのです。それよりも、もっと直接的な親の温もりのような愛情があるはずだと思っておりました。

 私はある年齢になるまで、本当の父に会ったことがありませんでした。私は、母がそのような父の存在に頼り切っていることを知りながらも、私という存在自体が、尾上家にとってはスキャンダルであり、それを非常に冷めた目で見ている人々がいることも知っていたから、表立って会うこともできなかったのです。


 そんな中で私は会ったこともない父を恨んでおりました。そして、そんな父に染まっている母を恨んでおりました。全てが許せなかったのです。全てが裏切りに満ちていたのです。

 そんな私が、父とはじめて会ったのは、私が中学生の頃でした。少なくとも、私の記憶に残っているのはこの頃のことからです。

 私は、父というものを形式的な存在であり、それ以上に、母を裏切り続けた人間だと信じておりました。

 ところが、私が出会った父は、さまざまなことに苦しんでいる一人の可哀想な人間でした。尾上家という重圧の中で、形式的な結婚をさせられて、そんな偽りの人間関係の中で生きていた不幸な人間でした。もちろん、そんな父を受け入れることは簡単ではありませんでした。

 だけれど、私は確かにその日からはじめて父というものを家族にもった暖かい気持ちになったのでした。

 それからでした。もしかしたら、父は私のことを本当に心配していたのではないか、そんな気持ちになることがしばしばありました。

 私の心の中のしこりが……ずっと消えることがないと思っていたしこりが……一つ消えようとしていました……。

 確かに父のしたことは、母を愛人にすることではありました。しかし、父にとっては妻の巴さんとの間には何の愛情もなく、息子の英信は自分の血を一滴も受け継いでいない他人に過ぎなかったのです。母以外の愛人との交流も途絶えていました。

 そんな父は、本当に母のことを愛していて、私のことを心配しているんだ、そういう確信がだんだんと持てるようになったのです。

 私は、心の底から、父をあの尾上家という檻の中から出してあげたいと思うようになりました。


 そんな頃でした、父が死んだのは。そして、その父に精神的に依存していた病弱な母は、父の後を追うように自殺をしてしまったのです。

 私の心には、一生塞がることのない、大きな穴が空いてしまったのでした。

 私はようやく掴みかけた父の愛情を失い、母という存在すらも失い、私は深い悲しみの淵に突き落とされていったのです。

 私は、また自分の心を塞いでゆきました。愛情なんていう、つまらないものを信じた為に、こんなにも悲しい思いをしなければならない。

 こんなにも苦しまなければならないというのなら、私は愛情なんていらない……。

 だけれど、一度、愛情というものを知ってしまった人間には、二度と愛情のない世界での平静を取り戻すことができないのです……!

 私には、全てが耐えられないほど、冷たく感じられてきました。

 愛情が欠落した人間として生きてゆく方が、どれほど楽だったことか。

 日々の生活の中で、ふと込み上げてくる父母の愛情の記憶が、私をどうしようもなく悲しくさせる。どうしようもなく心を苦しめるのでした……。


 そして、そのしばらく後に、私は父の死に疑いを持つ土井という刑事に出会いました。その刑事は、現場の脚立に指紋がないことから、英信または元也による殺人の疑いがあるということを、会う人に口癖のように語り続けていたのです。

 私はそれを聞いた時、居ても立っても居られない気持ちになりました。本当のことを知りたい。だから、そのことを調べる為に、葉月未鈴という名前を名乗り、尾上幸児に近付いたのです。

 このような形で、尾上家の人間と触れ合う内に、私は絶対に許すことのできない二つの事実を、探り当てたのです。

 その内の一つは、父を殺害したのが英信だということでした。英信は、父が陶磁器を取る為に脚立の上で立っている時に、埋蔵金の場所を無理に聞き出そうとして、感情的になって、そのまま振り落としてしまったのだというのです。

 もう一つは、その英信を庇って、脚立の指紋を拭き取るように助言したのが元也だったということです。


 このような話を聞いた時、私の中で、このような不幸の元凶は、埋蔵金に固執する欲望にこそあるように思えたのでした。

 埋蔵金を得ようとする英信が、父を脚立から振り落としてしまった、そのことが私にはあまりにも浅ましいことで、とても醜く出来事だと感じたのでした。

 私はそのような欲望を、心の底から嫌悪した。父の愛情が純粋なものであると思えば思うほど、対称的に、英信の物欲は、気色が悪く、倫理的にも、生理的にも許しがたいものになっていったのです。


 私はそうした中で、父と母を一度に失ったことでまたしても愛情を求めて、腹違いの兄である潤一さんを探しました。そして、潤一さんが永眼寺というお寺にいることを知り、私は赴いて兄と出会うことができました。

 私は、そこでようやく兄弟の愛情というものに出会えたように思いました。私はここで兄に、長年の苦しみや悲しみの全てを打ち明けました。そして、兄はそれを心の底から聞いてくれたのです。

 だから、兄が亡くなったという報せを聞いた時、私は真っ先に葬式に赴きたかった。しかし、私はその頃、葉月未鈴という名前で、すでに尾上家の中に忍び込んでいたのですから、人前に出るということは避けざるを得ませんでした。

 だけど、この後、許せない行動を取ったのは東三です。彼はまた兄の死を踏みにじるかのように、兄の持っていた暗号を受け取ると、すぐに埋蔵金の獲得に向けて動き出しました。

 彼は、自分のもの以外の暗号が存在することを知り、急遽、それらを集める為に、青月島に関係者を集めることを思いついたのです。

 私にとっては、父や母を奪った、埋蔵金への欲望をたぎらせる英信、そして、それを隠蔽することに何の倫理的な抵抗を感じなかった元也、そして、英信と同じように兄の死よりも埋蔵金への獲得に執着してゆく東三の三人が、どれもひどく醜い心を持った……それこそ、この世から永久に葬り去るべき悪魔のように思えたのです。

 だから私は、埋蔵金への欲望が渦巻く、この青月島で、埋蔵金に固執する人間を片っ端から殺害してゆく、悉く地獄に落としてゆけば、どんなにこの世がすっきりすることかと思ったのです。

 そうして、醜い心を葬り去れば、どんなに父や母が報われることでしょうか。

 私は、祖父の尾上明安の遺言によって生み出されてしまった苦しみや悲しみの元凶を絶ちたかった……。

 そうすれば、またいつか、私はあの頃の心を取り戻せるのではないかと……愛情というものがあるのだと思えたあの頃の……全てが踏みにじられる前の心に……。

 今も、どこかに、本当の愛情があることを信じて……。

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