51 根来の気持ち
洞穴の中で、根来は羽黒祐介とぼんやりと座っていた。根来の頭の中で、さまざまなことがかけめぐっていた。
あれから、どれほどの時間がたったのだろう。もうとっくに深夜の十二時は越えちまって、外は静寂に包まれていることだろう。それなのに俺たちと言ったら、一向に外に出る道が分からなかった。
そんな中で、俺たちの体力と気力は、だんだんと消耗されていった。
今まで、偉そうに鬼根来なんて呼ばれて来たけど、こんなところに泥だらけになって座っている姿は、情けないもんだな……。
羽黒のやつは、何も言わなくなって、一人でぼんやりとものを考えているようだった。外に出るのはお前にかかっている。頑張れよ。
そんな俺も、洞穴の壁に背中を張り付けて、ぼんやりと懐中電灯に照らされた冷たい岩肌の天井を見つけているだけだった……。
洞穴の中は凍りつくように寒かった。俺はなんだか、希望というような言葉を忘れちまって、絶望感に打ちひしがれていたが、なんだか、無性に悔しくなってきた。
だけど、今の俺には怒鳴り声を張り上げる元気も、何かに怒りをぶつける力も残されてはいなかった……。
何が悔しいんだろうなぁ、こんなに……。
俺たちは、ここで死ぬのかな……。
いいじゃねえか。別にさ。死んだってさ。やりたいことはもう全てやってきたじゃねえか。
そうだ。俺は群馬県警で、数え切れないほどの犯人を逮捕してきた。それは、やりがいのある仕事だった。
俺にとって、こんな天職はなかったな。こんな仕事でもなければ、俺みたいな根っからの暴れん坊は、どこに行ったってお払い箱なんだからな……。
粉河みたいな良い部下にも出会えて、被害者の為、加害者の為に、汗水たらしてきた人生じゃねえか。なかなか楽しかったな。それでもう十分じゃねえか……。
それなのに、なんでこんなに悔しいのかなぁ。
なんで、こんなに悲しいんだろうなぁ。
なんで、こんなに心残りなんだろうな。
そうだ。俺は心残りだ。俺はまだ死にたくない。俺はまだ死にたくないんだ……。
だって、俺にはもっと話したかったやつがいる。もっと色々なことをしてやりたかったやつがいる。そして、それができなかったやつがいるんだ……。
それは俺のたった一人の娘、すみれのことだ……。
あいつが産まれた時、絶対に幸せにしてやるって決めたんだ。俺みたいな人間に、子供が育てられるか分からなかったけどさ。でも、そう誓ったんだ。
でも、俺はその頃、仕事一筋の男だったし、すみれのことは妻の百合子に任せっきりだった。
俺は、百合子に無理をさせてしまったんだ……。
そんな百合子が病気に倒れて、死んでしまった時、俺はどれほど後悔したか分からない。もっと楽をさせてやれば良かったって、どれほど後悔したか分からない。
だけど、すみれだけは幸せにしてやらなきゃいけないって思ったんだ。
だけど、俺はそれからも事件の捜査で多忙だった。それでも、俺は忙しい日々の中でも、あいつにできる限りのことをしてやろうと思ったんだ。でも、俺のやることって、いつも見当外れだったのかもしれない。
すみれには色々な悩みがあったのに、俺は不器用だから、その悩みをちゃんと分かってあげられなかった。
俺はそんな時、あいつの力になれねえんだなって、すごく悔しく思った。だけど、俺はそんなことよりも、すみれが可哀想に思えて仕方なかったんだ……。
そんな時だった。すみれが「お父さんなんて嫌いよ、私のことなんて何も分かってくれないんだから!」って叫んだのは。
俺は、言われても仕方ないと思った。自分でずっと自覚していたことだ。それでも、俺はただすみれに幸せになってほしかったんだ……。
すみれがその後で、俺に言った。「さっきはごめんね。お父さんのこと、嫌いだなんて言って……私、お父さんのこと、嫌いじゃないよ」
その時にすみれの瞳を見た。そこにはさ、涙が浮かんできらきらと輝いていたんだ。それを見たら、俺はすみれのことがもっと可哀想に思えた。謝らなくても良いのにさ、ちゃんとしなきゃいけないのはこっちなのにな……。
俺は「そんなに泣くなよ」って言ったら「泣いているのはお父さんの方だよ」って、すみれは微笑んだ。自分の目を触ってみたら、俺の方がよっぽど泣いていた。
鬼根来なんて呼ばれている俺が泣くなんてな……。
俺は今まで、あいつに可哀想なことばかりしてきた。あいつの気持ちをもっと分かってやりたかったのに、俺は、馬鹿だから勘違いばかりして、あいつの心を傷つけちまったんだ。
俺は一体、あいつに何をしてやれただろう……。
俺は例え、この悲しみの海に包まれた青月島で死ぬとしても、別に怖くはないさ。
俺は今まで精一杯、生きてきた。やりがいのある人生だった。何も悔いはない。
だけど、俺はもう一度、すみれに会いたいんだ。
本当は、お前に謝りたいことが山ほどあるんだよ。
だからやっぱり、俺はまだ死ねない。
この悲しみの海に包まれた青月島から、この孤独な鍾乳洞の暗闇の中から、必ず逃げ出して、すみれ、もう一度、お前に会いたいんだ。
そして、もう一度、お前と話したいんだ……。
心の底から話したいことが沢山あるんだ……。
お前は、俺のかけがえのない、たった一人の娘なんだからさ……。
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