26 恐怖と狂気
根来と祐介は青月館に戻り、リビングに人間を集めたところ、この時、青月館にいたのは、時子、富美子、未鈴、沙由里の四人だった。元也と幸児の姿はどこにもない。
「英信さんはいつ頃、いなくなりましたか?」
「それが、もう一時間半ほど前、何だか様子がおかしくなって、一人でふらふらと外に出て行ってしまったんです……」
と時子は言った。
「ふむう。それで残りの二人がどこへ行ったか、誰かご存知ないですか」
根来が言うと、富美子がすぐに口を開いた。
「元也さんなら、埋蔵金を見つけると言って、先ほど出て行きました」
「そうですか。幸児くんは?」
すると、未鈴が首を傾げながら言った。
「幸児くんは、何も言わずに出て行ってしまいました。必ず、ドアに鍵をかけておくようにと言って……」
してみると、二人は埋蔵金を探しているのだと考えられる。まあ、いい。とにかく、先ほど岸壁の上で見つけたものを、この四人に喋ってしまおうではないか、と根来は思った。
「皆さん、残念なお知らせがあります」
根来はそう言ってから、これを語った瞬間、どんな恐ろしいことが起きるかを想像した。しかし、言わない訳にもいかない。
「……先ほど、東側の岸壁の上に、英信さんの上着と靴が落ちていました。そして、そこには大量の血が残っていたのです……」
根来がそう言うのを聞くや、時子ははっと目を大きく見開いた。そして、そのまま、しばらくぼんやりとした表情を浮かべて、凍りついた。しかし、それも束の間、弾かれたように立ち上がると、
「そんなっ……!」
と叫んだ。絶望に満ちた声だった。そして、時子はそのまま、崩れるようにソファーに座り込んだのだった。
次に、声を上げたのは沙由里だった。
「お、お父さんの身に何かあったんですかっ……!」
根来は、なんと言って良いものかと困りながら、頭をぽりぽり掻き、
「まだはっきりとは申せませんが、もしも、あれほどの出血をしながら、あの岸壁を降りたのだとしたら、下る道の途中に、必ず血が残っていなければおかしいのです。しかし、そのようなものはどこにもありませんでした……」
「でも、そうだとするとっ……!」
沙由里もそこまで叫ぶと、言おうとしていることが、喉に詰まってもう出てこなかった。
根来は、あたりをゆっくり見まわしてから、重い口を再び開いた。
「皆さん。残念ながら、英信さんは犯人に殺されたのでしょう。しかし、遺体はまだ見つかっていない。崖の下の海に落とされたのか……。それは分かりませんがね。先ほどの時子さんのお話では、英信さんは一時間半ほど前に出かけられたということですがな。それでは犯行はその後、皆さんのアリバイをお聞きしたいですな……」
時子は、完全に放心してしまっている。沙由里は、いかにも落ち着かなそうにそわそわと体を振っている。しばらくして立ち上がると、
「お父さんを殺した犯人は、私たちの中にいるのよっ!」
とつん裂くような声で叫んだのだった……。
結局、誰にもアリバイらしいアリバイはなかった。幸児と元也は現在どこにいるのかも分からないし、他の人は、自室に一人でいたと言っているのだから。
殺人が行われたのは英信が最後に目撃された時刻の一時間半前、つまり二時半よりも後のことになる。
現在はちょうど四時である。
(ああ、四時になっちまったじゃねえか……)
根来は無性に悔しくなった。根来の頭の中では、あの暗号の「七つ半」という言葉が、ぐるぐると回り続けていたのである。
一体、犯人は誰なのか。英信は本当に死んでいるのか。根来と祐介には分からなかった。それに、これまで殺されていたのは東三たちであったから、尾上家の人間もまだ落ち着いていられたが、今回は英信が殺されたとあって、時子も沙由里もひどく心を痛めたように見受けられた。
夕飯の時間になっても、誰も料理をしないので、根来と祐介が率先して、台所でマグロの刺身を包丁で切っていると、玄関から大きな声が響いてきたのである。
「どこに行っていたのよっ!」
それは沙由里の声だった。根来と祐介が、包丁をまな板に置いて玄関に駆け足で向かうと、そこには戻ってきたばかりの元也の姿があった。
「何だ。沙由里。そんなに興奮して。俺は好き勝手に埋蔵金を探しているんだ。お前とは関係のないことだ」
「お父さんが殺されたのよっ!」
その瞬間、元也は大きく目を見開くと、呆然とした表情で凍りついたようにじっとしている。が、次第にわなわなと体を震わせて、
「父さんが……殺された……!」
と絶望に満ちた声で叫んだ。
「岸壁の上に、お父さんの上着と靴があったのよっ! 大量の血も残されていたわっ!」
「父さんが……」
元也は目に涙を溜めると、しばらく、うつむき静かになっていた。だが、しばらくして沙由里を鋭く睨むと、
「誰がそんなことをしたんだ……! 埋蔵金を狙っているのは、幸児とお前だけだろっ!」
沙由里は、その言葉に一歩退くと、
「私じゃないわ……!」
と恐ろしげに叫んだ。
「じゃあ、幸児か! 幸児はどこにいる!」
「知らないわ。出かけたままよ……」
元也は、ふらふらと頼りない足取りで玄関からリビングの方へと歩いて行った。そして、リビングのソファーに座ると、泣いたり、けたたましく笑ったりを壊れた人形のように繰り返していた。そして、しばらく黙ったかと思うと、すくっと立ち上がって、螺旋階段に向かって駆け出した。そして、上階を見上げていたかと思うと、
「おいっ、この中に犯人がいるのかっ! 父さんを殺した奴、俺の声を聞いているか……! 殺せ、殺せ、殺せっ!もっと殺せっ! この島にいる人間を皆殺しにするんだっ!そして、てめえもろとも地獄に堕ちてしまえっ!」
と叫んだ。すぐさま元也は、悲壮の含まれた、けたたましい笑い声を張り上げたのだった。
その様子を見ていた沙由里は、全てが恐ろしくなって、悲鳴を上げると、自室に逃げ込んだのだった。
元也は放心したように、リビングにふらふらと戻っていった。
その様子を見届けてから、根来と祐介は顔を見合わせた。
「……どうなっちまうんだろうな」
「根来さん。一刻、早く事件を解決しましょう……」
二人はそう言うと、台所に戻り、刺身を盛り付けた皿と白飯をよそった茶碗、そして磯の香りのする味噌汁をお盆に乗せて、ダイニングルームへ運んだのであった……。
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